『津軽』太宰治/新潮文庫2020-11-21

2020-11-21 當山日出夫(とうやまひでお)

津軽

太宰治.『津軽』(新潮文庫).新潮社.1951(2004.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100604/

続きである。
やまもも書斎記 2020年11月20日
『走れメロス』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/20/9318366

『走れメロス』のなかに、「帰去来」「故郷」と、太宰の故郷の津軽のことにふれた作品があったので、その次にと思って手にしたのが、『津軽』である。この作品、たしか若いときに、一度読んだような記憶があるのだが、今となってはさっぱりと忘れてしまっている。

いい作品である。無頼派、デカダンスといわれる太宰の作品であるが、この『津軽』は、実にいい。私の知っていることばで強いていうならば、「含羞」の文学とでもいうことができようか。

故郷の津軽への旅行記である。その津軽について、自慢するでもなく、逆に卑下するでもなく、淡々とした筆致で、旅の思い、幼い頃の思い出などが、自在にかたられる。そのこころは、とてもやさしい。太宰の作品に見られる、過剰な自意識というものが影をひそめている。

新潮文庫の解説を書いているのは、奥野健男であるが、太宰の作品のなかから一編だけ選ぶとすると、この『津軽』であると書いている。

ところで、新潮文庫の書誌を書いてみて、この本の初版が、昭和二六年に出ていることを確認できた。太宰の没後、まもなくのころである。太宰がどのように読まれてきたか、これはこれで興味深いことであるが、その意味でも、この『津軽』という作品が、文庫本のかたちで広く読まれるものであったことが理解される。

2020年11月15日記

追記 2020-11-23
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月23日
『新樹の言葉』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/23/9319444

『エール』あれこれ「恋のメロディ」2020-11-22

2020-11-22 當山日出夫(とうやまひでお)

『エール』第22週「恋のメロディ」
https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_23.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年11月15日
『エール』あれこれ「ふるさとに響く歌」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/15/9316637

この週の見どころは次の二点だろうか。

第一に、「君の名は」。

伝説のドラマである。そのドラマが、最初は硬派の社会ドラマとしてスタートしたことは知らなかった。古関裕而の代表作の一つといっていいのであろうが、そのドラマの成立の背景は、また実にドラマチックである。

おせんべいを食べながらラジオを聞いている音のすがたは、まさにおばさんであった。

第二に、華の恋。

相手は、入院している青年。ロカビリー歌手である。しかし、裕一は、ロカビリーにどうも興味がないようである。嫌いということでもなさそうだが、とにかく、音と華は、アキラとの関係を裕一の前でどうとりつくろおうかと、いろいろと画策することになる。

以上の二点がこの週の見どころだったかと思う。

それから、ちょっとだけ登場していた朝ドラおじさん。ドラマの効果音の係だったが、ここのところは見ていて楽しかった。

さて、このドラマは、残すところ最終週である。これまでのあれこれを総まとめにして、さらに、東京オリンピックのことも出てくるようである。また、最後は、NHKホールらしい。どんな展開になるのか、楽しみに見ることにしよう。

2020年11月21日記

追記 2020-11-29
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月29日
『エール』あれこれ「エール」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/29/9321499

『新樹の言葉』太宰治/新潮文庫2020-11-23

2020-11-23 當山日出夫(とうやまひでお)

新樹の言葉

太宰治.『新樹の言葉』(新潮文庫).新潮社.1982(2008.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100616/

続きである。
やまもも書斎記 2020年11月21日
『津軽』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/21/9318674

新潮文庫のこの冊には、太宰の昭和一四年から一五年にかけての作品がおさめてある。太宰の中期の、そのはじめのころの作品ということになる。

収録してあるのは、以下の作品。

「I can speak」
「懶惰の歌留多」
「葉桜と魔笛」
「秋風記」
「新樹の言葉」
「花燭」
「愛と美について」
「火の鳥」
「八十八夜」
「美少年」
「春の盗賊」
「俗天使」
「兄たち」
「老ハイデルベルヒ」
「誰も知らぬ」

解説の奥野健男によると、新潮文庫の太宰治の一六冊目になるらしい。そのせいか、著名な作品がはいっているということではないようだ。

しかし、読んで思うことは、やはり太宰ならではの「語り」のたくみさである。太宰の作品は、「語り」でなりたっているものが多いが……そのなかにあって「走れメロス」などは例外に属するのかもしれない……特に、女性の一人称語りが実にいい。読んでいて、思わずに作品世界のなかにはいっていってしまう。まぎれもなく、太宰の文学である。

この意味で言うと、この冊に収録してある、「火の鳥」は、第三人称視点で書かれているのがだ、この作品は、完結することなく中断している。太宰にとって、第三人称視点の長編小説というのは、かなり困難なこころみであったのかもしれない。

