萱野稔人『成長なき時代のナショナリズム』「ナショナリズムの新局面」 ― 2016-07-18
2016-07-18 當山日出夫
萱野稔人についてはすでにふれた。
やまもも書斎記 2016年7月11日
萱野稔人『成長なき時代のナショナリズム』従軍慰安婦をめぐる問題
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/11/8129273
また、先に成立した安保法制についての反対運動が「ナショナリズム」である、という指摘についてもふれた。私は、この意見に賛成である。安保法制反対は、ナショナリズムにもとづくものだといってよい。
やまもも書斎記 2016年7月14日
細谷雄一『安保論争』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/14/8131019
では、「ナショナリズム」はわるいものなのか。萱野稔人については、その主著とでもいうべき、次の本について見るべきであるが、ここは、コンパクトに集約されているという観点から、先にもとりあげた『成長なき……』を見てみたい。
萱野稔人.『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書).NHK出版.2011
https://www.nhk-book.co.jp/ns/detail/201110_1.html
萱野稔人は『成長なき時代のナショナリズム』第一章「ナショナリズムの新局面」で次のような論を展開している。
いま、ナショナリズムというと、いわゆる、保守・右翼・ネットウヨクなどが思い浮かぶところであろう。それに対しては、まず、次のようにいう。
「いまの排外主義的なナショナリズムの盛り上がりに対して、進歩的知識人は眉をひそめ、道徳的観点から「他者への寛容が失われた」と批判する。しかし、進歩的知識人は彼らの危機感をまったく理解していない。問題はそうした道徳的な他者への寛容性といったレベルにあるのではない。もっと実際的なレベルにある。」(p.17)
それは、次のような感じ方であるとする。
「「われわれ日本人の財産や、本来われわれ日本人が受けとるべき貴重な社会的・経済的リソースを外国人が不当に奪っているのではないか」という感覚である。/さらに、この裏には「いまや日本人ですら生活保護費を受給できないほど社会的パイは枯渇していて希少なのに……」という認識がある。」(p.16)
これは、特定の社会的属性によるものではないと指摘する。
「いまや何らかの社会的属性――非正規労働者、失業者、貧困層といった属性――によって排外主義的ナショナリズムの担い手を特徴づけることはできないのだ。そうではなく、私たちの社会的パイが縮小し、枯渇していっているという問題に敏感な人が右傾化していると考えなくてはならない。」(p.21)
では、彼らに対してどうすればいいのか。
「「パイの縮小」に危機感をもっている人にとって、そうした解決策(=社会保障の充実などのこと、引用者)は脳天気に映るだけでなく、彼らの危機感そものに対立する。進歩的知識人の批判が彼らをいらだたせる一つの理由がここにある。」(p.23)
そして、ナショナリズムを批判することの問題点について、さらに指摘する。
「正しくないことはほかにもある。排外主義的なナショナリズムの高揚を前にして、ナショナリズムそのものを批判することだ。」(p.23)
としたうえで、
「ナショナリズムという言葉には過激な印象がともなう一方で、国民主権という言葉のほうはごく自然に、むしろ肯定的に受け入れられている。しかしだからといって、両者を別のものだと考えてはならない。国民こそ国家の主役であると主張する国民主権の考えも、ナショナリズムの一つにほかならない。」(p.24)
これについては、
「しかし、(中略)リベラルな知識人たちはそのことに気づかず、ナショナリズムに対してだけ「よくないもの」だと断罪する。完全な誤解と無知がそこにある。」(pp.24-25)
ナショナリズムについて、ゲルナーの定義を引用した後で、このようにのべる、
ゲルナーはこう定義している……「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である。」(p.25)
これをふまえて、
「日本という国家は日本人のものであり、日本人のために存在すべきだと考える右派の主張も、国民主権(つまり、国民こそ国家の主役だということ)を要求するリベラル派の主張も、ともにナショナリズムだということになる。」(p.25)
無論、何を日本人と定義するかで、右派・左派は考えがことなる。しかし、国家とは国民のものである、という主張そのものには、変わりはない。国民主権の考え方も、またナショナリズムである。
ところで、「国民主権」……このことばを声高に叫ぶシーンを、最近、目にした記憶がある……そう、SEALDsの主張である。つまり、彼らは、ナショナリズムを主張しているのである。ただ、そのことに、自ら、あるいは、それを支援するひとたちは、気づいていないだけなのかもしれないが。
