『とめられなかった戦争』加藤陽子(その二) ― 2017-03-11
2017-03-11 當山日出夫
加藤陽子.『とめられなかった戦争』(文春文庫).文藝春秋.2017 (NHK出版.2011)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167908003
やまもも書斎記 2017年3月10日
『とめられなかった戦争』加藤陽子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/10/8398878
つづきである。
著者(加藤陽子)の史料を読む感性に関心するところがある。たとえば、次のような箇所。第2章「日米開戦 決断と記憶」の冒頭、東条英機が陸軍航空士官学校を視察したときのエピソード。
東条英機が、「敵機は何で墜とすか」と質問したのに対して、生徒が機関砲でと答えた。それを東条は訂正して、「違う。敵機は精神力で墜とすのである。」と言った話し。
東条英機の精神主義を象徴するエピソードとして、よく歴史書、戦記などに引用、言及されるものである。このエピソードについて、著者(加藤陽子)は、このように述べている。
以下、引用する。
「しかし、この発言がなされた時期にも留意する必要があります。四四年五月といえば、すでに日本の敗色が農耕になっていた時期。」(pp.59-60)
として、具体的に状況を説明した後、
「そのような時期に発せられたこの言葉の背景には、どうしようもない彼我の戦闘力の差、つまりは国力の差に対するはっきりとした認識があり、そのような絶望的な状況を覆すにはもはや精神力に頼るしかないという、ある意味で悲鳴のような響きも感じ取れるのです。」(p.60)
このような箇所、史料に「ことば」として表現されているものの背景に何を読みとるか、どのような歴史的状況のなかでの「ことば」であるのかを理解しようとするか……これは、歴史家にとって、きわめて重要な資質である、と私は思う。
著者(加藤陽子)の専門は日本近代史であるが、もし、文学研究をやっていたら、あるいは、哲学の領域で思想史などをやっていたら、それはそれで、きわめてすぐれた研究者として仕事をすることになっただろうと、予想してもいいのではないだろうか。
最近、そのような加藤陽子の名前を見て、ちょっと驚いたことがある。それは、『「死の棘」日記』(島尾敏雄、新潮文庫)の解説を、加藤陽子が書いていることである。これは、加藤陽子に文学研究、史料(資料)読解のすぐれた資質をみこんだ、文庫編集部の慧眼というべきであろう。
この『「死の棘」日記』については、後ほど。
加藤陽子.『とめられなかった戦争』(文春文庫).文藝春秋.2017 (NHK出版.2011)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167908003
やまもも書斎記 2017年3月10日
『とめられなかった戦争』加藤陽子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/10/8398878
つづきである。
著者(加藤陽子)の史料を読む感性に関心するところがある。たとえば、次のような箇所。第2章「日米開戦 決断と記憶」の冒頭、東条英機が陸軍航空士官学校を視察したときのエピソード。
東条英機が、「敵機は何で墜とすか」と質問したのに対して、生徒が機関砲でと答えた。それを東条は訂正して、「違う。敵機は精神力で墜とすのである。」と言った話し。
東条英機の精神主義を象徴するエピソードとして、よく歴史書、戦記などに引用、言及されるものである。このエピソードについて、著者(加藤陽子)は、このように述べている。
以下、引用する。
「しかし、この発言がなされた時期にも留意する必要があります。四四年五月といえば、すでに日本の敗色が農耕になっていた時期。」(pp.59-60)
として、具体的に状況を説明した後、
「そのような時期に発せられたこの言葉の背景には、どうしようもない彼我の戦闘力の差、つまりは国力の差に対するはっきりとした認識があり、そのような絶望的な状況を覆すにはもはや精神力に頼るしかないという、ある意味で悲鳴のような響きも感じ取れるのです。」(p.60)
このような箇所、史料に「ことば」として表現されているものの背景に何を読みとるか、どのような歴史的状況のなかでの「ことば」であるのかを理解しようとするか……これは、歴史家にとって、きわめて重要な資質である、と私は思う。
著者(加藤陽子)の専門は日本近代史であるが、もし、文学研究をやっていたら、あるいは、哲学の領域で思想史などをやっていたら、それはそれで、きわめてすぐれた研究者として仕事をすることになっただろうと、予想してもいいのではないだろうか。
最近、そのような加藤陽子の名前を見て、ちょっと驚いたことがある。それは、『「死の棘」日記』(島尾敏雄、新潮文庫)の解説を、加藤陽子が書いていることである。これは、加藤陽子に文学研究、史料(資料)読解のすぐれた資質をみこんだ、文庫編集部の慧眼というべきであろう。
この『「死の棘」日記』については、後ほど。
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