ドキュメント72時間「浅草アンダーグラウンド」 ― 2024-06-06
2024年6月6日 當山日出夫
ドキュメント72時間 浅草アンダーグラウンド
ここの地下街は通ったことがあるだろうか。もしあったとしても、昔のことなのでまったく憶えていない。浅草には、東京に住んでいたとき、なんどか行ったことがある。学生のころ、もう、半世紀近く昔になるが、映画を見にいった。まだ、浅草六区が映画街の面影を留めていたことで、しかし、非常にさびれていた。浅草という地域自体が、さびれていた。それが、再び観光客をあつめるようになったのは、私が東京を離れてからのことになる。
浅草だから、いろんな人がいるんだろうと思う。様々な人生の経緯がその過去にはあるのだろうと思ってみるが、ともかく、この地下街で店を持って仕事が出来ているということは、これはこれでいいことなのだろうと思う。
それにしても、どの店もかなり安いと感じる。家賃が安いからということなのだろう。東京の他の街のように、洒落た最新の店ばかりというのではなく、このようなところが東京の中に残っていてもいいと思う。
映っていた人のなかには、その道に詳しいひとなら有名人という人もいるのかと思うが、どの人も、この地下街で仕事をして、楽しんでいる、それでいいのだと感じる。
ところで、ひさしぶりに、「チョンガー」ということばを耳にした。このごろでは使わないことばになってしまっている。
2024年6月1日記
ドキュメント72時間 浅草アンダーグラウンド
ここの地下街は通ったことがあるだろうか。もしあったとしても、昔のことなのでまったく憶えていない。浅草には、東京に住んでいたとき、なんどか行ったことがある。学生のころ、もう、半世紀近く昔になるが、映画を見にいった。まだ、浅草六区が映画街の面影を留めていたことで、しかし、非常にさびれていた。浅草という地域自体が、さびれていた。それが、再び観光客をあつめるようになったのは、私が東京を離れてからのことになる。
浅草だから、いろんな人がいるんだろうと思う。様々な人生の経緯がその過去にはあるのだろうと思ってみるが、ともかく、この地下街で店を持って仕事が出来ているということは、これはこれでいいことなのだろうと思う。
それにしても、どの店もかなり安いと感じる。家賃が安いからということなのだろう。東京の他の街のように、洒落た最新の店ばかりというのではなく、このようなところが東京の中に残っていてもいいと思う。
映っていた人のなかには、その道に詳しいひとなら有名人という人もいるのかと思うが、どの人も、この地下街で仕事をして、楽しんでいる、それでいいのだと感じる。
ところで、ひさしぶりに、「チョンガー」ということばを耳にした。このごろでは使わないことばになってしまっている。
2024年6月1日記
「宮本常一“忘れられた日本人” (1)もうひとつの民俗学」 ― 2024-06-07
2024年6月7日 當山日出夫
100分de名著 宮本常一“忘れられた日本人” (1)もうひとつの民俗学
『忘れられた日本人』の岩波文庫版を読んだのは、学生のときだったと憶えている。(やはり、印象に残っているのは「土佐源氏」であるのだが。)
慶應の文学部の国文で勉強したから(もう半世紀ほど前のことになる)、柳田国男や折口信夫は、当然のように読んだ。柳田国男の「著作集」、折口信夫の「全集」も学部の学生の時に買ってそろえた。今でも持っている。そのころ、宮本常一の「著作集」が書店にあったのは見ているのだが、それを買いそろえて読もうということはなかった。
勉強したのが、国語学のなかでも訓点語、文字、表記というような分野のことになったので、直接、民俗学の論文を読んだりということはなかったのだが、しかし、歴史を考えるときに民俗学の視点が重要であるという気持ちは持ち続けてきた。
佐野眞一の『旅する巨人』が文庫本で出たときには、買って読んだ。
番組の第一回であるが、興味深いのは、オシラサマについての、柳田国男と宮本常一の記述の違いである。柳田国男については、『遠野物語』が引用してあった。私は、実は、『遠野物語』を全部とおしてきちんと読んだことがない。何度かこころみたことはあるのだが、途中でやめてしまう。理由は、怖いからである。日本の近代に書かれた文章のなかで、心底から恐怖を感じる文章は『遠野物語』であると強く思っている。それもあって、吉本隆明の『共同幻想論』も読み通してはいないのである。まあ、この年になって思うことしては、『遠野物語』は読んでおきたいという気持ちがあるのだが。
