最古のDNAを探せ ― 2026-04-14
2026年4月14日 當山日出夫
最古のDNAを探せ
再放送である。最初は、2024年6月14日。
たまたま番組表を見ていて目にとまったので録画しておいた。
わりと面白かった。というか、科学番組としてそこそこきちんとしていた、というべきだろうか。
出てきていたのは、ヴィラースレフという人。正直にいって、名前を知らなかったので検索してみると、きちんとした研究者である(らしい)。番組に協力しているのは、更科功。古代生物、進化論、などについて、いくつか啓蒙的な本を書いている。
グリーンランドの土を調べることによって、200万年前の、北極圏の生物の様相が分かる、というのは、とても興味深い。
土の中に古い遺伝子が残るとして、非常に断片化しているので、特定の生物のものと見極めるのが難しい。それをショットガン方式で……私の理解したところでは、総当たり的な方法ということになるだろうか……調べてみると、非常にたくさんの動植物のDNAが見つかった。
番組では、あまり触れていなかったが、その年代の特定は、どうやって分かったのだろうか。まずは、サンプルを採った地質についてのことがあるだろうが、その他のことは、具体的にどうやって調べたのだろうか。ここのところは、本当に信頼できることなのか、重要なことだと思うが、番組の中であまり説明がなかったのはおしい。
なぜ、200万年もの間、DNAが保存されていたのかというと、電気をおびているからだということだが、DNA……ATGCからなる……が、電気をおびている理由の説明がほしかった。
この他のことは、古代生物学とか、古気候学とか、地質学とか、多様な分野の研究の総合として、200万年前の北極圏は、今よりずっと暖かく、植物が豊富で、動物もたくさんいたということになるようだ。
ラクダがいたというのは、面白い。ラクダは、沙漠で生きていくように進化したと思っていたが、背中のこぶに脂肪をたくわえられるのは、白夜のある北極圏で生き抜くために役だったということのようだ。(本当なのだろうか)。
番組の趣旨とは関係ないが、面白かったのは、研究チームに加わるか、どうしようかということが、博士号をめざす大学院生にとって、運命の分かれ目になるという、研究者の世界の現実を描いていたことである。結果的には、この研究チームは、あたり、ということになったが、すぐに結果が出たわけではないので、それまでに不運な目にあった若手の研究者がいたことになる。
地球温暖化と言われているのだが、もっとも大事なことは、人間が産業革命をおこさなくても、地球の環境は変化してきていることである。地球温暖化という場合には、もし人間の活動が無かったした場合、自然な変化として、現在の地球の環境はどうであるはずだと、精度の高い推定が可能になって、それと、現在のこととの比較でなければ、科学的には意味がないはずである。
2026年4月10日記
英雄たちの選択「円谷英二 時代がつくった“特撮の神様”」 ― 2026-04-14
2026年4月14日 當山日出夫
英雄たちの選択「円谷英二 時代がつくった“特撮の神様”」
番組の内容とははずれるが、思ったことを書いておく。
この番組の企画・構成にあたって、考えてのことだろうが、金城哲夫や実相寺昭雄の名前がまったく出てきていなかった。しかし、私が、ウルトラマンやウルトラセブンについて何かを思うとき、金城哲夫や実相寺昭雄を考えることにどうしてもつながる。もちろん、子どものとき、ちょうど、テレビのウルトラのシリーズが放送していたとき……それは、「ウルトラQ」からだったのをリアルタイムのこととして記憶しているが……金城哲夫とか実相寺昭雄の名前を意識して見ていたということではない。大学生ぐらいになってから、日本のサブカルチャーや映画史を論じたものを読んで、名前を覚えたということである。おそらく、多くの人がそうだろうと思う。
佐藤健志の『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』は、とても面白い本と思って読んだものである。
映画の『ゴジラ』の企画について説明する場面で、テレビの画面のイラストでは、映画会社(東宝)の机の上の本には、(「ゴジラ」ではなく)「G」と書いてあった。かなり、この番組を作った人も、凝って作ったことが分かる。
円谷英二が、『ハワイ・マレー沖海戦』で名前が知られた。これは知られていることなのだが、この映画で「マレー沖」とあることの意味が、今は、忘れられているかもしれない。
マレー沖海戦では、イギリスの戦艦、プリンス・オブ・ウェールズを航空機爆撃だけで沈めたことで記憶されている。(このことがあるにもかかわらず、日本海軍が巨大戦艦にこだわったことになる。その結果は言うまでもない。)
太平洋戦争がはじまったのは、真珠湾攻撃からではない。それに先だって(時間的にはわずかだが)マレー半島上陸作戦から、スタートしている。日本としては、南方に進出する必要があった。そのために、同時に、真珠湾のアメリカ軍を奇襲した。アメリカと直接対決することが、主目的ではなかった。少なくとも、太平洋戦争開戦の意図、あるいは、大東亜共栄圏の目論見としては、東南アジア地域を勢力圏におくことだったはずである。(それは、アメリカの勢力の排除ということでは、アメリカとの対決になったが。)
