ハイケン内見 〜世界の町で部屋探し〜 「ロンドン」 ― 2026-02-13
2026年2月13日 當山日出夫
ハイケン内見 〜世界の町で部屋探し〜 「ロンドン」
以前、ローマで作ったのを見て、面白い視点の番組だなと思ったのだが、シリーズで続くようである。録画しておいて見た。
ロンドンというと、まず、今の英国の移民政策の結果がどうなっているのか、日常の人びとの生活がどうなのか、というあたりが気になるところなのだが、番組としては、こういうところには踏み込まずに作ってある。
だが、そうはいっても、ビクトリア朝時代の家を、十数億円以上するのだが、それを二つ買って、改装して使おうというお金持ちがいて、ロンドンに家を持ちたいというのは、まあ、今の世界なんだろうなあ、とは思う。
この回で登場していたのは、古い家が多かった。ロンドンは、第二次世界大戦のときのドイツの空襲があったが、そう大きく被害を受けたということではなく(東京やベルリンに比べればということになるが)、昔からの建築が多く残っている。
庭とかプライベートな公園とか、こういうことを強く意識するのは、ロンドンの生活ということになるのだろう。
ビクトリア朝時代の人びとは、洗濯をどうやってしていたのだろうか。今の時代の洗濯機を置く場所が無い。やむをえずキッチンに設置するということだった。昔は、洗濯機などなかったから、手で洗っていたはずである。しかし、その洗濯のためにタライ(がイギリスにもあるだろうと思うが)を、どこにおいていたのだろうか。洗濯を請け負う、下層の労働者がいたということなのだろうか。
また、昔の建物では、上下水道はいつごろから、どのように設置されたのかということも気になる。(ロンドンでは、昔は、テムズ川の水が汚かったとは言われていることだと思っている。窓から汚物を捨てるということもあったのだろうか。)
昔の倫敦は、かつて夏目漱石が留学していたころの面影をとどめている。
それにしても家賃も、家の値段も高い。東京でも住宅価格の高騰が言われているが、それ以上である。こういう街に、若い人たちはどうやって住んでいるのだろうか。シェアハウスということになるか、それとも、本当の安アパートということになるのか。
番組ではあつかっていなかったが、イギリスに新たに移民としてやってきたような人たちは、どこでどんな生活をしているのだろうか。お金持ちの生活も気になるが、むしろ、中流以下の多くの人たちの生活ぶりが、重要なことかと思っている。
お金持ちの人のために、住まいの内見を仕事にするビジネスがある、というが、これは、日本でもあるのかとも思う。そう表向きに、看板を掲げる仕事ではないだろうが、高級住宅の販売にかかわるいろんな仕事があるにちがいないとも思うところである。
2026年2月9日記
ハイケン内見 〜世界の町で部屋探し〜 「ロンドン」
以前、ローマで作ったのを見て、面白い視点の番組だなと思ったのだが、シリーズで続くようである。録画しておいて見た。
ロンドンというと、まず、今の英国の移民政策の結果がどうなっているのか、日常の人びとの生活がどうなのか、というあたりが気になるところなのだが、番組としては、こういうところには踏み込まずに作ってある。
だが、そうはいっても、ビクトリア朝時代の家を、十数億円以上するのだが、それを二つ買って、改装して使おうというお金持ちがいて、ロンドンに家を持ちたいというのは、まあ、今の世界なんだろうなあ、とは思う。
この回で登場していたのは、古い家が多かった。ロンドンは、第二次世界大戦のときのドイツの空襲があったが、そう大きく被害を受けたということではなく(東京やベルリンに比べればということになるが)、昔からの建築が多く残っている。
庭とかプライベートな公園とか、こういうことを強く意識するのは、ロンドンの生活ということになるのだろう。
ビクトリア朝時代の人びとは、洗濯をどうやってしていたのだろうか。今の時代の洗濯機を置く場所が無い。やむをえずキッチンに設置するということだった。昔は、洗濯機などなかったから、手で洗っていたはずである。しかし、その洗濯のためにタライ(がイギリスにもあるだろうと思うが)を、どこにおいていたのだろうか。洗濯を請け負う、下層の労働者がいたということなのだろうか。
また、昔の建物では、上下水道はいつごろから、どのように設置されたのかということも気になる。(ロンドンでは、昔は、テムズ川の水が汚かったとは言われていることだと思っている。窓から汚物を捨てるということもあったのだろうか。)
昔の倫敦は、かつて夏目漱石が留学していたころの面影をとどめている。