宮本常一からは離れるが、汽車に乗ったら窓から外の風景を見よ……これは、私が、中学校のときに、担任の先生から教わったことである。人文地理学を勉強した社会科の先生だった。車窓から見える田圃の区画がどうなっているか、畦には何が植えてあるか観察することの意味、そのようなことを話したくれたことを憶えている。
宮本常一の民俗学を、今のことばでいいかえるとするならば、生活誌という用語が一番近いかもしれないと思う。
私は、昭和三〇年(一九五五)の生まれである。生まれたのは山陰の寒村である。育ちとしては、京都の宇治市になるが。そのせいもあるのだろうが、日本が高度経済成長に大きく変わっていく姿と、それにとりのこされつつも新しい生活様式に変わっていく農村の姿を、かろうじて体験的に記憶している世代ということになる。
ちなみに、生まれた家には、ガスも水道もなかった。台所にはかまどがあり、囲炉裏があり、井戸水だった。牛とニワトリを飼っていた屋根は藁葺きだった。無論、電話もない。まあ、電気はきていたのだが。
日本で普通に暮らしてきた多くの人びと……それをあるいは常民ということもできるかもしれないが……の生活の実態とその生活感覚の歴史、これこそ今かえりみるべきものであるにちがいない。
柳田国男の『明治大正史 世相編』も読みなおしておきたい本の一つである。『日本残酷物語』も平凡社ライブラリー版が出たときに買ってある。これも読みなおしてみたい。
2024年6月4日記
100分de名著 宮本常一“忘れられた日本人” (1)もうひとつの民俗学
『忘れられた日本人』の岩波文庫版を読んだのは、学生のときだったと憶えている。(やはり、印象に残っているのは「土佐源氏」であるのだが。)
慶應の文学部の国文で勉強したから(もう半世紀ほど前のことになる)、柳田国男や折口信夫は、当然のように読んだ。柳田国男の「著作集」、折口信夫の「全集」も学部の学生の時に買ってそろえた。今でも持っている。そのころ、宮本常一の「著作集」が書店にあったのは見ているのだが、それを買いそろえて読もうということはなかった。
勉強したのが、国語学のなかでも訓点語、文字、表記というような分野のことになったので、直接、民俗学の論文を読んだりということはなかったのだが、しかし、歴史を考えるときに民俗学の視点が重要であるという気持ちは持ち続けてきた。
佐野眞一の『旅する巨人』が文庫本で出たときには、買って読んだ。
番組の第一回であるが、興味深いのは、オシラサマについての、柳田国男と宮本常一の記述の違いである。柳田国男については、『遠野物語』が引用してあった。私は、実は、『遠野物語』を全部とおしてきちんと読んだことがない。何度かこころみたことはあるのだが、途中でやめてしまう。理由は、怖いからである。日本の近代に書かれた文章のなかで、心底から恐怖を感じる文章は『遠野物語』であると強く思っている。それもあって、吉本隆明の『共同幻想論』も読み通してはいないのである。まあ、この年になって思うことしては、『遠野物語』は読んでおきたいという気持ちがあるのだが。
宮本常一からは離れるが、汽車に乗ったら窓から外の風景を見よ……これは、私が、中学校のときに、担任の先生から教わったことである。人文地理学を勉強した社会科の先生だった。車窓から見える田圃の区画がどうなっているか、畦には何が植えてあるか観察することの意味、そのようなことを話したくれたことを憶えている。
宮本常一の民俗学を、今のことばでいいかえるとするならば、生活誌という用語が一番近いかもしれないと思う。
私は、昭和三〇年(一九五五)の生まれである。生まれたのは山陰の寒村である。育ちとしては、京都の宇治市になるが。そのせいもあるのだろうが、日本が高度経済成長に大きく変わっていく姿と、それにとりのこされつつも新しい生活様式に変わっていく農村の姿を、かろうじて体験的に記憶している世代ということになる。
