『どんど晴れ』「競い合いの決着」 ― 2026-02-08
2026年2月8日 當山日出夫
『どんど晴れ』「競い合いの決着」
結局、彩華は、夏美との女将修行の競争に負けをみとめて、加賀美屋から去って行った。こうなるであろうことは、あらかじめわかっているというか、十分に予想できることなので、そうだろうなあと思って見ていたことになる。
ちょっと気になることがある。
彩華のお母さんの病気は、どうなのだろうか。高額の治療費が必要というような病気なら、そう簡単に退院してということは難しいかと思うが。
また、その治療費のために、彩華が、借金取りに追われているということだったが、これは、きちんと法的に決着をつけておいた方がよかったかと思うところである。そのための、弁護士とかのことを、柾樹が相談に乗る、という筋であった方が、納得できる。
それから、やはり気になるのが、柾樹のこと。これまでのドラマの内容だと、横浜のホテルで、イベント関係の仕事をしてきているのだが、具体的な接客とか、ホテルのサービスに関することとか、あるいは、ホテルの経営についてとか、具体的にかかわってきて知識と経験を積んできたということではない。それで、加賀美屋にもどって、盛岡の老舗旅館のおもてなしとはいかなるものか、ということを論じても、あまり説得力がない。
次週以降、加賀美屋の経営の改革を手がけるということなら、この時代のこととしては、柾樹がMBAの資格を持っているぐらいの設定の方がいいのかもしれないとは、思うところである。
2026年2月7日記
『どんど晴れ』「競い合いの決着」
結局、彩華は、夏美との女将修行の競争に負けをみとめて、加賀美屋から去って行った。こうなるであろうことは、あらかじめわかっているというか、十分に予想できることなので、そうだろうなあと思って見ていたことになる。
ちょっと気になることがある。
彩華のお母さんの病気は、どうなのだろうか。高額の治療費が必要というような病気なら、そう簡単に退院してということは難しいかと思うが。
また、その治療費のために、彩華が、借金取りに追われているということだったが、これは、きちんと法的に決着をつけておいた方がよかったかと思うところである。そのための、弁護士とかのことを、柾樹が相談に乗る、という筋であった方が、納得できる。
それから、やはり気になるのが、柾樹のこと。これまでのドラマの内容だと、横浜のホテルで、イベント関係の仕事をしてきているのだが、具体的な接客とか、ホテルのサービスに関することとか、あるいは、ホテルの経営についてとか、具体的にかかわってきて知識と経験を積んできたということではない。それで、加賀美屋にもどって、盛岡の老舗旅館のおもてなしとはいかなるものか、ということを論じても、あまり説得力がない。
次週以降、加賀美屋の経営の改革を手がけるということなら、この時代のこととしては、柾樹がMBAの資格を持っているぐらいの設定の方がいいのかもしれないとは、思うところである。
2026年2月7日記
『マッサン』「内助の功」 ― 2026-02-08
2026年2月8日 當山日出夫
『マッサン』「内助の功」
この週で、マッサンは、住吉酒造を辞める。
ウイスキー作りを会社の仕事として認めてもらえるように、マッサンは、いろいろと画策するし、エリーも助けるのがだ、結局、株主の同意を得ることができなかった。
ウイスキーの製造には、原酒を造るための初期投資がかなりかかる。そして、それが、製品として売れるようになるには、さらに数年の熟成期間が必要である。
これは、毎年、作って売れる日本酒とか、ワイン(これも年代物ということはあるが)のようにはいかない。会社として、将来どうなるかわからないことに、多額の投資をすることは避ける、というのも、賢明な判断かもしれない。
ところで、気になるのは、住吉酒造は、太陽ワインが、メインの商品ということなのだが、これは、どんなふうにして作っているのだろうか。ドラマの筋として、ウイスキー作りがメインであるから、その工程については説明があったのだが、この時代の、日本のワインの作り方や販売については、まったく説明がない。ここは、ドラマを作るうえで、手をはぶいたところかとも思うのだが、できれば、ワインについても、どうだったか説明があった方がよかったかと思う。