無頼派、デカダンスの文学という太宰の印象であるが、中期の作品を読むとあまりそのイメージは強くない。むしろ、作家として充実した中身の濃い作品を書いている。太宰の文学の可能性がどこに向かっていくことになるのか(その結果はわかってはいるのだが)、このような観点から読んで見ると、昭和の文学史において、中期の太宰治というのは、非常に興味深い。

2020年11月18日記

追記 2020-11-26
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月26日
『ろまん燈籠』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/26/9320520

『麒麟がくる』あれこれ「比叡山に棲む魔物」2020-11-24

2020-11-24 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第三十三回「比叡山に棲む魔物」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/33.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年11月17日
『麒麟がくる』あれこれ「反撃の二百挺」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/17/9317360

この回で興味深かったのは次の二点だろうか。

第一に、正親町天皇。

近年の大河ドラマで天皇が登場するというのは、『八重の桜』があったと思うが、この『麒麟がくる』では、正親町天皇が重要な役割をはたしている。正親町天皇の存在が、『麒麟がくる』を面白いものにしているといってもいいかもしれない。

その正親町天皇のことばを引き出すために登場しているのが、医者の東庵ということになる。架空の人物であるが、ドラマの進行のうえでは、正親町天皇との対話シーンで重要な役どころをはたしていることになる。ここにきて、東庵という架空の人物を登場させていた意味が、ようやく明らかになるとでもいえようか。

第二に、比叡山焼き打ちと光秀。

これまでの戦国大河ドラマでは、光秀は、信長の比叡山攻撃に批判的な人物として描かれることが多かったように思う。それに対して、『麒麟がくる』では、光秀は、必ずしも神仏に弓矢をむけることを、まったく否定しているようでもない。むしろ、世の中の平安をみだす、背後にうごめく悪として、比叡山のことを見ているようである。

このような悪の巣窟としての比叡山というイメージも、これまでの戦国ドラマのなかでは異色といっていいのかもしれない。

以上の二点が、この回を見ていて思ったことなどである。

それにしても、正親町天皇と東庵の囲碁のシーン。両人とも、頭に何もかぶっていなかった。この当時の風習として、日常的になにか冠か何かをかぶっているのが当然だったろう。これは、単なるミスか、あるいは、よほど、天皇と東庵がうちとけた仲であることを示すための演出なのか、どうなのだろうか。

次回、幕府と信長との間でいろいろとありそうである。その間にたって、光秀がどんな働きをすることになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2020年11月23日記

追記 2020-12-01
この続きは、
やまもも書斎記 2020年12月1日
『麒麟がくる』あれこれ「焼討ちの代償」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322200

ガマズミ2020-11-25

2020-11-25 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので写真の日。今日はガマズミの実である。

前回は、
やまもも書斎記 2020年11月18日
白い万両
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/18/9317731

我が家の近く、散歩道のあたりに何ヶ所かこの木のあることを確認している。初夏には、白い花を咲かせる。花の咲いたときには、さぞかしたくさんの実がなるだろうと思うのだが、秋になって実のなるころになると、あまり実をつけない。

図鑑などの写真では、たくさんの実をつけたものを目にする。たぶん、鳥が食べてしまうのだろうと思っている。

掲載の写真は、家から一五分ほど歩いたところのものである。ここは、他の場所にくらべると比較的多くの実がみられる。しかし、多いといっても、よく見て探さないとすぐには見当たらないほどしか実をつけない。

散歩がてらの写真なので、持って行ったのタムロンの90ミリ。

そろそろ一二月になろうかという時期になってきた。紅葉もそろそろ終わりである。公孫樹の木の葉も散ってしまった。庭では、千両や万両が赤や黄色の実をつけているのが鮮やかである。

ガマズミ

ガマズミ

ガマズミ

ガマズミ

ガマズミ

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2020年11月23日記

追記 2020-12-02
この続きは、
やまもも書斎記 2020年12月2日
センニンソウ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/12/02/9322555

『ろまん燈籠』太宰治/新潮文庫2020-11-26

2020-11-26 當山日出夫(とうやまひでお)

ろまん燈籠

太宰治.『ろまん燈籠』(新潮文庫).新潮社.1983(2009.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100617/

続きである。
やまもも書斎記 2020年11月23日
『新樹の言葉』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/23/9319444

文庫本の編集としては、『新樹の言葉』につづく戦争中の作品集という位置づけになる。昭和一六年から、昭和一九年にかけて発表された作品である。

戦争中に太宰治は、こんな文学を書いていたのか……という思いが残る。そして、よくぞ、戦時下にあって、これだけの質の文章を残したものかという気持ちになる。どれを読んでも面白い。やはり、その独特の語り口の妙である。これも、ほとんど一気に読んでしまった。

