「北区赤羽 路上にて」2024-06-13

2024年6月13日 當山日出夫

ドキュメント20min. 北区赤羽 路上にて

行ってみたら人がいなかった……普通ならそこであきらめて帰るところだろうと思うのだが、この時の番組のスタッフは、逆にそこを出発点にして、人を追っていく。「ドキュメント72時間」の副産物なのであるが、これは面白かった。

いったいどんなおじさんだったのだろうか。

赤羽の街も大きく変わった。しかし、おじさんは変わらなかった。こういう生き方をする人間が、まだかろうじて生きてこられたのが、今の二一世紀の初めごろまでということなのだろう。

私が学生のころまでは、東京でも街中を歩いていて、路上で靴磨きをしている人を見かけたと記憶する。私自身は、それを利用したということはなかった。磨いてもらうほど上等の靴を履いていなかった。もう、東京で路上の靴磨きなど、絶滅したといってもいいのかもしれない。

言ってもしかたないことだが、もし、一年早く取材していれば、おじさんをあつかった「ドキュメント72時間」が出来ていたのかもしれない。だが、これも運命である。NHKの番組に出ることなど、おじさんは望まなかったかもしれない、と思ったりもしてみる。

2024年6月10日記

「波濤の太鼓〜奧能登・外浦〜」2024-06-13

2024年6月13日 當山日出夫

時をかけるテレビ 波濤の太鼓〜奧能登・外浦〜

御陣乗太鼓は、見たことがあるかと思う。学生のころ、国立劇場(小劇場)であった民俗芸能などの公演は、かなり行っていたので、そのなかで見ただろうか。

一九七一年、昭和四六年の番組である。私が高校生のころになる。

中学校の修学旅行は能登だった。輪島には行ったし、時国家にも行った。千枚田も見たはずである。そんなに明瞭に記憶しているということではないのだが。

千枚田の風景はたしかに美しい。しかし、今の日本の農業の実情から考えて、このような労働効率の悪い稲作を、将来にわたって続ける意味はあるのだろうか。冷淡なようだが、そのようなことを思ってしまう。

輪島塗の職人に徒弟修行に行って、四年の年季があけると祝宴をひらく。そこで、師匠と弟子の間で、固めの杯をかわす。もう今ではなくなってしまったかもしれない。どうなのだろうか。輪島塗の技術の継承ということは、もっと近代的なシステムのなかで行われるべきということになるだろうか。

番組のなかで、「出稼ぎ」ということばがでてきていた。この時代、日本の高度経済成長期のことになるが、経済成長をささえた労働力の多くが、地方の農村などからの出稼ぎであったことは、忘れてはならないことだろう。そういえば、以前の朝ドラの『ひよっこ』では、東京オリンピックのための工事に、ヒロインのみね子の父親が茨城から東京に出稼ぎに行っていたという設定であった。このような時代が日本にあったことは、忘れてはならないと私は思う。

2024年6月10日記

追記
自分で書いたものを読みかえしてみて、さらに思うことを書いておく。効率という面では、千枚田はほろぶべき運命にある。せいぜい残すとしても観光資源としてである。だが、その一方で、その土地にかつて暮らした人びとは、どのような生活をいとなんできたのか、その延長に今の日本の生活と文化があることを実感し、確認することも必要である。さて、効率重視の今の日本社会において、文化遺産としての千枚田はどのように残すことが可能だろうか。効率だけでははかれない一面もあることは確かである。このことは、書き添えておきたい。

2024年6月13日記

「宮本常一“忘れられた日本人” (2)伝統社会に秘められた知恵」2024-06-14

2024年6月14日 當山日出夫

100分de名著 宮本常一“忘れられた日本人” (2)伝統社会に秘められた知恵

若いときに……今から半世紀ほど前のことになるが……『忘れられた日本人』を読んだとき、印象にのこっていることのひとつが村の寄り合いである。村のなかで何か問題があったとき、寄り集まってとことん話し合う。全員一致の結論が出るまで話し合う。

