「実録 山里の境界裁判 〜発見!江戸長期政権の秘密〜」2024-11-19

2024年11月19日 當山日出夫

英雄たちの選択 実録 山里の境界裁判 〜発見!江戸長期政権の秘密〜

これは面白かった。

たぶん、近世史の専門家、農山村の歴史とか法制史などに詳しい人なら、よく知っていることなのだろうと思う。

江戸時代の生活や政治について、どうイメージするか、というのはいろいろと興味深いところがある。封建的因習の暗黒社会と考える人は、もう今ではあまりいないかもしれない。とはいえ、江戸時代までの農民の歴史や生活がどんなものであったかということについては、一般的に知られるような形ではあまり明らかになっていないといっていいだろう。

江戸時代の農民……あるいは百姓といった方がいいだろうか……のイメージとしては、今でいう農耕定住民という暮らしをしていた、ということになる。(番組では言及していなかったが、旅に生活する人びともいたかと思うが)。それは、自立した性質を持ち、領主である藩に対しても、自分たちの言い分を主張する存在であった。ただ、(古風な言い方をすれば)一方的な封建的支配に搾取されるだけの存在ではなかった、ということになる。

村と村の争い、また、そこに藩がからんだような場合、幕府の評定所に訴えることができた。その権利……なにか問題があれば幕府に訴える権利があり、幕府は自分たちの暮らしを守ってくれるものであるという意識、これは、なるほどそういうものと理解できるのか、と思って見ていた。これは、近代的な市民意識や権利意識に通じるものではある。

しかし、西欧の啓蒙思想によって確立した人権という概念とはまたちがったものでもあろう。このような近世の日本における法意識というのが、どのようにして、近代以降の国民や市民としての感覚につながっていくことになったのかは、非常に興味深いところがある。

農業というのが、総合的な産業であるという視点も大事である。農業を維持するためには、近くに山野がなければならない。材木や燃料、肥料の確保のためである。(この番組では言っていなかったが)出来た農産物の流通も重要である。ただ、自給自足だけではなく、年貢とおさめた農産物(それは必ずしも米とは限らないはずだが)が流通しなければ、武士という支配層をふくめた社会全体がたちゆかない。

百姓が定住するようになって、つまり、奔ることがなくなって、家を建てるときに礎石を置くようになった。これは、そうなのだろうと思う。中世までの百姓は、奔るもの、逃散ということがあったはずだが、その実態はどのようなものだったのだろうか。

山林の測量技術も、江戸時代の初めにあのように精巧なものが作られていたということも驚きである。原理としては、方角の確定と、ピタゴラスの定理、ということになるのだが、それを実地に応用して、山林の立体図形を作りあげたというのは、すばらしい。(いまだったら、GIS技術、航空写真、衛星写真とか、あるいは、ドローンを使った点群データという方法を使うところかと思うが。)

江戸時代の庄屋の意識というのも、興味深い。中には強欲な人物もいたのかもしれないが、村のために身命をなげうって仕事をしている。こういう人たちの意識(地域社会について)が、その後の明治以降の、愛郷心、愛国心、また、勤労精神などにどうつながっていくのか、ということも重要であろう。さらにこれは、近代的な公共という意識の問題にもつながるものでもあろう。

2024年11月12日記

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