エリーは、なんとかマッサンの役に立とうとするのだが、今のところ、家のこと(家事)ぐらいしかすることがない。せいぜい、ウイスキーにあう料理を、日本の食材で考えることぐらいである。
全体的に見て、このドラマの前半では、マッサンはポンコツであるのだが、しかし、こんなポンコツの男が、北海道に行って本格的にウイスキーを作るようになるのは、これからの楽しみということになる。
2026年2月7日記
『マッサン』「内助の功」
この週で、マッサンは、住吉酒造を辞める。
ウイスキー作りを会社の仕事として認めてもらえるように、マッサンは、いろいろと画策するし、エリーも助けるのがだ、結局、株主の同意を得ることができなかった。
ウイスキーの製造には、原酒を造るための初期投資がかなりかかる。そして、それが、製品として売れるようになるには、さらに数年の熟成期間が必要である。
これは、毎年、作って売れる日本酒とか、ワイン(これも年代物ということはあるが)のようにはいかない。会社として、将来どうなるかわからないことに、多額の投資をすることは避ける、というのも、賢明な判断かもしれない。
ところで、気になるのは、住吉酒造は、太陽ワインが、メインの商品ということなのだが、これは、どんなふうにして作っているのだろうか。ドラマの筋として、ウイスキー作りがメインであるから、その工程については説明があったのだが、この時代の、日本のワインの作り方や販売については、まったく説明がない。ここは、ドラマを作るうえで、手をはぶいたところかとも思うのだが、できれば、ワインについても、どうだったか説明があった方がよかったかと思う。
エリーは、なんとかマッサンの役に立とうとするのだが、今のところ、家のこと(家事)ぐらいしかすることがない。せいぜい、ウイスキーにあう料理を、日本の食材で考えることぐらいである。
全体的に見て、このドラマの前半では、マッサンはポンコツであるのだが、しかし、こんなポンコツの男が、北海道に行って本格的にウイスキーを作るようになるのは、これからの楽しみということになる。
2026年2月7日記
『ばけばけ』「マツエ、スバラシ。」 ― 2026-02-08
2026年2月8日
『ばけばけ』「マツエ、スバラシ。」
ヘブンさんは、松江を去る決心をしたようである。
その理由は、いろいろとあるようだ。
一つには、松江の冬の寒さである。その前の松江の冬は記録的な寒さだった。この冬はどうなるかわからないが、ヘブンさんにとっては、松江の冬は、とても耐えられないということなのだろう。
それから、松江の街における、ヘブンさんとおトキ、松野の一家をめぐるウワサがある。おトキはラシャメンである、というウワサがたって、ヘブンさんたちの生活にも支障が出る。こんな松江の街は離れたいというのが、おそらくは、ヘブンさんの本当の気持ちかもしれない。
この時代(明治の20年過ぎ)の松江の街だったら、おトキのような境遇の女性が、ラシャメンと思われても、これはこれで自然なことだっただろう。また、借金をかかえた没落士族の娘が、お金持ちと結婚して、ということもあっただろう。結婚ということではなく、妾ということも実際にはあったかと思われる。
現在の価値観では、結婚ということを、あまりにも杓子定規に考えすぎるところがある。明治のこのころであれば、もうちょっと違ったものだったかとも思われる。これは、日本における婚姻史、家族史、というようなことになるのだが、どれぐらいのことが分かっているだろうか。すでに戸籍の制度はあったが、形式的に戸籍に記載するかどうか、ということと、実際の人びとの生活の感覚は違っていたとも思える。
だが、ドラマの作り方としては、ラシャメンと呼ばれ、世間から非難されるようになったおトキをかばうヘブンさん、ということで作ってある。これはこれで、現在におけるドラマの筋書として、こうであってもいい。
そのウワサも、食い逃げ知事に変わり、それも、力士の心中事件に変わっていく。人のウワサとは、こういうものである。
