「天守物語」泉鏡花2017-08-14

2017-08-14 當山日出夫(とうやまひでお)

泉鏡花の『天守物語』を再読してみた。

東雅夫(編).『文豪妖怪名作選』(創元推理文庫).東京創元社.2017
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488564049

このアンソロジーに収録されている。読み直すのは何年ぶりになるだろうか。いや、ひょっとすると何十年ぶりぐらいになるかもしれない。

しかし、『天守物語』は、いまでもなお新鮮である。このような作品が、このような日本語の文章で書かれた時代があったのだ、ということを、しみじみと思ってみる。

解説を読むと、『天守物語』は、大正6年(1917)である。先日、このブログでちょっととりあげた芥川竜之介の活躍したのとほぼ同じ時代ということになる。その同じ時代に、芥川のような文章もあれは、鏡花のような文章も、同時に存在したのである。

泉鏡花の文章については、中村真一郎の『文章読本』を読んで、きちんと読んでおかないといけないと思っていたところである。

最近、読んだ本として、中村真一郎の『頼山陽とその時代』がある。ちくま学芸文庫版。これについては、改めて書いたおきたいと思っているが、それと同時に、中村真一郎の『文章読本』(新潮文庫)を、再読しておきたくなった。

鏡花の文章については、中村真一郎は次のように書いている。

「鏡花は、その口語文を自然主義者たちとは正反対の方向に、発展させて行きました。」

現代の我々は、明治の自然主義文学の、あるいは、鴎外や漱石の、また、芥川などの文章の流れのなかにあるといってよいであろう。その現代の我々の目で読んで、泉鏡花の文章の日本語は、このような日本語の使い方もあり得たのか……と、おどろくばかりに新鮮に感じられる。

現代の私は、泉鏡花の文章を目で読む……黙読するのであるが、その文章のリズムは、感じ取ることができる。現代の日本語の散文……口語文……が、失ってしまったものを、強く感じることになる。これはこれとして、達意の日本語文であると思う。

ところで、『文豪妖怪名作選』であるが、このアンソロジーは、なかなか面白い。これについては、また改めて書いてみたい。