なかで印象に残るのは、「十二月八日」という作品。昭和一六年一二月八日のことを書いた作品である。この作品で、太宰は、得意とするところの、女性の一人称語りで語っている。そのなかに、おそらく自分自身であろう男性のことが描かれる。ある意味で、かなり屈折した視点から、昭和一六年の太平洋戦争開戦のときのことを描いたことになる。

おそらく、太平洋戦争、あるいは、それ以前からの日中戦争を描いた文学を選ぶとなると、この作品は、選ばれていいのではないだろうか。その日の報道に接したとき、気分の高揚、そして、未来への希望、と同時に、感じざるをえないなにがしかの不安というもの……これらの感情を、見事に短い作品のなかに凝縮して描いている。

ところで、この文庫本のタイトルにとってある「ろまん燈籠」であるが、実にタイトルの付け方が巧みであると感じる。一度目にしたら忘れない。すぐれた文学者は、その作品のタイトルのつけたもうまい、ということである。

2020年11月19日記

追記 2020-11-27
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月27日
『正義と微笑』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/27/9320841

『正義と微笑』太宰治/新潮文庫2020-11-27

2020-11-27 當山日出夫(とうやまひでお)

パンドラの匣

太宰治.『パンドラの匣』(新潮文庫).新潮社.1973(2009.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100611/

続きである。2020年11月26日
やまもも書斎記 
『ろまん燈籠』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/26/9320520

新潮文庫版の『パンドラの匣』には、「正義と微笑」と「パンドラの匣」の二編をおさめる。まずは、「正義と微笑」から。

この作品を読んで、その文章のみずみずしさに驚く。太宰治は、こんな作品も書いていたのかと思う。主人公は、旧制の中学生。その中学時代のことから、卒業してR大学への入学、それから、劇団の試験をうけるまでが描かれる。

戦時中の作品である。この時代背景において、なんと明るい青春小説を描いていることかという感想をもってしまう。刊行は、昭和一七年である。時代背景を考えてみて、よくこんな小説を書いていたものだと、まず思う。

だが、ここに描かれているのは紛れもなく太宰治の文学世界でもある。ちょっと自意識過剰というべき中学生……少年から青年になりかけ……の心情を、みごとに、日記という形式でもって描写している。

私が、この作品を読むのは、初めてになる。書誌を書いてみて、これが、一九七三年に刊行されていることに気づく。ちょうど高校生のときのことになる。そのころ、太宰の他の作品のいくつかは読んでいたと思うのだが、高校生から大学生にかけて、この作品は手にすることなくすごしてしまってきた。もし、若いときにこの作品を読んでいたら、どんな感想をいだいたことだろうかと、この歳になって思う。

強いていうならば、「若さ」というのは、本当に若いときには、それを描けないものかもしれない。もう若くなくなってしまってから、すでに失ってしまったものとしてしか、描くことができない、そんなものであると思う。また、それを読むとき、自分が若いときに読むか、歳をとってから読むかでも、印象がちがってくる。

私の歳になって読んで見て……この小説は「若さ」を描いた作品であることを、しみじみと感じる。また、同時に、この作品を書いている作者(太宰治)自身も、ある意味でまだ若い。少なくとも、老年ということを感じさせない。

続けて、『パンドラの匣』を読むことにしたい。

2020年11月20日記

追記 2020-11-28
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月28日
『パンドラの匣』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/28/9321130

『パンドラの匣』太宰治/新潮文庫2020-11-28

2020-11-28 當山日出夫(とうやまひでお)

パンドラの匣

太宰治.『パンドラの匣』(新潮文庫).新潮社.1973(2009.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100611/

続きである。
やまもも書斎記 2020年11月27日
『正義と微笑』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/27/9320841

新潮文庫版では、「正義と微笑」と同じ冊に収録されている。が、書かれた時期がいくぶん異なる。「正義と微笑」は、戦時中の書き下ろし。一方、「パンドラの匣」は戦後になってから(昭和二〇年から二一年)、新聞連載の作品である。ただ、どちらも、太宰にしては珍しくというべきか、若さの持つどちらかといえばその明るい側面を描いた中編ということで、一緒になっているようだ。

「パンドラの匣」は、どう評価すればいいのだろうか、いろいろ考える。これは書簡体小説になっているが、実質的に一人称語りの作品である。その語り口のうまさは、終戦ということを経ても変わっていないと感じさせる。この意味では、やはり太宰の作品である。

この作品は、新しい日本のこれからを描こうとした作品として読めなくもない。しかし、この観点で読むと、どうにも面白くない。いや、面白くないというよりも、終戦にあたって太宰が何を考えていたのか、読みとりがたいのである。

