「大川の水」芥川竜之介2017-08-12

2017-08-12 當山日出夫(とうやまひでお)

岩波文庫の『芥川竜之介随筆集』を読んでいる。

石割透(編).『芥川竜之介随筆集』(岩波文庫).岩波書店.2014
https://www.iwanami.co.jp/book/b249284.html

この本の冒頭におかれている文章が「大川の水」である。

ここで、芥川は隅田川に思いをよせている。この文章は、つぎのようにおわっている。

「もし自分に「東京」のにおいを問う人があるならば、自分は大川の水のにおいと答えるのに何の躊躇もしないであろう。独においのみではない。大川の水の色、大川の水のひびきは、我愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるが故に、「東京」を愛し、「東京」あるが故に、生活を愛するのである。」(p.18)

1912年の文章である。

私は、東京に10年以上住んでいた。大学にはいってから、しばらく間である。その生活のなかで、あまり、東京と川ということを意識したことがない。住んでいたのは、目黒区で、下宿の近くには目黒川がながれていた。毎日、学校に通うごとに、目黒川をわたっていたと、今になれば思い出す。しかし、そう強く「川」が印象に残っていることはない。(今では、東京の桜の名所として、有名になっているようだが。)

東京に住んでいる間に、隅田川を目にしたのは、何度あるだろうか。あったとしても、それと意識して見たという記憶がない。

最近、東京と「川」「水」ということを意識するようになったのは、川本三郎の本を読んでからである。

やまもも書斎記 2016年11月5日
川本三郎『大正幻影』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/11/05/8242327

この本のなかで著者(川本三郎)は、大正期の文学者たちが、隅田川によせた思いについて述べている。これを読んでから、東京という街は、川の街、水の街であることを、認識するようになった。

だが、やはり私は、「山」の人間なのだろうと思う。

やまもも書斎記 2016年11月19日
山の風景と水の風景
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/11/19/8253955

大正時代、東京の文学者たちは、隅田川の川面に何を感じていたのだろうか。東京と川、近代文学と川、水、というようなことに、思いをはせている次第である。