『ARG』379号の感想2009-06-15

2009/06/15 當山日出夫

『ARG』の379号についてすこし、といっても、今回の記事のメインは、仙台での第4回ARGカフェ。

ライトニングトークのタイトルを見ると、どれもきわめて魅力的。是非、生きたいところであるが、その余裕もない。しばらくは、家を出ないことにする。

非常に素朴な疑問。

桃李もの言わず、下おのずから蹊をなす

これは、ネット社会にも、そのまま適用できるかどうか。つまり、良質のコンテンツに、より多く人が、自然とあつまるかどうか。

・専門家なら知っている
・SBMなどで、ネット上の口コミ(?)で知っている、たどりつく
・検索でヒットする

それぞれにルートはあるだろう。良質なコンテンツに、どのように人をみちびくか。いいものを作れば、おのずから人が来る。知っているからこそ、専門家。知らない人は知らなくてもかまわない。このような発想があってもいいとは思うが、しかし、今後は、そうはいかないだろう。

書店の本のならび、あるいは、図書館の分類、これもまた、気づかないでいるかもしれないが、ある種の「アーキテクチャ」として機能している。

當山日出夫(とうやまひでお)

心的障碍:まず目立つことの意味2009-06-15

2009/06/15 當山日出夫

豊田さん、コメントありがとうございます。

豊田さんの提言は、社会的に非常に貴重なものだと、私は判断しています。ただ、それを、新常用漢字のパブリックコメントで送っただけでは、あまり、効果がない。

やはり、多くの人にうったえかける機会がより多くあった方がいい。この意味では、豊田さんのブログでの発信は非常に貴重なあゆみの一歩だと思います。もちろん、実際に、これからの社会で、人がどのような「ことば」をつかい、どのような社会をつくっていくか、道のりは長いかもしれませんが。

たとえば、いま、ここで書いていること、これを、いわゆる「しょうがい」関係のブログやHPの内部だけで論じ、リンクしあっても、あまり意味がありません。むしろ、それ以外の分野のなかに混じって、はいりこんでいく方が、より多くの人の目にとまる。

ある意味「覚悟」を決めて、「目立つ」ということの意味を考え直していいとおもいます。このこと、ライフリンクの代表の清水さんが、確か、新聞記事のインタビューで述べていたこと、「自分たちの目標の第一は、まず、社会のなかで目立つ存在であること」、このような趣旨であったと記憶します。

豊田さんのブログ

tokujirouの日記
http://d.hatena.ne.jp/tokujirou/

「碍」とパブリックコメント
http://d.hatena.ne.jp/tokujirou/20090611/1244676596

當山日出夫(とうやまひでお)