井上達夫「護憲派の欺瞞」 ― 2016-07-23
2016-07-23 當山日出夫
つづきである
やまもも書斎記 2016年7月22日
井上達夫「戦争の正義」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135835
やまもも書斎記 2016年7月20日
『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/20/8134764
井上達夫.『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください-井上達夫の法哲学入門-』.毎日新聞出版.2015
http://mainichibooks.com/books/humanities/post-68.html
結論的には、井上達夫、憲法九条廃止論者なのだが、その前に、護憲派をラディカルに批判する。これを見ておきたい。
まず「原理主義的護憲派」として「憲法九条の字句どおり要請にしたがって、自衛権と安保は違憲だ、とする立場」とする。(p.47)
次に「「修正主義的護憲派」として「選手防衛の範囲なら自衛隊と安保は九条に違反しない」とはっきり言いだす人たちが出てきた。憲法学界では長谷部恭男さんが代表例です。」(p.47)
そのうえで、それぞれに「欺瞞」があるという。
「原理主義的護憲派」については、
「九条を守れというなら、彼らの解釈は非武装中立なのだから、自衛隊と安保を廃棄せよということを言わなければなければならない。でも、それらは専守防衛の範囲内ならOKと事実上容認している。」(p.49)
「要するに彼らは、憲法九条を、政治的主張のための戦略カードとして使っている。」(p.50)
「利益を享受していながら、認知せずその正当性を認めない。私に言わせれば、これは右とは左とかに関係なく、許されない欺瞞です。」(p.50)
「彼らは「護憲派」と称しているけど、実際には自衛隊に永遠に違憲の烙印を押し続けることで、違憲状態を固定化しようとしている。それは「護憲」の名に値しない。そのうえ、自分たちが違憲の烙印を押している自衛隊に乗っかっている。」(p.51)
と、厳しく批判する。一方、「修正主義護憲派」についても、次のように指摘する。
「解釈改憲は、改正手続きの軟性化よりも、さらに深く立憲主義の精神を掘り崩している。憲法改正手続きをバイパスして、自分たちの気に入らない憲法規範を無視できるわけだから。/でもこれは、内閣法制局見解がやり、修正主義的護憲派もやってきてことなんだ。」(p.54)
「だから私は、安倍政権の姿勢を批判する論理的および倫理的資格が、護憲派にあるかというと、ないと今思っています。解釈改憲OKの修正主義的護憲派にも、違憲事態固定化OKの原理主義的護憲派にも、そんな資格はない。」(pp.54-55)
また、「改憲派」については、
「改憲派のほうが、まだしも、憲法を正式に改正しようとした点で、政治的欺瞞性があったとしても、憲法論的欺瞞性はなかった。」(p.54)
要するに、「原理主義的護憲派」も「修正主義的護憲派」も、さらには「改憲派」をふくめて、なんらかの「欺瞞」をかかえているという意味では、五十歩百歩というところ、こうなるであろうか。
そして、井上達夫は、憲法九条廃止を提言することになる。このことについては、つづいて書いてみたい。
追記 2016-07-24
このつづきは、
井上達夫「憲法と安全保障」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/24/8137326
つづきである
やまもも書斎記 2016年7月22日
井上達夫「戦争の正義」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135835
やまもも書斎記 2016年7月20日
『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/20/8134764
井上達夫.『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください-井上達夫の法哲学入門-』.毎日新聞出版.2015
http://mainichibooks.com/books/humanities/post-68.html
結論的には、井上達夫、憲法九条廃止論者なのだが、その前に、護憲派をラディカルに批判する。これを見ておきたい。
まず「原理主義的護憲派」として「憲法九条の字句どおり要請にしたがって、自衛権と安保は違憲だ、とする立場」とする。(p.47)
次に「「修正主義的護憲派」として「選手防衛の範囲なら自衛隊と安保は九条に違反しない」とはっきり言いだす人たちが出てきた。憲法学界では長谷部恭男さんが代表例です。」(p.47)
そのうえで、それぞれに「欺瞞」があるという。
「原理主義的護憲派」については、
「九条を守れというなら、彼らの解釈は非武装中立なのだから、自衛隊と安保を廃棄せよということを言わなければなければならない。でも、それらは専守防衛の範囲内ならOKと事実上容認している。」(p.49)
「要するに彼らは、憲法九条を、政治的主張のための戦略カードとして使っている。」(p.50)
「利益を享受していながら、認知せずその正当性を認めない。私に言わせれば、これは右とは左とかに関係なく、許されない欺瞞です。」(p.50)
「彼らは「護憲派」と称しているけど、実際には自衛隊に永遠に違憲の烙印を押し続けることで、違憲状態を固定化しようとしている。それは「護憲」の名に値しない。そのうえ、自分たちが違憲の烙印を押している自衛隊に乗っかっている。」(p.51)
と、厳しく批判する。一方、「修正主義護憲派」についても、次のように指摘する。
「解釈改憲は、改正手続きの軟性化よりも、さらに深く立憲主義の精神を掘り崩している。憲法改正手続きをバイパスして、自分たちの気に入らない憲法規範を無視できるわけだから。/でもこれは、内閣法制局見解がやり、修正主義的護憲派もやってきてことなんだ。」(p.54)
「だから私は、安倍政権の姿勢を批判する論理的および倫理的資格が、護憲派にあるかというと、ないと今思っています。解釈改憲OKの修正主義的護憲派にも、違憲事態固定化OKの原理主義的護憲派にも、そんな資格はない。」(pp.54-55)
また、「改憲派」については、
「改憲派のほうが、まだしも、憲法を正式に改正しようとした点で、政治的欺瞞性があったとしても、憲法論的欺瞞性はなかった。」(p.54)
要するに、「原理主義的護憲派」も「修正主義的護憲派」も、さらには「改憲派」をふくめて、なんらかの「欺瞞」をかかえているという意味では、五十歩百歩というところ、こうなるであろうか。
そして、井上達夫は、憲法九条廃止を提言することになる。このことについては、つづいて書いてみたい。
追記 2016-07-24
このつづきは、
井上達夫「憲法と安全保障」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/24/8137326
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