『とめられなかった戦争』加藤陽子2017-03-10

2017-03-10 當山日出夫

加藤陽子.『とめられなかった戦争』(文春文庫).文藝春秋.2017 (NHK出版.2011)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167908003

加藤陽子の本については、すでに何度かとりあげている。

やまもも書斎記 2016年9月12日
加藤陽子『戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗-』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/12/8182853

やまもも書斎記 2016年7月9日
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』憲法とE・H・カーのこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/09/8127772

やまもも書斎記 2016年7月10日
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』松岡洋右のこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/10/8128707

そして、今回のこの本(文庫版)は、以前、2011年に、NHK出版から、『NHKさかのぼり日本史 ②昭和 とめられなかった戦争』のタイトルで出ていたもの。HNK版も買って読んだが、文庫本になって出たので、改めて読んでみた。

著者(加藤陽子)が、この本にこめた思いは、本書の最後にある次のようなことばだろう。やや長くなるが引用する。

(戦争の責任などについて)国家の責任を強く追求する思いで歴史を振り返りたくなる気持ちもわかります。しかし、たとえば、自らが分村移民を送り出す村の村長であったらどう行動したか、あるいは、県の開拓主事であったらどう行動したか、移民しようとしている家の妻であったらどう行動したか、関東軍の若い将校であったとしたらどう行動したか、そのような目で歴史を振り返って見ると、また別の歴史の姿が見えてくると思います。近代史をはるか昔におきた古代のことのように見る感性、すなわち、自国と外国、味方と敵といった、切れば血の出る関係としてではなく、あえて現在の自分とは遠い時代のような関係として見る感性、これは、未来に生きるための指針を歴史から得ようと考える際には必須の知性であると考えています。(pp.174-175)

このような歴史観のもとに、この本では、4章にわけて、時代をさかのぼるかたちで、なぜ、あの時に戦争をやめることができなかったのかが、検証してある。

第1章は、1944(昭和19)年 サイパン陥落
第2章は、1941(昭和16)年 日米開戦
第3章は、1937(昭和12)年 日中戦争
第4章は、1933(昭和8)年 満州事変

一般に、満州事変は、1931(昭和6)年の事件だが、この本では、熱河侵攻を歴史のターンイングポイントにしている。

そして、この本を歴史書として読んだときに、その特徴となるのは、歴史を動かすものとして、時の為政者の判断も重用だが、それと同時に、時代の雰囲気……今のことばでいえば「空気」とでも読み替えることができようか……の流れがあることを、書いてあることだろう。上は、昭和天皇の判断から、東条英機、松岡洋右、石原莞爾などの人物の、その時々の、重要人物の判断があったことが記される。そして、その時代、なぜ、そのような判断をすることになったのか、時代の流れ、社会全体の人びとの気持ちというものを見ることを忘れてはいない。

その一例として、第2章の日中戦争について語るとき、その当時の、四十歳代の社会の中堅をになっている人間たちが、いつの生まれかを見ている。それは、日露戦争の勝利の記憶のある人びとである、と指摘する。

引用すると、

三十六年も前、四十歳代の彼らは、もちろん(日露戦争に)参戦したわけではありません。けれども、「少年のときに日露戦争を体験した」という共通点があるのです。(p.84)

とあり、昭和天皇もその例外ではないことに言及している。

この本は、重厚な歴史書ではないが、今日から近現代の歴史をどのように考えるか、貴重な視点を提供してくれる本である。まず、NHKから出た本であり、今回、文庫版になった。新発見の歴史的事実があるという類の書物ではない。しかし、歴史から何を学び取るかという観点からは、重要な提言のある本だと思う。

さて、このような観点にたって、私自身の場合は、どうであろうか。日露戦争に勝った時の体験を幼少期にもっている人間が、日中戦争から太平洋戦争・大東亜戦争へとつきすすんでいくことになった。では、戦後に生まれた、私自身の場合はどうか。戦争に敗れた記憶を継承している世代ということになろうか。あるいは、ベトナム戦争の記憶のある世代ともいえよう。だから、平和主義ということもあるし、反面、軍事的リアリズムの重要性を感じるというところもあるだろう。このような自分自身の感性のよりどころを、歴史の流れのなかにおいて見ることも、時には必要なことである。

追記 2017-03-11
このつづきは、
やまもも書斎記 2017-03-11
『とめられなかった戦争』加藤陽子(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/11/8400780