それにしても家賃も、家の値段も高い。東京でも住宅価格の高騰が言われているが、それ以上である。こういう街に、若い人たちはどうやって住んでいるのだろうか。シェアハウスということになるか、それとも、本当の安アパートということになるのか。
番組ではあつかっていなかったが、イギリスに新たに移民としてやってきたような人たちは、どこでどんな生活をしているのだろうか。お金持ちの生活も気になるが、むしろ、中流以下の多くの人たちの生活ぶりが、重要なことかと思っている。
お金持ちの人のために、住まいの内見を仕事にするビジネスがある、というが、これは、日本でもあるのかとも思う。そう表向きに、看板を掲げる仕事ではないだろうが、高級住宅の販売にかかわるいろんな仕事があるにちがいないとも思うところである。
2026年2月9日記
おとなのEテレタイムマシン「教育テレビスペシャル 横尾忠則と瀧と冒険」 ― 2026-02-13
2026年2月13日 當山日出夫
おとなのEテレタイムマシン「教育テレビスペシャル 横尾忠則と瀧と冒険」
1993年の放送である。
芸術をテレビの番組であつかうのは、とても難しいことだと思っている。
横尾忠則は、若いときから名前は知っているし、その作品は、多く目にすることがあった。非常に前衛的な芸術家というイメージである。
番組は、瀧、ということについて、横尾忠則がどう感じているか、そして、それを、自分の作品にどう表現しようとしているか、というところに焦点をしぼって作ってあった。
芸術家が、自分はこう思う、こう感じる、と自ら語ることと、それを見る人が、そこから何を感じるかということは、通じるところもあり、また、すれちがうこともある。作家の自作の解説というのは、あてにならないものだというのが、私の認識である。
瀧にどんなことを感じているのか。アニミズムに近い感覚といっていいだろうか。水の流れに、自然の生命を感じとるということは、日本の風土(といっておくが)においては自然なことかもしれない。
横尾忠則の、(はっきりと書いてしまえば)いったい何がなんだかよく分からないという印象の作品の背景に、昔から続いてきたような素朴な自然観があってのこと、ということは理解できるかと思う。
2026年2月11日記
おとなのEテレタイムマシン「教育テレビスペシャル 横尾忠則と瀧と冒険」
1993年の放送である。
芸術をテレビの番組であつかうのは、とても難しいことだと思っている。
横尾忠則は、若いときから名前は知っているし、その作品は、多く目にすることがあった。非常に前衛的な芸術家というイメージである。
番組は、瀧、ということについて、横尾忠則がどう感じているか、そして、それを、自分の作品にどう表現しようとしているか、というところに焦点をしぼって作ってあった。
芸術家が、自分はこう思う、こう感じる、と自ら語ることと、それを見る人が、そこから何を感じるかということは、通じるところもあり、また、すれちがうこともある。作家の自作の解説というのは、あてにならないものだというのが、私の認識である。
瀧にどんなことを感じているのか。アニミズムに近い感覚といっていいだろうか。水の流れに、自然の生命を感じとるということは、日本の風土(といっておくが)においては自然なことかもしれない。
横尾忠則の、(はっきりと書いてしまえば)いったい何がなんだかよく分からないという印象の作品の背景に、昔から続いてきたような素朴な自然観があってのこと、ということは理解できるかと思う。
2026年2月11日記
NHKアカデミア「篠田謙一(後編)目指すのは“科学を文化に”」 ― 2026-02-13
2026年2月13日 當山日出夫
NHKアカデミア「篠田謙一(後編)目指すのは“科学を文化に”」
後編である。見ながら思ったことを書いてみる。
まず、最初のところで、東京都で発掘された人骨……建築などのための調査で見つかる……が、年に1000体ぐらいあって、それが科博に集まってくるということだった。東京の地下から見つかるということだから、中世から近世にかけてのものが多いことになる。
他の都道府県の場合は、どういうシステムになっているのだろうか。きちんと保管して、研究することになっているのだろうか。
科博の仕事は、標本を集めて後世に残すことにある。これは、価値のあることである。後世に残すということは、自分が死んだ後の、将来の人びと(研究者だけでなく)のため、と理解していいだろう。こういうことで、今の自分の仕事を考えられるというのは、とてもいいことである。えてして、今の自分の仕事は、自分が生きている間だけのこと、というものが多い。