そして、文学史のこととしては、太宰は、その後若さのもつ明るさのようなものを描くことはなかったことになる。「正義と微笑」「パンドラの匣」と読んでみて、やはりこれは太宰の作品だと感じるところがある。確かに若さのもつ明るさのようなものを描こうとしているのだが、しかし、時として、太宰ならではの過剰な自意識というものを感じる。そして、ふと人生の暗さというようなものも感じてしまう。

戦中から戦後への文学史のなかで、これらの作品は、いろいろと考えるべき論点をふくんでいるかと思う。

2020年11月21日記

追記 2020-11-30
この続きは、
やまもも書斎記 2020年11月30日
『ヴィヨンの妻」太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/30/9321870

『エール』あれこれ「エール」2020-11-29

2020-11-28 當山日出夫(とうやまひでお)

『エール』最終週「エール」
https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_24.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年11月22日
『エール』あれこれ「恋のメロディ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/22/9319079

いろいろとあったが、このドラマも終わった。批判的なことも書こうと思えば書けるが、しかし、ここは無事にこのドラマが終了したことを喜んでおきたいと思う。

古関裕而という人は、時代とともにあった人間だと思う。だから、戦争中の軍歌の作曲なども手がけることになるし、一方では、東京オリンピックも作曲することになる。常に、日本の人びととともに生きてきて、仕事をしてきたことのあかしとすべきことだろう。

COVID-19の影響で、途中で放送が中断するなどのアクシデントがあったが、しかし、そのようなことをふくめて、このドラマは、朝ドラの歴史の中に残る名作といっていいだろう。それは、まさしく、昭和という時代を、歌で描いたことによる。戦前、戦中、戦後の時代を、世の中の流れ、人びとの気持ちとともに、古関裕而の歌があった。そして、その多くは、今も人びとによって歌い継がれてるものになっている。

まさに、古関裕而の歌こそが、このドラマの成功の重要な要素である。そして、その歌を歌った歌い手(役者)もよかった。

異例といえば、最後の終わり方も異例だった。主な出演者で、NHKホールでのコンサートということになった。このような終わり方をしたドラマは、これまでになかったのではないだろうか。だが、これは非常によい終わり方であったと思う。古関裕而の歌が、この国の人びとの気持ちの中にのこっていることを、十分に伝えるものとなっていた。

さて、次週からは、新しいドラマ『おちょやん』である。これも、戦前の大阪を舞台にどのようなドラマになるのか、楽しみに見ることにしたいと思う。

2020年11月27日記

『ヴィヨンの妻」太宰治/新潮文庫2020-11-30

2020-11-30 當山日出夫(とうやまひでお)

ヴィヨンの妻

太宰治.『ヴィヨンの妻』(新潮文庫).新潮社.1950(2009)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100603/

続きである。
やまもも書斎記 2020年11月28日
『パンドラの匣』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/11/28/9321130

収録作品は、

「親友交歓」
「トカトントン」
「父」
「母」
「ヴィヨンの妻」
「おさん」
「家庭の幸福」
「桜桃」

書誌を書いてみて、この文庫本が最初に世にでたのは、昭和二五年であることが確認できた。太宰治の死後、まもなくの刊行である。解説を書いているのは、亀井勝一郎。その解説を読むと、太宰の作品を、現代文学といっている。もう太宰治の死から、数十年以上経過している。今日の観点からは、太宰治を現代の作家とはもはやいえないかもしれない。

ところで、この『ヴィヨンの妻』には、太宰治の晩年の作品を収録してあることになる。いずれも、戦後になって書かれたものである。これまで、主に戦前、戦中の作品を読んできた目で見るならば、やはりここにきて、作者の変貌を感じる。いったいどこがどう変わったのかと問われると困ってしまうのだが、確かに作品が変わってきている。

このあたり、太宰治にとって、戦争とはなんであったか、戦後の太宰治は、どのような変化を見せることになったのか、近代文学研究の動向にうとい私としては、なんともいえない。

だが、たしかに、戦後になって太宰は変化を見せていることは感じるのである。いわゆる「無頼派」の作家というカテゴリーに入れられることになるであろう、作者の人間観、人生観というようなものを、読みながら思う。良き人間であろうとしながらも、現実にはなかなかそうままならない心中の葛藤とでもいっていいだろうか。

そして、相変わらずたくみな語り口である。しかし、その語り口も、変化を感じる。語り手に没入した感じではなく、どことなく距離をおいているとでもいうことができるだろうか。

この文庫に収録されているのが「桜桃」。太宰治の命日は、桜桃忌である。

2020年11月27日記

追記 2020-12-03
この続きは、
やまもも書斎記 2020年12月3日
『グッド・バイ』太宰治/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/12/03/9322892