「敗戦国日本の決断 マッカーサー「直接軍政」の危機」 ― 2024-08-16
2024年8月16日 當山日出夫
昭和の選択 昭和の選択 敗戦国日本の決断 マッカーサー「直接軍政」の危機
これは面白かった。
ポツダム宣言の受諾が八月一四日、玉音放送が八月一五日、降伏文書調印が九月二日、というあたりのことは知っていたが、マッカーサーが厚木にやってくるまでにどんなことがあったのか、また、日本のGHQのもとで間接統治になったのはどういう経緯によってなのか、非常に興味深い内容であった。
見ながら思ったことなど、書いてみる。
まず、原爆の使用についてであるが、日米の戦争だけを見るならば不要であったということになる。しかし、それを、アメリカとソ連の対立という枠組みのなかで見るならば、アメリカは原爆を持っていることを、ソ連に見せつける意図があった……このようなことも、たしかに考えられる。
ただ、その原爆の威力や惨状については、米軍側もすぐにそれを把握していたということではなかった。少なくともマニラの米軍では、知られることではなかった。
機体を白く塗り、綠十字を描いた、一式陸攻のことなど、終戦秘話として(というのも奇妙かもしれないが)とても興味深い。
番組で言及はなかったが、古い方の映画『日本のいちばん長い日』は、二回ほど見ている。新しい方の映画は見ていない。本は、三回ぐらい読んだはずである。日本において徹底抗戦を主張する軍人たちがいたことは確かであり、それを、どうしずめるかが大きな課題であった。(ただ、この作品では、阿南惟幾にスポットがあたりすぎているかなとも思うけれど。)
その徹底抗戦を主張する軍人たちがまいたビラの実物が残っている。よく残っていたものである。
また、マッカーサーは厚木飛行場に降り立った。そのときの姿は、映像資料でおなじみである。まさに勇者の風格であるが、これも、たくみに計算されたものであったらしい。マッカーサーが来るまでの飛行場は、破壊された飛行機の残骸で使えなかったのだが、どうにか厚木飛行場が使えて、歴史的場面になった。
その後、日本の統治が具体的に始まるとなったときの、鈴木九萬(ただかつ)の日記は重要である。近年、公開されたということであるが、残念ながらそのニュースを見たということは憶えていない。
アメリカは、日本を直接軍政で統治しようとしてた。そのための三布告を準備していた。もし、そうなっていたら、軍票(B円)が使われ、英語が公用語になり、裁判権もアメリカにある、そんな時代を迎えることになったはずである。なお、B円ということばは、今でも沖縄の歴史について読むと出てくることばである。
しかし、それは、直前の深夜の交渉で回避された。まさに、歴史の大きな転換点であったことになる。
ただ、ここの論理として、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏したが、政府は残ったことになる。歴史としては、国体護持ということが大きく言われるのだが、日本という国家の統治の一体性の保全ということもまた重要なポイントである。これに対して、ドイツでは、政府は解体され、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連による分割統治ということになった。
しかし、これがその後の日本の歩みを考えるとき、よかったことになるかどうかは、また別の問題かもしれない。(番組では言っていなかったが、北海道がソ連に取られずにすんだという意味では、よかったのだろうが。)
一番重要なことは、戦争で日本はアメリカに負けた。しかし、だからといってアメリカのいいなりになることはない。そこに主張すべき理があるならば、交渉によってなんとかなる道が残されている。それを実践したのが、終戦時の日本の政府であり、外交官であり、軍人であった……まあ、その全員ということではないだろうが……このことは、歴史として重要なことである。
終戦となって、GHQがやってきた、ギブミーチョコレートの時代になった、というとおりいっぺんの歴史観では見えてこない、現場にいた人たちの苦労と努力を考える必要がある。
それから、なぜ、日本でアメリカによる間接統治がうまくいったのか。そこに、日本にもデモクラシーがあったからである、という考え方については、おそらくそういう面を考えるべきかと思う。少なくとも、(男性に限ってであったが)普通選挙が行われ、議会があり、政党があり、政府の統治機構があり、ということは確かである。戦前という時代を全否定するということでは、この時代の流れを理解することは難しいかもしれない。
番組の最後で、磯田道史が言っていたことだが、この番組であつかっていた内容は、日本本土についてのみであり、沖縄、奄美、小笠原などについては、その後、日本に返還されるまで、アメリカによる直接軍政が続いたことは、忘れるべきではない。
戦争中の戦車を再利用した更生戦車というブルドーザーが、戦後の日本の復興に使われていたということは、始めて知った。こういうことは、きちんと記録して、残すべきことであると私は思う。
2024年8月15日記
