井上達夫「戦争の正義」2016-07-22

2016-07-22 當山日出夫

井上達夫.『リベラルのことは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないでください』.毎日新聞出版.2015
http://mainichibooks.com/books/humanities/post-68.html

この本については、すでに言及した。
やまもも書斎記 2016年7月20日
『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/20/8134764

続きを読んでみようと思う。

44頁以下のところ。「戦争の正義」の四タイプ、として、次のようにある。

「まず、「平和主義」について言っておけば――「正義なんてものにこだわるから戦争が起こる」「正義なんて要らない、正義よりも平和が大事」というタイプの「平和主義」は、とくに戦後日本で根強いですが、古今東西で繰り返し現れる考え方です。」(p.44)

そして、

「このタイプの平和主義は、心情に訴えると同時に「醒めた感じ」が知的に感じられる。それゆえ根強い人気があるのですが、論理的には破綻しています。」(p.44)

その論理的破綻は、こうだという。

「それを貫けば、現状がいかに不正に思えても、実力行使に現状変更は禁止される。しかし、そうなると自分に有利な現状を作ってしまえば勝ちだということになり武力による現状変更へのインセンティヴがかえって高まる。」(p.44)

そうなると、「すくなくとも手続き的正義の理念にはコミット」(p.44)しなければならなくなり、「戦争を律する正義論のタイプを四つにわけました。」(p.45)として、四つの正義論をしめす。

「積極的正義論」
「これは、自分の信じる宗教だとか道徳の実現のために武力を使っていいという立場。」(p.45)

「無差別正義論」
「国益追求の手段として、外交が有効なら外交を使ってもいいし、戦争がいいなら戦争を使ってもいい、と。ただし、それは国家と国家との「決闘」のようなものだから、その作法があって(以下略)」(p.45)

「絶対平和主義」
「自衛のためでも、戦争という手段はつかっちゃいけない、とする。」(p.45)

「諦観的平和主義」
「侵略や専制は不正だ、抵抗せよと正義を主張している。ただし、抵抗の手段はデモ、ゼネストなど非暴力でなくてはならない。暴力に対して暴力で戦うのは侵略者・専制的支配者と同じ不正を犯すことだ、と。」(p.45)

では、日本はどれに該当するのか、どの道をえらぶべきなのか、ということになる。ここで、井上達夫は、「護憲派」の「欺瞞」を指摘するととにも、九条廃止をとなえることになる。それは、つづいて、改めて書くことにする。

追記 2016-07-23
このつづきは、
井上達夫「護憲派の欺瞞」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/23/8136356

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