「オンライン性虐待から子どもを救え 〜フィリピン〜」2024-09-25

2024年9月25日 當山日出夫

Asia Insight オンライン性虐待から子どもを救え 〜フィリピン〜

COVID-19パンデミックが、世界にいろいろなものをもたらしたことになるが、その一つとして、オンラインでの児童ポルノの拡散ということがある。(その一方で、大学の授業や学会などでのオンラインの活用の推進という側面もあったことになるが。)

番組で触れていなかったが、小児性愛については、かなり難しい問題があるというのが私の考えである。性的指向が、自分で意図して選ぶことができないものである、生得的なものであるとするならば、一律に小児性愛を「犯罪」と決めつけることはできない。そこに被害者となる子供たちがいることは確かなのだが、加害者も自分で選んでそうしているわけではない、という面がありうることを考慮する必要もあるだろう。同性愛が、自分の意志による選択ではない、ということと同じである。

では、どうすればいいのかとなると、すぐに解決策があるというわけではないのだが、犯罪と個人の自由意志ということについての、厳密な理論と社会的合意が必要ということはいっていいかと思う。少なくとも、近代的な社会の価値観として、個人の自由意志を尊ぶという方向であるならば、そうあるべきだと私は考える。

それから、問題の根本にあるのが、社会の貧困である。スラムということばを、この番組で久しぶりに耳にした。この解決は、これからの世界の問題としてかなり困難なことがあるにはちがいない。

ここで取りあげていた問題は、小児性愛の被害者となった子どもたち、ということであったが、おそらく多くの人たちは、いろんな犯罪の加害者側になってしまうことが多いだろうと推測する。

貧困の解決について、公的な経済的援助もありうるだだろうが、手に職をつけて働く道をさぐる、というのが地道ではあるが、確実な方策であるだろう。これは、フィリピンの問題というよりも、さらに世界的レベルでの貧困問題として考えなければならないことでもある。

登場した子どもたちが話していたのは英語ではなかった。別に英語が話せることがいいことだとは短絡的には思わないが、これは意図的に英語を使わない場面を選んであったということなのだろうか。

保護施設の日課のなかにお祈りの時間があった。具体的な宗教について言及はなかったのだが、このような子どもたちのために、宗教的な祈りの時間は必要なものだと思う。

ドラえもんが映っていた。フィリピンの子どもたちにも、ドラえもんは人気なのかと思う。

2024年9月19日記

「次郎さんの魚が笑ってる〜沖縄の陶工・金城次郎〜」2024-09-25

2024年9月25日 當山日出夫

時をかけるテレビ 次郎さんの魚が笑ってる〜沖縄の陶工・金城次郎〜

一九八七年の放送である。

人間国宝の陶工の話しではあるが、陶芸のことはあまり出てこない。その制作の現場を淡々と映すだけである。そして、その生活の背景にある、沖縄の人たちの生活の感覚が、じっくりと描いてある。

沖縄をあつかった番組で、特に太平洋戦争から現在の米軍基地の問題については、多くあつかわれる。その多くは、沖縄の人たちの怒りと悲しみということを描こうとしている。あるいは、そういう側面を強調しようとしている。

しかし、この番組では、ことさら沖縄の特殊性を強調しようとしていない。ただ黙々と陶芸の仕事をする陶工の、生活の感覚のなかに、(その当時の)沖縄の人たちの感じていることが、じんわりと伝わってくる。

こういう雰囲気のドキュメンタリー番組が、このごろでは少なくなったのかなと思うところがある。近年は、主張が明確でないといけない、というふうになってきているようだ。しかし、見ながらじっくりと感じて考えるというところのある番組はあっていいと思う。

洗骨については、島尾ミホの『海辺の生と死』で、非情に印象的に描かれていたのを思い出す。これは、奄美のことだが。

2024年9月24日記