『山の音』川端康成 ― 2017-02-15
2017-02-15 當山日出夫
川端康成.『山の音』(新潮文庫).新潮社.1957(2010改版) (筑摩書房.1954)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100111/
ひさかたぶりの再読になる。最初に読んだのは、高校生のころだったろうか。正直にいって、有名な作品であるという理由で読んではみたものの、なにがいいのかさっぱりわからなかった。文学的感性については、ある程度のものをもっていたと、いくぶんの自負はあるものの、さすがに、この作品を味わうのは、高校生では無理であったかと、しみじみと思う。この年、還暦をすぎて、この小説の主人公とほぼ同じ年代になって読んでみて、つくづくと感じ入るところのある作品である。
文庫(新潮文庫)の解説を書いているのは、山本健吉。この小説を、一種の心境小説としても読める、とある。とはいえ、単純な心境小説ではなく、何重にも入り組んだ虚構のうえになりたっている描写をさして、そのように表現している。そう言われてみると、なるほどと感じる。
読みながら付箋をつけた箇所。
「冬の朝、暗いうちに目をさまして、信吾がさびしく思うようになったのは、いくつごろからだろうか。」(p.224)
(電気カミソリを掃除して)「ふと下を見ると、信吾の膝に極く短い白毛がぽつぽつ落ちていた。白毛しか目につかなかった。/信吾はそっと膝を払った。」(p.285)
(ネクタイの結び方をふと忘れてしまって)「結びかけたのをいったんほどいて、また結ぼうとしたが結べなかった。」(p.353)
他にもあるが、上記のような、「老い」を感じさせる描写に、しみじみとする。(私の経験では、さすがに、ネクタイの結び方を忘れるということはないのであるが。)
ジャパンナレッジ「日本大百科事典」を見ると、『山の音』は、1949から1954、とある。川端康成は、1899年の生まれだから、50歳代前半にこの小説を連載していたことになる。主人公の信吾は、60歳ぐらいの設定。書いていたときよりも、すこし上の年齢の設定になっている。それを、このように描ききるというのは、これこそ文学的想像力というものなのであろう。
この小説を読んで、ふにおちる、あるいは、はっとさせられる描写が、上記の引用など、多々ある。それは、私自身が、年をとってきたということでもあるし、さらには、この小説の描写によって自分自身の「老い」を意識させられる、気付かせられる、ということでもある。
こういうのを文学というのである。そして、この文学が、若い時にわからなかったのは、いたしかたのないことなのかもしれない。
ところで、この小説を読みながら思ったこと……小津安二郎の映画を見ているような感じがしてしかたがなかった。となると、原節子が演じるのは、どの役だろうか。菊子か、それとも、英子か。このようなことが、読みながら、頭からはなれなかった。(このような印象をもって、この小説を読む人も多いのではないだろうかと推測したりしているのだが。)
ともあれ、文学は若いときにだけ読むものではない。年をとってから、昔、若い時にわからなかった作品を再読してみると、その良さがわかることもある。『山の音』は、さらに読んでみたい作品である。
追記 2017-02-15
この文章を書いてアップロードしてから、検索してみて、『山の音』が映画化されていることを知った。成瀬巳喜男監督。原節子が、菊子の役を演じているよし。
川端康成.『山の音』(新潮文庫).新潮社.1957(2010改版) (筑摩書房.1954)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100111/
ひさかたぶりの再読になる。最初に読んだのは、高校生のころだったろうか。正直にいって、有名な作品であるという理由で読んではみたものの、なにがいいのかさっぱりわからなかった。文学的感性については、ある程度のものをもっていたと、いくぶんの自負はあるものの、さすがに、この作品を味わうのは、高校生では無理であったかと、しみじみと思う。この年、還暦をすぎて、この小説の主人公とほぼ同じ年代になって読んでみて、つくづくと感じ入るところのある作品である。
文庫(新潮文庫)の解説を書いているのは、山本健吉。この小説を、一種の心境小説としても読める、とある。とはいえ、単純な心境小説ではなく、何重にも入り組んだ虚構のうえになりたっている描写をさして、そのように表現している。そう言われてみると、なるほどと感じる。
読みながら付箋をつけた箇所。
「冬の朝、暗いうちに目をさまして、信吾がさびしく思うようになったのは、いくつごろからだろうか。」(p.224)
(電気カミソリを掃除して)「ふと下を見ると、信吾の膝に極く短い白毛がぽつぽつ落ちていた。白毛しか目につかなかった。/信吾はそっと膝を払った。」(p.285)
(ネクタイの結び方をふと忘れてしまって)「結びかけたのをいったんほどいて、また結ぼうとしたが結べなかった。」(p.353)
他にもあるが、上記のような、「老い」を感じさせる描写に、しみじみとする。(私の経験では、さすがに、ネクタイの結び方を忘れるということはないのであるが。)
ジャパンナレッジ「日本大百科事典」を見ると、『山の音』は、1949から1954、とある。川端康成は、1899年の生まれだから、50歳代前半にこの小説を連載していたことになる。主人公の信吾は、60歳ぐらいの設定。書いていたときよりも、すこし上の年齢の設定になっている。それを、このように描ききるというのは、これこそ文学的想像力というものなのであろう。
この小説を読んで、ふにおちる、あるいは、はっとさせられる描写が、上記の引用など、多々ある。それは、私自身が、年をとってきたということでもあるし、さらには、この小説の描写によって自分自身の「老い」を意識させられる、気付かせられる、ということでもある。
こういうのを文学というのである。そして、この文学が、若い時にわからなかったのは、いたしかたのないことなのかもしれない。
ところで、この小説を読みながら思ったこと……小津安二郎の映画を見ているような感じがしてしかたがなかった。となると、原節子が演じるのは、どの役だろうか。菊子か、それとも、英子か。このようなことが、読みながら、頭からはなれなかった。(このような印象をもって、この小説を読む人も多いのではないだろうかと推測したりしているのだが。)
ともあれ、文学は若いときにだけ読むものではない。年をとってから、昔、若い時にわからなかった作品を再読してみると、その良さがわかることもある。『山の音』は、さらに読んでみたい作品である。
追記 2017-02-15
この文章を書いてアップロードしてから、検索してみて、『山の音』が映画化されていることを知った。成瀬巳喜男監督。原節子が、菊子の役を演じているよし。
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