よみがえる新日本紀行「西津軽小駅〜青森県西海岸〜」2026-01-30

2026年1月30日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 西津軽小駅〜青森県西海岸〜

再放送である。2024年。オリジナルは、昭和51年(1976年)。

(関係する人にはまことにもうしわけないと思うのだが)、見終わって、五能線がまだ廃線にならずに残っていたことに、いささかおどろいた、というのが正直なところである。

昭和51年というと、私が、大学生になって東京で生活を始めたころである。これとほぼ時をおなじくして、青森から東京に働きにでた若者が、現在では故郷に帰ってトラック運転手として働いている……これには、感慨深いものがある。

旧国鉄時代の赤字ローカル線は、非常に問題になったことである。国鉄の遵法闘争とか、スト権スト、ということを、実際の体験として憶えている。

しかし、一方で、鉄道が開通する、駅ができるということが、その地域の人びとにとって、どれぐらい大きな出来事であったかということも、これも分かる。私の生まれ故郷の地域には、鉄道は通っていたが、乗るには、バスで近くのちょっと大きな町までいかないといけなかった。そこに駅が新しくできた(無人駅であったが)ことは、お祭り騒ぎであったのを、記憶している。

昔は、バスが一日一往復、鉄道が五往復ということだったが、現在の場面で、映っていた時刻表を見ると、鉄道の運行状況は、そう変わらない。主に、学校に通う高校生が乗客であるというのは、日本のローカル線の今の姿だろうと思う。

海岸で流木をひろうおばあさんの姿が印象的である。ただ、何を話しているのか、ほとんど分からなかったけれど。(この地方の方言は、聞き取りづらい。)

燃料として使うのも流木であるし、家を建てるのにも、流木を使う、ということは、こういう地域もあるのかと思った。人が生活するのに、日常の燃料は必須である。日本の山林が、どのように薪炭として、燃料に利用されてきたのか、ということは、重要な日本に住んできた人びとの歴史であると思っている。流木が使えるということも、人が生活することのできる、一つの条件であったというべきだろうか。

子どもが病気になって、占いにみてもらう……こういうことが、実際におこなわれていた。今は、どうだろうか。

少しだけ映っていたのだが、オシラサマでいいのかと思う。

何にもないというところがいい、生まれ故郷が一番いい……これは、やはり、そこに生活する人々の、いつわらざる思いだろう。

風力発電も、これから先、順調にいくかどうか、心配なところもある。だが、観光列車が走るぐらいのところだから、今後の地域のあり方としては、希望がないわけではないといっていいだろう。

2026年1月28日記

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