『「兵士」になれなかった三島由紀夫』杉山隆男2017-03-05

2017-03-05 當山日出夫

杉山隆男.『「兵士」になれなかった三島由紀夫』(小学館文庫).小学館.2010 (小学館.2007)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09408473

どうやら、著者(杉山隆男)は、この本で、「兵士シリーズ」を終わりにしたかったらしい。小学館のこの本のHPには、

三島自決の真実に迫る兵士シリーズ最終巻

とある。だが、実際は、その後、続編を書くことになる。

杉山隆男.『兵士は起つ-自衛隊史上最大の作戦-』(新潮文庫).新潮社.2015 (新潮社.2013)
http://www.shinchosha.co.jp/book/119015/

があるし、このブログでもすでに取り上げた、

やまもも書斎記 2017年2月23日
『兵士に聞け 最終章』杉山隆男
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/23/8372568

がある。

この『「兵士」になれなかった三島由紀夫』である。この本は、二つの視点から読むことができるだろう。

第一には、三島由紀夫論の観点からである。三島由紀夫にとって、自衛隊とはどのような存在であったのか。訓練への体験入隊の意味したものとは。そこで、三島は、どのような訓練をうけ、どのようにふるまっていたのか。

これをふまえて、最終的には、三島にとって自衛隊のもつ意味。盾の会とはなんであったのか。さらには、その最後の行動……自決にいたる過程。これらを考えて見るというものである。

第二には、逆に、自衛隊にとって、三島由紀夫とはどのような存在であったのか。特に、その体験入隊で訓練にあたった、現場の自衛隊員「兵士」は、どのように、三島のことを記憶しているのか。三島とは、どのような存在であったのか。

この本は、この二つの視点が、ないまざって、主に、三島の自衛隊体験を軸に語られる。タイトルがしめしているように、三島は、ついに、「兵士」にはなれなかった人間である。だが、三島は、「兵士」であろうとした。

その「兵士」になろうとして「兵士」になれなかった姿は、実際の訓練の描写として、本書に詳しい。

そして、最後に、自衛隊とは、日本にとって何であるのか、という問いかけで終わる。三島の語ったように、自衛隊は米軍の傭兵でしかないのか。だが、三島事件の後、数十年を経、今や、日米同盟ということが公然と言われる時代を迎えている。

この本を理解するためには、たぶん、これに先立つ「兵士シリーズ」のいくつかを読んでおく必要があると思う。また、同時に、ある程度は、三島由紀夫について知り、その作品を読んでおくことも必要かもしれない。

もちろん、この本、単独で読んで、十分に有益な本だとは思うのだが、上記のような準備のもとに、接した方がいいと、私は思う。

個人的な思い出をしるせば、三島由紀夫事件のことは、記憶にある。学校(中学校の時だった)、その事件のおこった日、教師(担任)が、熱っぽく、その事件があったことを教室で語っていたことを憶えている。

文学者としての三島由紀夫の作品を読むようになったのは、高校生になってからだったろうか。『金閣寺』『午後の曳航』などは読んだ記憶がある。『豊穣の海』四部作を読んだのは、大学生になってからのことであった。

一方、杉山隆男の著作については、何よりも、『メディアの興亡』である。この本を読んで、名前を覚えた。その後、「兵士シリーズ」が刊行になって、いくつかを手にとったものである。

なお、『メディアの興亡』は、いまだにその価値を失っていない。最近出た本では、

武田徹.『なぜアマゾンは1円で本が売れるのか-ネット時代のメディア戦争-』(新潮新書).新潮社.2017
http://www.shinchosha.co.jp/book/610700/

このひとつの章が、かつての杉山隆男の仕事『メディアの興亡』をふまえたものになっている。

ともあれ、この本は、「兵士シリーズ」の一冊として読んでもいいし、また、三島由紀夫の文学を理解するためにも、価値のある仕事である。