昭和の選択 昭和の選択 敗戦国日本の決断 マッカーサー「直接軍政」の危機
これは面白かった。
ポツダム宣言の受諾が八月一四日、玉音放送が八月一五日、降伏文書調印が九月二日、というあたりのことは知っていたが、マッカーサーが厚木にやってくるまでにどんなことがあったのか、また、日本のGHQのもとで間接統治になったのはどういう経緯によってなのか、非常に興味深い内容であった。
見ながら思ったことなど、書いてみる。
まず、原爆の使用についてであるが、日米の戦争だけを見るならば不要であったということになる。しかし、それを、アメリカとソ連の対立という枠組みのなかで見るならば、アメリカは原爆を持っていることを、ソ連に見せつける意図があった……このようなことも、たしかに考えられる。
ただ、その原爆の威力や惨状については、米軍側もすぐにそれを把握していたということではなかった。少なくともマニラの米軍では、知られることではなかった。
機体を白く塗り、綠十字を描いた、一式陸攻のことなど、終戦秘話として(というのも奇妙かもしれないが)とても興味深い。
番組で言及はなかったが、古い方の映画『日本のいちばん長い日』は、二回ほど見ている。新しい方の映画は見ていない。本は、三回ぐらい読んだはずである。日本において徹底抗戦を主張する軍人たちがいたことは確かであり、それを、どうしずめるかが大きな課題であった。(ただ、この作品では、阿南惟幾にスポットがあたりすぎているかなとも思うけれど。)
その徹底抗戦を主張する軍人たちがまいたビラの実物が残っている。よく残っていたものである。
また、マッカーサーは厚木飛行場に降り立った。そのときの姿は、映像資料でおなじみである。まさに勇者の風格であるが、これも、たくみに計算されたものであったらしい。マッカーサーが来るまでの飛行場は、破壊された飛行機の残骸で使えなかったのだが、どうにか厚木飛行場が使えて、歴史的場面になった。
その後、日本の統治が具体的に始まるとなったときの、鈴木九萬(ただかつ)の日記は重要である。近年、公開されたということであるが、残念ながらそのニュースを見たということは憶えていない。
アメリカは、日本を直接軍政で統治しようとしてた。そのための三布告を準備していた。もし、そうなっていたら、軍票(B円)が使われ、英語が公用語になり、裁判権もアメリカにある、そんな時代を迎えることになったはずである。なお、B円ということばは、今でも沖縄の歴史について読むと出てくることばである。
しかし、それは、直前の深夜の交渉で回避された。まさに、歴史の大きな転換点であったことになる。
ただ、ここの論理として、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏したが、政府は残ったことになる。歴史としては、国体護持ということが大きく言われるのだが、日本という国家の統治の一体性の保全ということもまた重要なポイントである。これに対して、ドイツでは、政府は解体され、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連による分割統治ということになった。
しかし、これがその後の日本の歩みを考えるとき、よかったことになるかどうかは、また別の問題かもしれない。(番組では言っていなかったが、北海道がソ連に取られずにすんだという意味では、よかったのだろうが。)
一番重要なことは、戦争で日本はアメリカに負けた。しかし、だからといってアメリカのいいなりになることはない。そこに主張すべき理があるならば、交渉によってなんとかなる道が残されている。それを実践したのが、終戦時の日本の政府であり、外交官であり、軍人であった……まあ、その全員ということではないだろうが……このことは、歴史として重要なことである。
終戦となって、GHQがやってきた、ギブミーチョコレートの時代になった、というとおりいっぺんの歴史観では見えてこない、現場にいた人たちの苦労と努力を考える必要がある。
それから、なぜ、日本でアメリカによる間接統治がうまくいったのか。そこに、日本にもデモクラシーがあったからである、という考え方については、おそらくそういう面を考えるべきかと思う。少なくとも、(男性に限ってであったが)普通選挙が行われ、議会があり、政党があり、政府の統治機構があり、ということは確かである。戦前という時代を全否定するということでは、この時代の流れを理解することは難しいかもしれない。
番組の最後で、磯田道史が言っていたことだが、この番組であつかっていた内容は、日本本土についてのみであり、沖縄、奄美、小笠原などについては、その後、日本に返還されるまで、アメリカによる直接軍政が続いたことは、忘れるべきではない。
戦争中の戦車を再利用した更生戦車というブルドーザーが、戦後の日本の復興に使われていたということは、始めて知った。こういうことは、きちんと記録して、残すべきことであると私は思う。
2024年8月15日記
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