『おんな城主直虎』あれこれ「武田が来たりて火を放つ」2017-09-19

2017-09-19 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』2017年9月18日、第37回「武田が来たりて火を放つ」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story37/

前回は、
やまもも書斎記 2017年9月12日
『おんな城主直虎』あれこれ「井伊最後の日」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/12/8675259

今の我々は、この歴史の結果を知っている。井伊のイエは、徳川のもとにつくことになる。だが、そこにいたる経緯は、そう単純ではないようだ。

気になったのは、直虎(おとわ)の身分。武家として、井伊の領主であったものが、一般の領民とすぐに同じになれるものだろうか。領民と同じということは、井伊谷において、そこの支配者(このドラマの時点では、近藤ということになるが)の、支配下に入ることになるのだろうか。

いや、そうではなく、龍雲丸と一緒に自由に生活しているように見える。年貢とかは、納める必要はないのであろうか。

そこで、やはり気にかかるのは、百姓=農耕民(この場合は、綿の生産などもふくむことになるが)、として描かれていることだろう。百姓たちの、領主への抵抗の手段として、逃散ということがあった。

だが、ここは、浜名湖の近くなのであるから、漁業とか、商業でくらすタイプの「百姓」がもっと登場してきていてもいいのではないかと思う。せっかく、百姓=農民というステレオタイプから脱した新鮮な、中世、戦国の人びとを描くことができたのにと思う。

興味深かったのは、高瀬の存在。いったい何者なのであろうか。直親の忘れ形見というのは、本当のことなのだろうか。

それから、龍譚寺という存在は、いったい何なのであろうか。ただの寺ではない。井伊の一族の菩提寺ということであるが、それにとどまらず、武家としての井伊をささえる一翼を担っているような感じがある。中世、戦国における、寺社の位置づけという意味で、この寺の存在は、何かしら不気味ですらある。

今回は、虎松が登場してきていなかった。また、ネコも。

次週、直虎(おとわ)は、堺に行くことになるのだろうか。行けば行ったで、これは、面白い展開になるにちがいない。直虎(おとわ)の生き方と、井伊の家のゆくえ、これがこれからの見どころになるのであろう。

追記 2017-09-26
この続きは、
やまもも書斎記 2017年9月26日
『おんな城主直虎』あれこれ「井伊を共に去りぬ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/26/8684051