今から半世紀ほど前に読んだのだが、その時の記憶として、これはひとつの民主的なシステムなんだろう、しかし、一方で非常に前近代的、封建的な制度として、否定されることになるだろう、と感じたものである。熟議にちがいないが、ある意味では個人の意見の抑圧にもつながる。

番組のなかで言っていたが、このような社会は一度こわれるともう復活しない。現代では、町内会とか学校のPTAでも、拒否する人が多い。

しかし、その一方で、今の資本主義社会の先に新しいコミュニティの創出の必要ということを熱心に語る人もいる。あるいはタウンミーティングの重要性を説く人もいる。私は、このような議論を目にすると、宮本常一を読んだことがあるのだろうか、と思ってしまう。

たしかに前近代的な封建的な社会ではあるのだが、まったく非合理的ということではない。その社会には、それなりの合理性があってのことであることは、確かなことだろう。だが、それが、そのままこれからの社会のあり方につながるかどうかは、また別の問題ではある。

あるいは、封建的遺制というべき村落共同体のなかに生きる人びとが、かならずしも辛苦のなかで生活していただけではない、ということも重要なことかとも思う。その社会のなかで暮らす人びとの喜怒哀楽があってこその、人間の生活であり歴史なのである。

2024年6月12日記

「フセイン拘束~捕らえられた独裁者の真実~」2024-06-14

2024年6月14日 當山日出夫

アナザーストーリーズ フセイン拘束~捕らえられた独裁者の真実~

再放送である。最初の放送は、二〇二二年。

アメリカのイラクでの戦争は失敗だったというのが、一般の認識だろう。サダム・フセインは、大量破壊兵器を持ってはいなかった。そして、サダム・フセインを排除した後のイラク、あるいは、中近東、周辺諸国の政情は不安定さをましている。

印象に残ることがいくつかある。

まず、最初に出てきたアメリカ陸軍の軍人。軍人とはこういうものなのだろう。命じられたことを、着実に実行する。作戦をたてて、その任務が達成できたかどうかについて責任を負う。その任務について、政治的にことの是非はあるにちがいないが、しかし命令にしたがう。こういう不屈の精神こそが、軍人というものだと感じるところがある。テレビの画面では、アーリントン国立墓地が映っていたが、軍人は栄誉をもって遇されるべきである。

CIAが、捕まえたフセインを尋問したのだが、結局、大量破壊兵器はなかったと結論づけざるをえなかった。一方で、各所を徹底的に探して物証が無かったということもあるにちがいないが、フセインという人物を直接尋問することによって、どんな人間なのか、そこにせまっていくには、人と人が直接対面して話しをするしかない。これは、何よりも重要なことだろう。

フセインの愛人とされた女性。フセインという人物もまた人であるということになる。その事跡はたしかに悪であったかもしれない。特に、湾岸戦争の発端となったクェート侵略は、正当化されるものではない。だが、どんな独裁者であっても、人としての顔があることになる。その人間をどう評価するか、という側面もまた重要なことであるのだろう。

世界には、独裁者が多くいる。その圧政のもとで苦しんでいる人びともいる。だが、世界全体の秩序を維持するということを考えると、独裁政権だから強引に倒してもかまわない、ということにはならない……そのような教訓を、イラク戦争の事例から学ぶことができるのだろうか。

また、イラクにおいて政権が国際情勢をどう認識していたのか、また、アメリカにおいてイラクの内情についてどれだけのことをつかんでいたのか、認識の齟齬が不幸を生むということでもある。それぞれの国における国際情勢への認識、また、その国なりの行動原理、というものが、広く国際的な世論のなかで知られるべきということになるのかもしれないのだが、はたしてどうだろうか。

といって、今の中国とかロシアのことを肯定するということにはならないのではあるが。

2024年6月13日記

「ルート66 アメリカの夢と絶望を運んだ道」2024-06-15

2024年6月15日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ルート66 アメリカの夢と絶望を運んだ道

「ルート66」ということばには覚えがある。アメリカの道の名称としてではなく、おそらくテレビドラマの方だと思う。日本でも放送している。しかし、これを見たという記憶はない。憶えているとすれば、私より上の世代になるかもしれない。