萱野稔人についてはすでにふれた。
やまもも書斎記 2016年7月11日
萱野稔人『成長なき時代のナショナリズム』従軍慰安婦をめぐる問題
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/11/8129273
また、先に成立した安保法制についての反対運動が「ナショナリズム」である、という指摘についてもふれた。私は、この意見に賛成である。安保法制反対は、ナショナリズムにもとづくものだといってよい。
やまもも書斎記 2016年7月14日
細谷雄一『安保論争』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/14/8131019
では、「ナショナリズム」はわるいものなのか。萱野稔人については、その主著とでもいうべき、次の本について見るべきであるが、ここは、コンパクトに集約されているという観点から、先にもとりあげた『成長なき……』を見てみたい。
萱野稔人.『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書).NHK出版.2011
https://www.nhk-book.co.jp/ns/detail/201110_1.html
萱野稔人は『成長なき時代のナショナリズム』第一章「ナショナリズムの新局面」で次のような論を展開している。
いま、ナショナリズムというと、いわゆる、保守・右翼・ネットウヨクなどが思い浮かぶところであろう。それに対しては、まず、次のようにいう。
「いまの排外主義的なナショナリズムの盛り上がりに対して、進歩的知識人は眉をひそめ、道徳的観点から「他者への寛容が失われた」と批判する。しかし、進歩的知識人は彼らの危機感をまったく理解していない。問題はそうした道徳的な他者への寛容性といったレベルにあるのではない。もっと実際的なレベルにある。」(p.17)
それは、次のような感じ方であるとする。
「「われわれ日本人の財産や、本来われわれ日本人が受けとるべき貴重な社会的・経済的リソースを外国人が不当に奪っているのではないか」という感覚である。/さらに、この裏には「いまや日本人ですら生活保護費を受給できないほど社会的パイは枯渇していて希少なのに……」という認識がある。」(p.16)
これは、特定の社会的属性によるものではないと指摘する。
「いまや何らかの社会的属性――非正規労働者、失業者、貧困層といった属性――によって排外主義的ナショナリズムの担い手を特徴づけることはできないのだ。そうではなく、私たちの社会的パイが縮小し、枯渇していっているという問題に敏感な人が右傾化していると考えなくてはならない。」(p.21)
では、彼らに対してどうすればいいのか。
「「パイの縮小」に危機感をもっている人にとって、そうした解決策(=社会保障の充実などのこと、引用者)は脳天気に映るだけでなく、彼らの危機感そものに対立する。進歩的知識人の批判が彼らをいらだたせる一つの理由がここにある。」(p.23)
そして、ナショナリズムを批判することの問題点について、さらに指摘する。
「正しくないことはほかにもある。排外主義的なナショナリズムの高揚を前にして、ナショナリズムそのものを批判することだ。」(p.23)
としたうえで、
「ナショナリズムという言葉には過激な印象がともなう一方で、国民主権という言葉のほうはごく自然に、むしろ肯定的に受け入れられている。しかしだからといって、両者を別のものだと考えてはならない。国民こそ国家の主役であると主張する国民主権の考えも、ナショナリズムの一つにほかならない。」(p.24)
これについては、
「しかし、(中略)リベラルな知識人たちはそのことに気づかず、ナショナリズムに対してだけ「よくないもの」だと断罪する。完全な誤解と無知がそこにある。」(pp.24-25)
ナショナリズムについて、ゲルナーの定義を引用した後で、このようにのべる、
ゲルナーはこう定義している……「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である。」(p.25)
これをふまえて、
「日本という国家は日本人のものであり、日本人のために存在すべきだと考える右派の主張も、国民主権(つまり、国民こそ国家の主役だということ)を要求するリベラル派の主張も、ともにナショナリズムだということになる。」(p.25)
無論、何を日本人と定義するかで、右派・左派は考えがことなる。しかし、国家とは国民のものである、という主張そのものには、変わりはない。国民主権の考え方も、またナショナリズムである。
ところで、「国民主権」……このことばを声高に叫ぶシーンを、最近、目にした記憶がある……そう、SEALDsの主張である。つまり、彼らは、ナショナリズムを主張しているのである。ただ、そのことに、自ら、あるいは、それを支援するひとたちは、気づいていないだけなのかもしれないが。
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