ドキュメント20min.「絶対に正体を明かさない画家 山本一雄」2026-04-09

2026年4月9日 當山日出夫

ドキュメント20min.「絶対に正体を明かさない画家 山本一雄」

見てまず思うことは、山本一雄という画家が、長島愛生園にいる、という情報だけで十分だと思うのだが、しかし、今の時代だと、どうしても最低限の説明は必要ということだったのかと思う。説明があって邪魔だということではないが、どれだけのことを説明的に語るかは、難しい判断かなとは思う。私は、長島愛生園というだけで、ほぼ事情は理解できるかと思うのだが、分からない人もいるにはちがいない。

面相筆は、細い線を描いたりするときに使う筆であるが、それで、油絵の具をこってりと塗り重ねるというのは、技法としても、かなり特殊なのかなと思う。油絵というのは、絵の具の盛り上がりが立体的である。絵画ではあるが、平面ではなく、立体(3D)である。作品全体の構図や色調もいいのだが、一つ一つの絵の具の盛り上がりが、描いている人の情念を感じさせる。

2026年4月7日記

ブラタモリ「皇居・江戸城本丸跡▼徳川幕府が築いた天下泰平の秘密に迫る!」2026-04-09

2026年4月9日 當山日出夫

ブラタモリ「皇居・江戸城本丸跡▼徳川幕府が築いた天下泰平の秘密に迫る!」

ブラタモリで皇居の中に入るといっても、そんなに特殊な場所まで入りこんだということではない。あまり一般には知られていないが、基本的にはオープンになっている部分、という理解でいいだろうか。

見ながら思ったことがいくつかある。

江戸城の石垣などが、天下普請ということで、大名たちに仕事をやらせたということである。それは、その賦役で、大名の経済力をそぐ目的ということだったのだが、しかし、お城の普請を、ひょっとすると敵になるかもしれないような大名にやらせるというのは、危険きわまりないことかもしれない。江戸城の石垣とか、門とか、通路とか、これらの情報ををさらけ出すことになる。軍事的な観点から見て、はたして大丈夫といっていいのだろうか。(この意味では、もう江戸城に攻め込んでくるような敵は、もういないはずだ、ということだったのだろうか。)

それから、知りたいのが、天守台などで使われているとてつもなく大きな石は、どうやってはこんだのだろうか。また、きっちりと組み合わせるために、巨大な石を加工する技術とは、どんなものだったのだろうか。

江戸城の天守は、火事で焼けたが、再建されなかったということの方が重要ということになるのが、今日の歴史学での考え方かと思う。巨大な天守を必要としない、江戸城であり、また、江戸幕府であり、江戸の街であった、ということになる。

2026年4月7日記

映像の世紀バタフライエフェクト「昭和天皇 後編 現人神から象徴へ」2026-04-09

2026年4月9日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト「昭和天皇 後編 現人神から象徴へ」

前編と違って、この回で名前が出ていたのは、加藤陽子。

前編から見ていて、出てきていなかったこととしては、明治憲法の制約のもとでは、天皇はベトーと言えなかった……これは、通説ということになるかもしれないが、昭和天皇のことを考えるときには、避けてとおることはできないことにちがいないと思っている。歴史の仮定として、もし昭和天皇が、ベトー(否)と言っていたら、太平洋戦争は起こらなかった……かもしれない、ということはありうるだろう。だが、その場合には、天皇自らがよりどころとしていた、明治の帝国憲法の規定……天皇機関説になるが……に背くことになったはずである。

さらに、歴史のもしもとして、太平洋戦争の後に、昭和天皇が退位していたら、ということも考えられる。私としては、その方が、日本国と国民に対するけじめという意味では、すっきりしたものになったかもしれない。しかし、昭和天皇が、象徴と変わって、在位しつづけたことで、いわゆる戦争責任をせおったまま、昭和という時代とととも終わりになってしまったという気もする。

あるいは、戦後の歴史のなかで、退位した天皇、いや昭和上皇とでもいった方がいいか、をかつごうとするクーデタなどが、あり得たかもしれない。

ところで、現在の憲法学では、象徴天皇と、明治憲法における天皇(天皇機関説を採用するとして)は、どのような連続性/非連続性、を考えることになるのだろうか。

昭和天皇の大喪の礼のときのこととして記憶していることがある。それは、宗教と国家についての、とてつもなくくだらない議論である。鳥居があって神官の装束をした人がいると宗教儀礼であるが、それでなければ、宗教儀礼ではない……今から考えても、いや、この時代でも、普通に考えて、ものすごくくだらない議論であるのだが、昭和から平成になったときには、大真面目に議論されたことである。このとき露呈してしまったのは、日本という国家では、宗教ということが、本当に考えられてきていない、ということである。このまことにくだらない議論のあげくが、その後の日本社会の中で、おこった宗教がらみのいくつかの事件に繋がっているように思えるし、また、現代における、移民・外国人問題にもつながっていると感じるところである。

2026年4月7日記