そう特に目新しい内容の映像があったということではないのだが、面白かった。アメリカの二〇世紀の歴史を、ルート66という道路から見ていくという企画はいい。このような発想は、アメリカにはあるのだろうか、あるいは、NHKの独自の視点ということなのだろうか、このあたりが気になるところではある。

『怒りの葡萄』は、若いときに読んだ。近年になってから、新しい訳本で読みなおしてみた作品である。アメリカの二〇世紀のはじめごろの農民の生活が、克明に描かれている。農地を捨てた一家はカリフォルニアを目指すが、そこには落胆しかなかった。だが、それでも小説のラストは、未来への希望で終わっていた。

『イージーライダー』は、実は見ていない。名前は無論知っている。若いころに、流行った映画であるが、そのころ、カウンターカルチャーとはなんとなく距離をおいて生きていた。そのように生きる若者がいることは知っていたし、まったく共感するものがないではなかったが、自分の生き方としてそうありたいとは思わなかった。これは、微妙な世代の違いによるものだろう。

先週放送の「安保闘争」についても、同じように思うのだが、おそらく生まれた年代、大学に進学したかどうか、それはどこの大学だったか……ということで、各人が感じるところは、それぞれに違ってくるにちがいない。

ルート66沿線沿いの人びと、古くからのアメリカを支えてきたと自負する人びとになると思うが、その人びとが、トランプの熱狂的な支持者となっていることは、そうなのだろうと思う。単なるポピュリズムではなく、何故人びとが熱狂的に支持するのか、歴史の中で考えることが重要になるにちがいない。

ボニーとクライド、ウディ・ガスリー、ラスベガスから原爆実験を見ていたということ、戦時中の日系人の強制収容、このようなことも、ルート66という道路でまとめて見ると、まさにこの道が、アメリカの二〇世紀の歴史とふかくかかわっていたことを感じる。

2024年6月11日記

ザ・バックヤード「吉野ヶ里遺跡」2024-06-15

2024年6月15日 當山日出夫

ザ・バックヤード 吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡が発見されたころのことはなんとなく記憶にある。考古学に無関心であったということではないのだが、特に気にとめることもなくすぎてきてしまっている。

九州にこれほどの規模の村落(と言っていいのだろうか)が存在し続けてきたということを、歴史のなかでどう位置づけるのかということになるのだろう。別に邪馬台国論争にはさして興味はないのだが……その論争のあり方には関心があるけれど、どっちでもいいと思っている……しかし、九州に大規模な村落として人が住み続けてきたということは、これはこれと興味深い。

弥生時代の人たちがどんな暮らしをしていたかは、考古遺物とその科学的な分析からかなり分かるようになってきている。近年では、遺伝子の解析で、弥生時代の人びとがどこから来たのか、議論のあるところである。これは、日本語研究と直接むすびつくということはないが、日本語の起源を考えるときに、まったく無関心でいいということでもない。

面白かったのは、土器の作り方。実際に土器を作ってみて、その製法について考察するというのは、意味のあることだろうと思う。朝鮮半島で出土するのと同じような土器があるというのは、ある意味で当たり前のことかもしれない。弥生時代であっても、別に鎖国していたわけではない。国境などなかったのだから、自由に人は往来していただろう。そのとき、文化の伝搬もあったろうが、同時にいさかいもあったかと想像してみることになる。

2024年6月14日記

『虎に翼』「女子と小人は養い難し?」2024-06-16

2024年6月16日 當山日出夫

『虎に翼』第11週「女子と小人は養い難し?」

たまたまのことになるが、『虎に翼』と同時に再放送が始まった過去の朝ドラとして、朝は『オードリー』があり、昼は『ちゅらさん』がある。全部見ているので、どうしても比較して見てしまうところがある。

『ちゅらさん』で、金曜日の放送だったが、一風館の住人の島田さんが病気で倒れてそれを恵里が面倒を見ているとき、島田さんが、あのままオペラを聴きながら死んでしまいたかった、と言った。それに対して恵里は、そんなことはないと反発する。それを聞いていた管理人さんのみづえが、このようなことを言っていた……正しくはないかもしれないけれど、なんとなく分かる気がする、と。

