「“冤罪”の深層〜警視庁公安部・内部音声の衝撃〜」2025-01-16

2025年1月16日 當山日出夫

NHKスペシャル “冤罪”の深層〜警視庁公安部・内部音声の衝撃〜

警察官が手柄(といっていいかどうかとは思うが)のために、事件をでっちあげて暴走した……ということだと、思わざるをえないことにはなるのだが、いろいろと思うことはある。

これは冤罪事件であると思うが、その一方で、あくまでも一般論としてということになるが、思うこともある。まず、組織と個人の関係である。この冤罪事件を、警察官個人のこととしていいのだろうか、という気がどうしてもする。組織としての警察の問題であり、冤罪を防げなかったことは、組織のあり方としての課題ではないだろうか。個人の判断は、間違うことがあるとして、それにブレーキをかけることができるものとしては、その組織のシステムである。なぜ、立件にむけて暴走したのかということと同時に、何故、それを止めることができなかったのか、という方向からの検証も必要にちがいない。この事件の場合、警察内部で待ったをかけることが出来なかった制度の要因があるとすれば、それも、いや、それこそが重要な問題である。番組では、ブレーキをかけようとしたが出来なかったという証言もあった。

冤罪事件については、すべからく担当した警察官が悪い、検察官が悪い、あるいは、裁判官が誤った……ということで、個人に責任をもとめていくことが、はたして法治国家の考え方として妥当だろうかと、思うところはある。多くの場合、マスコミの報道は、この方向に流れがちである。

組織というのは、個人の判断が誤らないように、チェックする体制を持っていなければならない。この場合には、この機能が適切に働かなかった、あるいは、システムとして不十分だった、ということになる。内部に、疑問視する声があっても、それが有効にはたらかなかった。

この冤罪事件の場合、実定法の解釈の強引さ、ということと、警察官のテクノロジーについての見識のなさ、これが相まって起こった事件と思える。(極端にいえば、その機械で本当に生物化学兵器が作れるのか、やってみればいいと思うのだが。そこまでの実験は、無理だろうなあ。)

ところで、この事件の背景には、中国の軍備増強ということがあることは確かであり、それへの警戒心が起こした冤罪事件であったことになる。技術と軍事ということについては、この事件のこととは別に、冷静に考えてみるべきことだとは思う。

2025年1月6日記

検察は不起訴としたようだが、担当した警察官にペナルティを与えて終わりにするのではなく、やはり、なぜそのような行為にはしったのか、組織として、なぜ止められなかったのか、という観点からの検証が必要だと考える。

2025年1月8日記

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