デジタル・ヒューマニティーズも少し方向が変わってきた2008-05-28

2008/05/28 當山日出夫

グローバルCOEのデジタル・ヒューマニティーズ、であるが、私が見ているかぎり、今年度になって、やや方向がかわってきたかな、と感じる。

旧来の人文学系のひとたち(特に若手の大学院生やPD)が、自分の研究対象だけを見るのではなく、それをふくむ全体像を見えるようなデータベース作成に着手したのは、よろこばしい。

実は、総合的なDB(京都の新聞の映画演劇関係記事や広告、朝鮮の新聞の文芸欄や広告)、このようなものを構築するのは、多大の時間と労力を要する。しかし、これが、ないと、次のステップにすすむことができないし、また、他の研究者との、相互のデータのやりとり、横断検索なども、課題になる。

えてして、これらのDB構築は、業績として評価されにくい。だが、研究のためには、絶対に必要である。できれば、このような、地道な仕事にはげんでいる、若手研究者に対して、その労に報いることができるような、社会であって欲しいものである。これは、切に願う。

また、GISの利用についても、地理関係の人は、はじめから「地図」があり、地理空間情報が特定できている資料、という方向で見る傾向があったように思う。(この点については、かつて、私のこのブログで、いささか批判的に述べたことがある。)しかし、これも最近では、人文学の研究資料は、その時空間情報を決めること(考えること)それ自体が、非常に困難であり、また、それが、ある種の研究目標のひとつである、という事情が、相互に、理解しあえるような雰囲気を感じる。

先日のCH研究会については、ARGの岡本さんから、手厳しい批判があったが、研究のレベルはまだであるかもしれないが、それを推進していく基本的な基盤となる部分は、徐々にではあるが、形成されてきていると感じる。

とにかく、いろんな研究会に出て、いろんな発表を聞くこと。また、できれば、自ら出て言って発表すること、この積み重ねと、お互いの意見交換のなかから、新しい「人文情報学」生まれてくる。このことに期待したい。

當山日出夫(とうやまひでお)

『画像ドキュメンテーションの世界』2008-05-28

2008/05/28 當山日出夫

今になってこんな本を読んでいるとなると、なんとなく気恥ずかしいのであるが、ざっと眺めて、まだ使える、いや、この原点にたちかえって考えるべきだと、思った本。

波多野宏之.『画像ドキュメンテーションの世界』.勁草書房.1993

今から15年以上前の本である。まだ、一般にインターネットが普及する以前の出版である。だから、その時代の変化を考慮にいれて読まねばならない。

この本を読んで、感じたことを、私なりに一言でいえば、「デジタルの時代の目録学(書誌学)」だな、ということ。ここで使った「目録学」「書誌学」は、東洋古典籍研究での用語。私は、「書誌学」を、安部隆一に教わっている(学部から大学院にかけて)。

この本には、このような記載がある。

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画像は、時代とともに異なったメディアのもと異なった表現をもつ。画像の見方や画像のもつ社会的・教育的な役割もまた、時代とともにある。

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インターネットが普及した現在、画像(特にデジタル画像)の、持つ意味は大きく変化してきている。それは、以前に紹介した本、『写真空間 1 特集「写真家」とは誰か』(青弓社.2008)にも、端的に、現れている。

デジタルアーカイブ論の授業も明日で、1Qが終わる。とりあえずは、「まとめ」と「何がデジタル化できないか」を、話す予定。

當山日出夫(とうやまひでお)