『豊饒の海』第三巻『暁の寺』三島由紀夫(その二)2017-03-31

2017-03-31 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年3月30日
『豊饒の海』第三巻『暁の寺』三島由紀夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425704

『豊饒の海』をまとめて再読して、『暁の寺』の第一部のところで、私のこの作品についての記憶がとぎれてしまっている。前半の最期のあたり、戦後の焼け野原となったところで、老女と再会するシーンは憶えていた。だが、それから、最後の『天人五衰』のラストのところまで、記憶がとんでいる。途中のことを忘れてしまっていた。

いや、憶えてはいるのである。読みながら、ああこのシーンは、以前、読んだことのある場面だな、というところがいくつかあった。富士山の見える別荘でのいくつかの印象的な場面である。しかし、これが、『豊饒の海』のなかの一部であるとは、認識して記憶していなかった。なぜだろう。

この作品、『豊饒の海』であるが、始めの『春の雪』から読んでいって、次の『奔馬』までは、時代の順につながっていることが理解できる。そして、『暁の寺』の第一部までは、さらに『奔馬』の時代……昭和初期……から、いくらか年月を経た後、太平洋戦争の直前、日中戦争の時代として、その時代の、日本の南洋進出を時代背景として、読むことができる。

そのまま小説を語っていこうとするならば、当然ながら、太平洋戦争を描くことになる。しかし、『豊饒の海』では、太平洋戦争を描いていない。まったくゼロというわけではないのだが、戦前のタイ、それから、インドの描写の次に出てくるのは、すでに敗戦をむかえて焦土となった戦後の日本である。

なぜ、三島由紀夫は、戦争を『豊饒の海』で描かなかったのだろうか。

たぶん、三島の歴史観というべきものに、この先の議論はすすんでいくことにちがいない。

ともあれ、『暁の寺』を読むと、前半と後半で、まったく別の小説を読んでいるかのごとき印象をうける。これは、はっきりいって、文学作品として破綻している、といってよいだろう。この小説を書いている三島に、このとき何があったのだろうか。

『暁の寺』の第二部の終わり方も、また、納得できるものではない。「輪廻転生」をモチーフとする四部作の終わり方としては、いかにも、とってつけたような感じがしてならない。ここにいたると、それまでの「輪廻転生」の物語から逸脱して、本多を主人公とする話しになっていくかのごとくである。少なくとも、『春の雪』『奔馬』のように、本多は、「輪廻転生」の目撃者という立場をふみこえて、物語のなかに踏み込んで描かれるようになる。

「輪廻転生」の物語を三島は描こうとしたのだろう。そして、おそらくは、それに挫折していると、私は読む。そして、その契機となっているのは、『暁の寺』のインドのベナレスのシーンである。ここで描かれたインドでの輪廻転生の感覚からすれば、『春の雪』の髑髏と清水の例え話などは、あっけなく消し飛んでしまうかのごとくである。死体を火葬にして、その遺灰が流される河のなかに身をひたして清める……このような場所に、髑髏の清水の例え話など、なんの意味ももたない。それほどまでに、インドのシーンは強烈である。

三島は、インドでの「輪廻転生」以上のものを、もはや日本を舞台にしては描き出しえなかった、このように私は思うのである。三島は、自分で文章として書いたインドのベナレスでの「輪廻転生」を、その文学的想像力で超えることができなかったのである。

だから、この『豊饒の海』の最後の『天人五衰』のようなことになるのだと考える。

追記 2017-04-01
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年4月1日
『豊饒の海』第三巻『暁の寺』三島由紀夫(その三)
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