もう私も老人になってしまって、ドラマのなかの島田さんやみづえさんよりも年が上になってしまった(と思う)。そのせいもあるのだが、正しくはないかもしれないが、なんとなく分かる気がする、ということが、実感されるようになってきている。

これは、『虎に翼』で描いていることとは、相容れない考え方である。『虎に翼』では、法の正しさ、それに従うことの意味、法は何のためにあるのか、というようなことが語られる。このような議論は、それはそれとしてきわめて重要であることは理解できる。さらには、法哲学というような分野のことも考えなければならない。

しかし、実際の人間の暮らしのなかにおいては、法的な、あるいは、道徳的な正しさはそうかもしれないが、かならずしも自分の実感としてはそうは感じられないという部分があることは確かである。生きていくうえでの生活感覚とでもいうことができるだろうか。

『虎に翼』というドラマが、一部のファンには好評、いや絶賛されている一方で、それに同調しない人たちもいる。私の見るところ、いずれもドラマのなかで描かれる「正しさ」の主張と、その表現のあり方について、賛同したり、逆に、違和感を感じたりということであるようだ。

正しい、正しくない……その正しさも一つとはかぎらないが……ということと次元を異にして、人びとの生活感覚を描いている部分というと、母親のはると義理の姉になる花江の二人ということになるだろうか。そして、『虎に翼』を絶賛する人たちも、あるいは批判的に見る人たちも、はると花江のことには、あまり関心がないようである。

ところで、ドラマでは、いよいよ家庭裁判所の設立ということになった。寅子は、そこの裁判官になるはずである。

これからドラマのなかで出てくる家庭裁判所は、法の正義をつらぬくというところなのだろうか、ということが気になるところである。家庭の問題にしても、少年事件にしても、法的にはこうなることなのだが、その当事者たちの境遇や心情をおもんぱかってみるならば、必ずしも法にしたがうだけでは解決できないという部分が多いように思うのだが、どうだろうか。

この週で描いていたこととしては、花岡のこととか、轟のこととか、崔香淑のこととか、多岐川のこととか、いろいろあるし、思うところは多々あるのだが、まず何よりも、正しさと人間の情というものをこれからこのドラマはどう描いていくことになるのか、このことが気になっている。たとえ、法は人をしあわせにするためにあるのだと確信しているとしても、その解釈や運用において最後は人の判断によることになるはずである。

2024年6月15日記

「ヒグマ事件 150年間に何が起きた? 〜なぜ獣害は発生?知られざる生態〜」2024-06-16

2024年6月16日 當山日出夫

ダークサイドミステリー ヒグマ事件 150年間に何が起きた? 〜なぜ獣害は発生?知られざる生態〜

面白かった。

一番興味深かったのは、残っているヒグマの骨の分析から、過去に何を食べてきたのかが分かるということ。それによると、明治の初めごろまでは、ヒグマは肉食であった。エゾシカやサケなどを食べていたのだろう。それが、北海道に人……この場合は開拓にやってきた人びとということになるが……多く住むようになって、エゾシカは絶滅寸前まで減少し、サケも減少した。その結果、ヒグマは、ドングリなどを食べるようになった。しかし、ヒグマの生物としての体の作り方は、肉食のときのままである。

それが、北海道に多く人が住むようになって、ヒグマの生息域に人間の食べるもの、農作物などが存在するようになると、その味を覚える。また、土葬された人間の死体を食べることも憶える。ヒグマは、人間に近く暮らすようになる。人間を襲うヒグマも希に存在するようになる。

一九九〇年ごろまでは、ヒグマを駆除する目的で山に入りこんで猟をしていたが、それが止めになってしまった。人を恐れることがなくなったヒグマは、食べ物をもとめて人間の居住地に近づく。近づいてエサをあさっていても、それに人間が危害を加えることはない。テレビの取材があっても、それを見ているだけである。

