よみがえる新日本紀行「夢の中まで雪降るや...〜岩手県湯田町〜」2026-02-03

2026年2月3日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「夢の中まで雪降るや...〜岩手県湯田町〜」

再放送である。2024年。オリジナルは、昭和52年(1977年)。

夢の中まで雪降るや木地師妻

の句は、とてもいいと思う。

印象的な場面はいくつかあるが、こけしを作っている木地師の夫が、一言もしゃべっていない、黙々と仕事をしている。こういうシーンは、いい。

こけしが、1500円だった。相場は、倍の値段なのだが、職人の夫は、その値段でいいという。この時代、私は、東京で大学生だったころになる。たしか、映画を見るのに、1000円ぐらいだっただろうか。喫茶店のコーヒーが、200円から300円ぐらだったと憶えている。

温泉の共同浴場のシーンがあったが、どうやら男女混浴のようである。この時代だったら、こういうことを、とやかくいうということはなかった。普通だったのである。

他の集落から移転してきた人たちが、山の神もともなってきたということがあった。いったい集団で移転するというのは、どういう事情があってのことなのだろうか。あまりの山奥で、住むことができないと判断したということなのだろうか。ちょっと気になった。

雪の降るところは、米所でもある。これは、たしかにそのとおりかと思うが、イネというのは、もともと南方の植物で、日本の東北地方で、多く栽培されるようになった歴史というのは、どういうことがあってのことだろうか。東北の飢饉ということは、歴史の上で何度もあったことであり、新しいこととしては、昭和の初めのころの飢饉は、知られている。娘の身売りなどは普通のことであり、この農村の窮状が、陸軍の将校たちを動かした、ということも、日本の歴史の一コマといっていいにちがいない。

雪国に住んでいる人にとっては、雪は、愛でるものではない。生活をおびやかすものである。雪が降れば、雪下ろしをしなければならない。だが、そういう雪に対しても、俳句に詠んで、美しさを感じるとことがある。

豪雪地帯に住んでいる人たちの生活の感覚は、そうではないところに生活している人間には、なかなか理解できないものだろう。(よく知られていることとしては、三好達治の詩が有名だが、雪国の人にとって、雪はそんなものではないと言われることがある。)

冬の間の薪を、(おそらく)入り会いの山から伐採して運び出すのも、命がけといっていい。今は、いったいどうしているだろうか。囲炉裏も、カマドも、今の生活では無くなっているだろう。薪ストーブは使うかとも思うが。

こういう番組を見て、いつも思うのだが、人間はどうして、こんな雪がたくさん降るところに住むようになったのだろうか。江戸時代のことなら、『北越雪譜』など読むと、なんとなく分かるのだが、中世以前は、いったいどんな生活をしていたのだろうか。

2026年1月29日記

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