『カラマーゾフの兄弟』(4)光文社古典新訳文庫2019-01-12

2019-01-12 當山日出夫(とうやまひでお)

カラマーゾフの兄弟(4)

ドストエフスキー.亀山郁夫(訳).『カラマーゾフの兄弟』(4)(光文社古典新訳文庫).2007
http://www.kotensinyaku.jp/books/book32.html

続きである。
やまもも書斎記 2019年1月11日
『カラマーゾフの兄弟』(3)光文社古典新訳文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/11/9023795

この第四巻になって、事件は大きく展開する。「真相」があきらかになり「裁判」があり「判決」がくだる。

だが、はたしして「真実」はいったいどうだったのだろうか。

この小説のとおりの「判決」が正しいのであろうか。あるいは、これは誤った判決ということになるのであろうか。

私の読んだ印象を率直に述べるならば……ここにいたって、それはもうどちらでもいいようなことのように思えてならない。無論、事件の真相がどうであったかは重要である。だが、それよりも、そこにいたるまでの関係者、特に、スメルジャコフの告白のあたり、これは確かに決定的に重要である。が、それをふくめて、一つの事件を軸に展開される、各種の人間のドラマの方が、より壮大でこころひかれるところがある。

以前の読み方であれば、事件の「真相」はいったなんであるのか、ここに重点をおいて読んでいたものである。本当にドミートリーは犯人なのであろうか。

今回は、読んでいって……スメルジャコフの告白にも、検事の発言にも、また、弁護士の発言にも、それぞれに、ふと読みふけって作品中に入り込んでしまう自分があることに気付く。それほど、この作品は、幅が広く奥行きが深い。

それにしても、ドストエフスキーという作家は、どうしてこんなに犯罪小説の大作を書いたのであろうか。『白痴』からはじめて、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』と読んで来た。(『悪霊』も読み終えてある。)犯罪という、反社会的な事象に触発されておこる人間のドラマ、それが文学のテーマとして浮上してきたのが、十九世紀という時代であったといえば、それまでなのであろうけれど。

追記 2019-01-14
この続きは、
やまもも書斎記 2019年1月14日
『カラマーゾフの兄弟』(5)光文社古典新訳文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/14/9024819