『大鏡』新潮日本古典集成2019-03-15

2019-03-15 當山日出夫(とうやまひでお)

大鏡

石川徹(校注).『大鏡』新潮日本古典集成(新装版).新潮社.2017
https://www.shinchosha.co.jp/book/620831/

『大鏡』を読み直すのは、ひさしぶりである。以前は、岩波の古典大系本で読んだかと憶えている。新しくなった新装版の新潮日本古典集成で読むことにした。

この新潮版は、底本は東松本。ただ、その本文校訂の方針は、既存のそれまでの『大鏡』の注釈書を意識して、かなり批判的な立場である。そのような箇所は、頭注などに記してあるので、それを参照しながら読んだ。国語学的に見て、ちょっとどうかなという箇所が無いではなかったが、全体としては、良質な校訂本文になっていると感じる。

が、ともあれ、国語学的に何かものを言おうと思って読んでいるのではない。古典を読みたいと思って読んでいる。

読んで感じることは、六国史を意識した歴史書として書かれていることである。だが、その「歴史」として何を記述するかとなると、藤原摂関家の栄華の歴史、そうなる必然性の説明とでも理解できるだろうか。

また、その一方で、感じることは、説話的な面白さである。この『大鏡』の中のエピソードのいくつかは、まさに説話といってよい。おそらく、大寺院での法要などで人びとがあつまったような時、おのづから語られたものとしての説話ということを考えてみてもいいだろう。

そのなかにあって、特に印象深いのは、花山院の話し。「狂ひ」ということばで表現してあるが、まさに花山院の「狂ひ」にまつわる話しは、興味深い。

それから、これは、国語史として有名な事例。犬の鳴き声の擬音語で「ひよ」とある。

文学史的な常識的な知識からするならば、歴史物語ということになるのだが、今回、読んで見ての印象としては、あまり「歴史」を感じない。むしろ説話的なものを強く感じる。「歴史」ということを、人びとが強く意識するようになるのは、やはり、平安末から鎌倉にかけての激変の時代を通ってからのことになるのかもしれない。

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