それよりも、この脚本でたくみだなと感じるのは、最後の金曜日に、ヘブンさんとおトキが怪談を、フミさんから聞くシーン。お城の城壁の人柱になった女性の話であった。松江の街には、このような残酷な話が、地下に埋まっている。
宍道湖のほとりをヘブンさんとおトキが散歩していた。二人が一緒に散歩できる日常がとても大切なものとして描かれている。だが、このような日常は、非常にもろいものでもある。
日常の平穏は、人のウワサで壊れてしまう。また、その街には、過去の残酷な歴史があってのことでもある。ごく普通の日常の生活の大切さを描くということでは、このドラマは、一段と深いところから見ていることになる。
錦織は、松江の中学校の校長になるようだ。実際には、帝大を卒業していないのだが、そこは、江藤知事の辣腕でことをはこぶらしい。
教室で、錦織は、「帝大を出た庄田先生や私も……」と言っていた。これは、微妙な言い方である。「帝大を出た」が「庄田先生」だけにかかるのか、「庄田先生や私も」までふくめてかかるのか、どちらともとれる言い回しなっている。
錦織の弟(中学生である)は、兄の経歴について知っているはずだが、さて、どうなるだろうか。
借金も返したし、ヘブン先生の本もできたし、錦織も校長になりそうだし、おそらく、松江をはなれる準備はできたということでいいのかと思う。
このドラマは、画面が暗い。月曜日の、借金を返し終わったときのパーティーのシーンは、夜になっていたが、ランプや行灯の照明だけの演出であった。実際には、もっと暗かったかもしれないが、たぶん、昔の夜の室内は暗かったということに作ってあった。普通のドラマだと、料理のメニューが分かるような明るい画面に作るところだが、『ばけばけ』では、おそらくは意図的に夜のシーンは、暗いものにしている。怪談の蝋燭もそうである。昔の人の、夜の暗さについての感覚を描こうとしていると理解していいだろう。
登場人物が日常の生活で手を動かして仕事をしている、ということは、ドラマのリアリティにとって、とても意味がある。この週では、おトキが、台所でお米をといでいる。洗ったお皿を布巾でふいている。神棚の灯明に火をともす。また、ヘブンさんの本がとどくときには、廊下の雑巾がけをしていたりする。こういう日常的な家事の所作が、それらしく(明治のころの松江のヘブンさんの家らしく)描かれているということは、意味がある。
ちょっと気になることとしては、ヘブンさんとおトキたちが困っているなら、花田旅館の人たちが、助けに来てくれてもいいかもしれないと思えるのだが、登場していなかった。花田旅館では、ウメさんがどうなるかということも気になる。そろそろお見合いの話があってもいいかもしれない。
月曜日、雨清水のおタエ様のところに、ヘブンさんからお金がとどけられていた。おタエ様たちの生活も、なんとかなっているようだ。このときに映っていた、封筒には、ヘブンさんの字で雨清水様とあって、ハンコがおしてあった。以前に、おリヨ様と一緒に作ったハンコだろう。ヘブンさんは、大事に持っていたことになる。こういう小道具の使い方が、うまいと思う。
2026年2月7日記
『ばけばけ』「マツエ、スバラシ。」
ヘブンさんは、松江を去る決心をしたようである。
その理由は、いろいろとあるようだ。
一つには、松江の冬の寒さである。その前の松江の冬は記録的な寒さだった。この冬はどうなるかわからないが、ヘブンさんにとっては、松江の冬は、とても耐えられないということなのだろう。
それから、松江の街における、ヘブンさんとおトキ、松野の一家をめぐるウワサがある。おトキはラシャメンである、というウワサがたって、ヘブンさんたちの生活にも支障が出る。こんな松江の街は離れたいというのが、おそらくは、ヘブンさんの本当の気持ちかもしれない。
この時代(明治の20年過ぎ)の松江の街だったら、おトキのような境遇の女性が、ラシャメンと思われても、これはこれで自然なことだっただろう。また、借金をかかえた没落士族の娘が、お金持ちと結婚して、ということもあっただろう。結婚ということではなく、妾ということも実際にはあったかと思われる。