科博に学芸員がいない、ということは始めて知った。ただ、展示の実際の作業などは、どうなっているのだろうか。博物館、美術館の関係だと、展示の設営を専門にやってくれる業者があるのだが、科博の場合、その作業は実際にはどういう手順で作られるのだろうか。
専門家が学会などで、専門家同士で集まって話しをすると、どんどん狭い方向に行く。それは、そのとおりである。(私の場合、学会に出ることはもうなくなってしまったが、出てもほとんど文字のことしか話題にしないような人間である。どうしても、こういう研究者ばかりが集まることになる。)
専門家ではなく、一般の人たちに向けて(老若男女問わず)、話しをしなければならないというのは、やはり、大学などの研究者とは、ちょっと違うところだなと思う。
クラウドファンディングのことは、記憶にある。科博が経営難になるという事態に、おどろいたものである。
科学を文化に、ということは、大筋では賛成できる。まあ、学校で教えるから嫌いになる。サッカーを体育から外に出す。これは、そのとおりだと思う。
これからの時代に必要なことは、特にAIの時代になって人間に何が必要かとなると、私が考えることとしては……サイエンスの考え方を理解することと、芸術的感性を身につけること、だと思っている。サイエンスの方法論では、どう考えることになるのか、それで分かることと分からないことは何であるのか、これはとても大事なことになるだろう。そして、芸術的、哲学的な、直感力、洞察力というものが、重要な意味を持ってくるにちがいない。
なお、私は、サイエンスというのを、自然科学の狭い範囲でとらえておきたい。そして、人文科学という言い方はしない。人文学ということにしている。また、この人文学の中には、いわゆる社会科学をふくめておきたい。
2026年2月11日記
NHKアカデミア「篠田謙一(後編)目指すのは“科学を文化に”」
後編である。見ながら思ったことを書いてみる。
まず、最初のところで、東京都で発掘された人骨……建築などのための調査で見つかる……が、年に1000体ぐらいあって、それが科博に集まってくるということだった。東京の地下から見つかるということだから、中世から近世にかけてのものが多いことになる。
他の都道府県の場合は、どういうシステムになっているのだろうか。きちんと保管して、研究することになっているのだろうか。
科博の仕事は、標本を集めて後世に残すことにある。これは、価値のあることである。後世に残すということは、自分が死んだ後の、将来の人びと(研究者だけでなく)のため、と理解していいだろう。こういうことで、今の自分の仕事を考えられるというのは、とてもいいことである。えてして、今の自分の仕事は、自分が生きている間だけのこと、というものが多い。
科博に学芸員がいない、ということは始めて知った。ただ、展示の実際の作業などは、どうなっているのだろうか。博物館、美術館の関係だと、展示の設営を専門にやってくれる業者があるのだが、科博の場合、その作業は実際にはどういう手順で作られるのだろうか。
専門家が学会などで、専門家同士で集まって話しをすると、どんどん狭い方向に行く。それは、そのとおりである。(私の場合、学会に出ることはもうなくなってしまったが、出てもほとんど文字のことしか話題にしないような人間である。どうしても、こういう研究者ばかりが集まることになる。)
専門家ではなく、一般の人たちに向けて(老若男女問わず)、話しをしなければならないというのは、やはり、大学などの研究者とは、ちょっと違うところだなと思う。
クラウドファンディングのことは、記憶にある。科博が経営難になるという事態に、おどろいたものである。
科学を文化に、ということは、大筋では賛成できる。まあ、学校で教えるから嫌いになる。サッカーを体育から外に出す。これは、そのとおりだと思う。
これからの時代に必要なことは、特にAIの時代になって人間に何が必要かとなると、私が考えることとしては……サイエンスの考え方を理解することと、芸術的感性を身につけること、だと思っている。サイエンスの方法論では、どう考えることになるのか、それで分かることと分からないことは何であるのか、これはとても大事なことになるだろう。そして、芸術的、哲学的な、直感力、洞察力というものが、重要な意味を持ってくるにちがいない。
なお、私は、サイエンスというのを、自然科学の狭い範囲でとらえておきたい。そして、人文科学という言い方はしない。人文学ということにしている。また、この人文学の中には、いわゆる社会科学をふくめておきたい。
2026年2月11日記
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