先生との出会い2010-04-19

2010-04-19 當山日出夫

内田麻理香.『科学との正しい付き合い方』.ディスカバー・トゥエンティワン.2010
http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10479372420.html

を、読み始めている。まだ、全部読んでいないのに感想を書くのもどうかなとは思うが、まあ、思ったことを書いてみる。

この本、初級編・中級編・上級編とわかれている。初級編でつよく触れられていることの一つが、学校教育(小学校~高校)での、科学との出会い。これをもっと具体的にいえば、どんな先生に、どんなふうに習ったか、ということ。

このことは、自分自身の昔をかえりみて、なるほど、と思う。

誰も、好きこのんで理科(科学)が嫌いになっているのではない。そこには、何かしらの要因がある。また、これはやむをえざることではあるが、現実に、学校教育(高校から大学受験)においては、理系・文系にわかれざるをえない。そのとき、どのような要因がはたらくのか。

まあ、たいていは、理科や数学の成績、ということで振り分けることになるのが、現実かとは思う。

そして、その後、大学に入ってから(高校を出てから)は、どうであろうか。現在であれば、リベラル・アーツとしての、科学リテラシが必要になってきている。それに答えるカリキュラムに、なっているだろうか。

このリベラル・アーツとしての科学リテラシは、文系学生のみならず、理系学生にも必要であろう。自分の専門としている領域が、社会のなかでどのような位置づけにあるのか、そして、それを、他のひとびとにどのように伝えることが可能であるのか。サイエンス・コミュニケーションの必要性である。

そして、このようなことの根底には、幼いときの、先生との出会いというのが、意外と大きく影響しているように、私は感じる。その教科が好きな生徒についての理解と同時に、それが好きになれないでいる生徒について、その気持ちを理解する先生というのが、のぞましい。

大学生以上であれば、ある程度は、自分の判断で科目を選ぶことができる。しかし、学年が下がればそういうわけにはいかない。決められた時間に、きめられた先生に習う、ということになる。ここで、どのような先生に出会うかが、決定的な意味を持つ。

ところで私の場合、どうであろうか。ガチガチの文系人間だと自称するのであるが……魅力的な理科の先生がいなかったわけではない。しかし、それよりも、文系の科目でより魅力的な先生がいた(たまたま相性がよかった)、ということの結果であるともいえる。

大学にはいってからも、そのような偶然の先生との出会いで、自分のすすむ方向が決まってきたように、今になってふりかえれば思える。先生との出会いを大事にする学校教育、初等教育から高等教育まで、また、文系・理系をとわず、であってほしいものである。

當山日出夫(とうやまひでお)

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