中島みゆき「Why & No」に見る抵抗の精神2017-02-11

2017-02-11 當山日出夫

中島みゆきが昨年(2016)に出した二枚のアルバム。

中島みゆき・21世紀ベストセレクション『前途』

中島みゆき Concert 「一会」 2015~2016 - LIVE SELECTION -

たしか同時期に発売であったと記憶する。同じときの発売だから、選曲にはそれなりの工夫があるはずである。入っている曲をみてみると、基本的には重複しない。ライブアルバムの方は、これまでに出したライブアルバムとも重複は避けているようだ。

ところが、二曲、この二枚のアルバムに共通して入っている曲がある。

「麦の唄」と「Why & No」である。

このうち、「麦の唄」は、近年の中島みゆきの代表作といってもいいだろう。NHKの朝ドラ「マッサン」の主題歌である。その年の紅白で、歌っていたのを見た(録画であるが)。だから、この曲が重複してはいっていることは、それなりに理解できる。

が、もう一つの曲「Why & No」である。なぜ、この曲が、ベスト版と、ライブ版と、両方に入れてあるのか……私なりに感じたところを述べてみたいと思う。それは、中島みゆきの、現代という時代における「抵抗の精神」である、と。

「Why & No」は、この世の理不尽を黙ってやりすごすことができない気持ちを歌っている。

http://j-lyric.net/artist/a000701/l0384d3.html

歌詞の一部を引用してみると、

「もしかして世の中が正しいものかもしれないなんて
”正しい他人”なんて あるもんか」

これは、中島みゆきが若いときに歌った「時代」と対極に位置する。かつて「時代」では、このように歌っていた。

http://j-lyric.net/artist/a000701/l003c2f.html

「そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ」

「だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう」

いまはつらい、苦しい。しかし、未来には希望がもてる。そんな時代の気分を歌っていた。だが、21世紀になって、「Why & No」では、未来への希望はもはやない。あるのは、今現在の時代の理不尽に対する、いきどおりである。どうしようもない、絶望的な感情といってもよいかもしれない。いまは、不遇の時代である。だが、その時代の中にあって、流されるままにあるのではなく、なぜ、「No」と言わないのか……

個人的な感想を記せば、この曲を聴いて、私の脳裏に思い浮かぶのは、電通の過労死事件である。過酷な労働環境のなかで、彼女は、なぜ、「No」と言えなかったのだろうか。言えばいいじゃないか。「No」と言えばいいのである。どうして、言えないのか。あるいは、言わないのか。

死んでしまった犠牲者の、いや、あの事件以外に報道されないだけで、多くの過酷な条件のもとの生きざるをえない、あるいは、死んでしまった人たちが多くいるにちがいない。そのような人びとの鬱積した気持ちの裏側にあるものを代弁しているように、私は聞くのである。

曲の雰囲気もまったちがっている。かつての「時代」のときは、ギターの弾き語りであった。それが、「Why & No」では、ロックになっている。もはやギターの弾き語りで歌うような内容ではない。激しいリズムを何かにぶつけるような方向でしか表現できないのかもしれない。

うがちすぎた感想かもしれないが、「Why & No」を聞くたびに、上に記したような感慨を抱いている。この歌こそが、かつて「時代」のヒットで世に出た中島みゆきの、21世紀の現代における「抵抗の精神」である。