開戦が12月8日となったのは、マレー半島への上陸作戦を決行するために、潮の干満を考えてのことだったはずである。軍事史的には、これが常識だと思っているが。
『新しき土』は、原節子の映画としても有名である。この映画の、映画史的な位置づけは、専門的にはどうなのだろうか、このところは気になっている。
円谷英二についてふりかえってみるならば、表現するとは楽しいことであり、表現したいことを自分のうちに持っているということは豊かなことなのである、といっていいだろうか。
2026年4月9日記
100分de名著「ウィトゲンシュタイン“論理哲学論考”“哲学探究” (1)言語の限界はどこにある?」 ― 2026-04-14
2026年4月14日 當山日出夫
100分de名著「ウィトゲンシュタイン“論理哲学論考”“哲学探究” (1)言語の限界はどこにある?」
私の学生のころ、一部の学生の間では、ウィトゲンシュタインは、とても人気があった。だが、そのころは、あまり読もうとは思わなかった。(それよりも、折口信夫や柳田国男などを読んでいた。慶應の国文科の学生としては、そういうことだった。)
この番組を見るようになってかなりたつが、だんだんと見方が変わってきたのを自分で感じる。啓蒙的で、分かりやすい解説、という趣旨での番組だということは理解しているのだが、どういう本をとりあげて、どういうことを語るのか、ということもあるのだが、それを、どんな人がどう語るのか、ということを見ているのが面白くなってきている。
特に哲学関係の書物については、語りかたが難しい。その哲学者の書いたことを、分かりやすく解説する、ということが一般的なのだが、それに加えて、その考え方が哲学の世界ではどういう意味があることなのか、それについて他の哲学者はどう言っているのか、さらに、自分(この番組の講師である人)はどう考えているのか、こういうことを、きっちりと分けて語るということもある。こういう立場では、最近だと、ヤスパース『哲学入門』の戸谷洋二が、そうだった。
このウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の第一回を見ると、古田徹也は、自分の意見を基本的に言っていない。あくまでもウィトゲンシュタインが書いたこと、考えたことを、分かりやすく解説するとどういうことなのか、という路線を堅持している。これはこれで、ものすごく難しいことなのだが、見事である。
これまでのこの番組では、あつかっている本や作家をダシにして、ただ自分の言いたいことを話す人も結構たくさんいた。私は、こういうのは、あまり好きではない。
ウィトゲンシュタインであるが、言語とは何であるか、という観点からするならば、その言語観自体が、きわめてオーソドックスなものかと思えるが、これは、言語学と哲学との間で、どのように考えることになるのだろうか。(若かったならば、生成文法からはどうか、認知言語学からはどうか、というようなことを考えてみることになったと思うが、もう、そんな面倒なことはいやになったので、ただ、ぼんやりとテレビを見ているだけにしたい。)
2026年4月11日記
『太平記』「芽生え」 ― 2026-04-14
2026年4月14日 當山日出夫
『太平記』「芽生え」
日曜日の昼に、『太平記』の再放送と『豊臣兄弟!』を続けて見ると、はっきり言って、『太平記』の方が、ドラマとして断然できがいい。クオリティが違う。あるいは、描いている人間観というか、時代と人間についての感覚というか、こんなにも違うものなのかと感じる。
歴史の中で、どのような時代に生まれるかは運命である。だが、その運命をひきうけつつも、時代の流れの中で、どう生きるのか、その回りにはどんな人たちがいるのか、そして、その中で人間とはどういうものなのか……こういうことの、全体の描き方の深さと広さが違う。
当時の鎌倉時代末期における政治の権力の中で、足利氏として生きのびるにはどうするべきなのか、高氏の生きている時代のことであるが、さてどう生きるかは、難しい。
そして、これは吉川英治の原作としての特徴になるだろうが、社会的階層、身分において、多様性がある(今風のことばいえば、であるが。)謎の山伏であったり、旅芸人の一座であったり、社会の身分秩序の枠の外にいる人物が、非常にうまく配置されている。
1991年のドラマであるが、古風なことばでいえば、ビルドゥングスロマン(教養小説)の雰囲気を多く持っている。そういえば、昔の、大河ドラマや、朝ドラは、なにがしか教養小説的であった。
緒形拳が、非常にいい。貫禄である。また、宮沢りえが若々しくてとてもいい。
『豊臣兄弟!』と比べて、決定的に違っているのは、『太平記』には「大人」が出てきていることである。「大人」の世界があって、それを前にして、少年・少女、青年たちがいる。高氏であり、藤夜叉である。
2026年4月13日記
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