『完本 チャンバラ時代劇講座 1』橋本治/河出文庫2023-02-23

2023年2月23日 當山日出夫

完本チャンバラ時代劇講座1

橋本治.『完本 チャンバラ時代劇講座 1』(河出文庫).河出書房新社.2023(徳間書店.1986)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309419404/

橋本治という人については、若くからその名前は知っていて、折に触れて書いたものを読むことはあったが、そう熱心な読者ということでなくきしてしまった、ということになる。

その橋本治も亡くなってしばらくたつ。その死をうけて、復刊になった書物がいくつかあるが、これもそのうちの一つということになる。(はっきり言って、この本の存在は知らなかった。)

もとの本は、一九八六年に徳間書房。それを、二分冊にして、河出文庫で出したもの。第一冊目を読んだところで、思うことを言うならば、これは名著である。おそらく、日本の近代の大衆文化、通俗文化というものについては、傑出した評論であると言っていい。

一冊目には、

第一講 チャンバラ映画とはなにか
第二講 これが通俗だ!
第三講 格調の高さの研究

一と二は、この本のタイトルどおりの、日本近代におけるチャンバラ映画の歴史と解説、論評である。これが面白い。扱っているのが、主に東映時代劇映画であるということもあるせいか、残念ながら、ここで扱われている映画を、私はほとんど見ていない。そして、一九八六年の本ではあるが、テレビのことはほとんど出てこない。はっきり言って、知識として知っている映画の話しになるのだが、読んで、大衆のための時代劇とは、近代においてなんであったかの考察は、なるほどと思うところがある。近代においても、映画の技術的発達とともに、社会の変化、大衆の好み、等々によって、チャンバラ時代劇も変化していく。時代とともに、チャンバラ時代劇も変わっていくことになる。

三は、忠臣蔵論になっている。まず、事件があり、仮名手本忠臣蔵が江戸時代に書かれ、それが、近代になって明治以降、人びとに、史実としての忠臣蔵がどのように受容されてきたのか、説かれる。忠臣蔵については、一通りは知っているつもりではいるのだが、読んでとても興味深い指摘が多くある。歴史とフィクションとしての物語、これをふまえて、近代になって、忠臣蔵に何をもとめていったのか。その一つとして、大佛次郎の作品などが取り上げられている。また、NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」は、なぜ、そのドラマを一年間かけて放映する必要があったのか、その文化史的背景とはなんであったのか、解説が試みられる。

時代劇映画論という枠組みを基本として書かれてはいるが、近代日本の大衆娯楽、映画、演劇、小説といったジャンルを総合して、通俗とはなんであるか、その価値観を逆転的に述べている評論と言っていいだろう。ここであえて触れられることがないのが、文学であり、歴史であり、芸術であるとも言える。だが、そうであるが故に、すぐれた、文学論であり、歴史論であり、芸術論としても読むことができる。

ただ気づいたこととしては、江戸時代における身分というのを階層的な上下の秩序としてとらえているあたりは、今の歴史からは、批判的に読むところになるかもしれないとは思う。また大衆というものを、一括して平板に考えすぎているかとも思う。大衆と呼ばれる人びとの中における多様性、地域性、階層性というものも重要だろう。(時代による嗜好の違いというようなことへの言及はあるのだが。)

つづけて二冊目を読むことにしようと思う。

2023年1月14日記

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