ヒグマは学習能力が高いので、一度憶えた味をもとめて人間のところに近づくことを憶えてしまうと、それを繰り返すようになる。

結局、人間とヒグマは共存できない……というのが、この番組の結論ということになる。せいぜい広い地域で、棲み分けることぐらいである。きれいごととして、人間と野生動物の共存の可能性を考えるという、普通の番組の作り方とは違っている。だからといって、北海道のヒグマを全面的に駆除してしまえばいいというわけではないのだが。

2024年6月12日記

『光る君へ』「忘れえぬ人」2024-06-17

2024年6月17日 當山日出夫

『光る君へ』「忘れえぬ人」

この当時の日本と宋との間の交易については、歴史学において研究の進んでいる分野だろうから、おそらくはそれをふまえて作ってあるのだろう。宋の国は、日本を対等の国として貿易しようというのではなく、朝貢を求めている、というあたりが常識的なところかと思う。まあ、このような態度は、現在の中国にいたるまで同じであると言うことができるかと思うが。

番組では具体的に何を商品として取引しようとしているのか、ほとんど出てきていなかった。このあたり、もうちょっと具体的に描いてあるとドラマとしての説得力が増すと感じる。唐物としていったいどのようなものが日本に入ってきていたのか、また、それは一般庶民の生活とかかわるものであったのかどうか。(さらには民衆レベルでの東アジアの交易はどのようであったか、ということも問題になるかもしれない。)

一条天皇は、実際にはどれほどの権力があったのだろうか。

外交で問題が起こったとき、とりあえず時をかせぐというのは、今も昔も変わらないといえようか。

まひろに対して、宣孝は言っていた。自分の思う自分だけが自分ではない、と。このところは、おそらく将来まひろが紫式部として『源氏物語』を書くことになる伏線と受け取っていいのかもしれない。まひろは幼いころから嘘つきであった。作り話をするのが好きであった。その自分が、物語の創作ということに興味を持つようになるのは、どのような経緯があってのことなのか、それが『光る君へ』の一つのテーマであるにちがいない。

それにしても一条天皇は定子のことが忘れられない。二人の逢瀬のシーンは美しく描いてあった。「職御曹司」ということばは、昔、『枕草子』を読んでいて憶えた。

このドラマ、脇役であるが、安倍晴明と藤原実資が登場すると面白い。

2024年6月16日記

「越境する紅テント〜唐十郎の大冒険〜」2024-06-17

2024年6月17日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 越境する紅テント〜唐十郎の大冒険〜

録画してあったのをようやく見た。

唐十郎の名前は知っているし、紅テントのことも知ってはいる。ただ、わかいときから演劇にはほとんど関心のなかった私としては、その舞台を見たという経験はない。時々ニュースで話題になっていたのは憶えている。

番組を見ていて、「アングラ」ということばを久しぶりに目にした。カウンターカルチャーが、時代を風靡していたときがあった。ただ、若いころの私は、さほどカウンターカルチャーに傾倒することなくすごしてきたということがある。

その時代のなかにあった猥雑さ、これが一番重要なポイントかもしれない。今の時代、なにもかも綺麗に潔癖になりすぎてしまっているように感じる。それが、リベラルな価値観によるものであるとしても、あまりにも妥協を許さない潔癖主義に、私としては閉口するところがある。かつての日本、それはきたなく貧しかったかもしれないが、しかし猥雑さとしかいいようのない、活力のようなものがあった。もはや、老人としては、そのような時代の日本を懐かしく思い出すことになる。

上野の男娼の映像がNHKで映るのは珍しいかもしれない。たぶん、「映像の世紀」シリーズでも映ったことはないだろうと思う。上野が江戸時代から男娼のたむろする場所であったのは、よく知られていることだと思う。それも、現在ではどうなのだろうか。

新宿の歌舞伎町も、かつてはカウンターカルチャーの場だった。

唐十郎は韓国でも公演している。その当時は、朴正熙による軍事独裁政権の時代だった。そして、北朝鮮を礼讃する声もあった時代である。韓国では日本語の歌を歌うことも禁じられていた。このようなことも、もう多くの人びとにとって記憶の彼方のことになっているかもしれない。

2024年6月15日記