現在の価値観では、結婚ということを、あまりにも杓子定規に考えすぎるところがある。明治のこのころであれば、もうちょっと違ったものだったかとも思われる。これは、日本における婚姻史、家族史、というようなことになるのだが、どれぐらいのことが分かっているだろうか。すでに戸籍の制度はあったが、形式的に戸籍に記載するかどうか、ということと、実際の人びとの生活の感覚は違っていたとも思える。
だが、ドラマの作り方としては、ラシャメンと呼ばれ、世間から非難されるようになったおトキをかばうヘブンさん、ということで作ってある。これはこれで、現在におけるドラマの筋書として、こうであってもいい。
そのウワサも、食い逃げ知事に変わり、それも、力士の心中事件に変わっていく。人のウワサとは、こういうものである。
それよりも、この脚本でたくみだなと感じるのは、最後の金曜日に、ヘブンさんとおトキが怪談を、フミさんから聞くシーン。お城の城壁の人柱になった女性の話であった。松江の街には、このような残酷な話が、地下に埋まっている。
宍道湖のほとりをヘブンさんとおトキが散歩していた。二人が一緒に散歩できる日常がとても大切なものとして描かれている。だが、このような日常は、非常にもろいものでもある。
日常の平穏は、人のウワサで壊れてしまう。また、その街には、過去の残酷な歴史があってのことでもある。ごく普通の日常の生活の大切さを描くということでは、このドラマは、一段と深いところから見ていることになる。
錦織は、松江の中学校の校長になるようだ。実際には、帝大を卒業していないのだが、そこは、江藤知事の辣腕でことをはこぶらしい。
教室で、錦織は、「帝大を出た庄田先生や私も……」と言っていた。これは、微妙な言い方である。「帝大を出た」が「庄田先生」だけにかかるのか、「庄田先生や私も」までふくめてかかるのか、どちらともとれる言い回しなっている。
錦織の弟(中学生である)は、兄の経歴について知っているはずだが、さて、どうなるだろうか。
借金も返したし、ヘブン先生の本もできたし、錦織も校長になりそうだし、おそらく、松江をはなれる準備はできたということでいいのかと思う。
このドラマは、画面が暗い。月曜日の、借金を返し終わったときのパーティーのシーンは、夜になっていたが、ランプや行灯の照明だけの演出であった。実際には、もっと暗かったかもしれないが、たぶん、昔の夜の室内は暗かったということに作ってあった。普通のドラマだと、料理のメニューが分かるような明るい画面に作るところだが、『ばけばけ』では、おそらくは意図的に夜のシーンは、暗いものにしている。怪談の蝋燭もそうである。昔の人の、夜の暗さについての感覚を描こうとしていると理解していいだろう。
登場人物が日常の生活で手を動かして仕事をしている、ということは、ドラマのリアリティにとって、とても意味がある。この週では、おトキが、台所でお米をといでいる。洗ったお皿を布巾でふいている。神棚の灯明に火をともす。また、ヘブンさんの本がとどくときには、廊下の雑巾がけをしていたりする。こういう日常的な家事の所作が、それらしく(明治のころの松江のヘブンさんの家らしく)描かれているということは、意味がある。
ちょっと気になることとしては、ヘブンさんとおトキたちが困っているなら、花田旅館の人たちが、助けに来てくれてもいいかもしれないと思えるのだが、登場していなかった。花田旅館では、ウメさんがどうなるかということも気になる。そろそろお見合いの話があってもいいかもしれない。
月曜日、雨清水のおタエ様のところに、ヘブンさんからお金がとどけられていた。おタエ様たちの生活も、なんとかなっているようだ。このときに映っていた、封筒には、ヘブンさんの字で雨清水様とあって、ハンコがおしてあった。以前に、おリヨ様と一緒に作ったハンコだろう。ヘブンさんは、大事に持っていたことになる。こういう小道具の使い方が、うまいと思う。
2026年2月7日記
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