ちなみに、生まれた家には、ガスも水道もなかった。台所にはかまどがあり、囲炉裏があり、井戸水だった。牛とニワトリを飼っていた屋根は藁葺きだった。無論、電話もない。まあ、電気はきていたのだが。
日本で普通に暮らしてきた多くの人びと……それをあるいは常民ということもできるかもしれないが……の生活の実態とその生活感覚の歴史、これこそ今かえりみるべきものであるにちがいない。
柳田国男の『明治大正史 世相編』も読みなおしておきたい本の一つである。『日本残酷物語』も平凡社ライブラリー版が出たときに買ってある。これも読みなおしてみたい。
2024年6月4日記
ドキュメント20min.「スイートルームズ」 ― 2024-06-07
2024年6月7日 當山日出夫
ドキュメント20min. 「スイートルームズ」
再放送である。最初の時は見ていなかった。
登場していたのは、佐伯ポインティとシシヤマザキ。両人とも知らなかった。
猥談ユーチューバーというのは、あっても当然だろうと思う。人間のあり方として、そのようなものを求めるのは自然である。それが、時代、地域、社会的階層などによってどのようであるのか、というのは、これはこれとして興味深いことがらである。YouTubeという新しいメディアにおいて、それがなされるのはごく自然ななりゆきと思う。(といって、それを見てみたいという気にはならないのだが。)
アーティストにとっての身体性という問題は、いろいろと考えることがある。それが、現代では、コンピュータの操作とつながったところにある。ディスプレイを見て、キーボードを打ち、マウスを動かす、この動作もまた、アーティストにとっては基本的な身体感覚を構成するものということになる。
ともあれ、人の部屋をのぞいて見るという企画は、以前からある。どちらかの本棚に妹尾河童の本がおいてあった。部屋や仕事場から、その人の人となりや仕事ぶりを観察するという発想は、珍しいものではないかと思うが、テレビのドキュメンタリーとして、部屋をメインにあつかうというのは、ある意味で斬新な発想であるかもしれない。テレビという映像メディアでは、その部屋が映ることが当たり前すぎて、改めて部屋を映して見せるということがなかったのかもしれない。
私など、テレビのニュースなどで、解説に登場する専門家が映ると、話しよりも、背景に映っている本棚の方に関心がいってしまう。人の部屋を見る、特に本棚を見るというのは、面白いものである。
2024年6月5日記
ドキュメント20min. 「スイートルームズ」
再放送である。最初の時は見ていなかった。
登場していたのは、佐伯ポインティとシシヤマザキ。両人とも知らなかった。
猥談ユーチューバーというのは、あっても当然だろうと思う。人間のあり方として、そのようなものを求めるのは自然である。それが、時代、地域、社会的階層などによってどのようであるのか、というのは、これはこれとして興味深いことがらである。YouTubeという新しいメディアにおいて、それがなされるのはごく自然ななりゆきと思う。(といって、それを見てみたいという気にはならないのだが。)
アーティストにとっての身体性という問題は、いろいろと考えることがある。それが、現代では、コンピュータの操作とつながったところにある。ディスプレイを見て、キーボードを打ち、マウスを動かす、この動作もまた、アーティストにとっては基本的な身体感覚を構成するものということになる。
ともあれ、人の部屋をのぞいて見るという企画は、以前からある。どちらかの本棚に妹尾河童の本がおいてあった。部屋や仕事場から、その人の人となりや仕事ぶりを観察するという発想は、珍しいものではないかと思うが、テレビのドキュメンタリーとして、部屋をメインにあつかうというのは、ある意味で斬新な発想であるかもしれない。テレビという映像メディアでは、その部屋が映ることが当たり前すぎて、改めて部屋を映して見せるということがなかったのかもしれない。
私など、テレビのニュースなどで、解説に登場する専門家が映ると、話しよりも、背景に映っている本棚の方に関心がいってしまう。人の部屋を見る、特に本棚を見るというのは、面白いものである。
2024年6月5日記
「こうして僕らは医師になる〜沖縄県立中部病院 研修日記〜」 ― 2024-06-08
2024年6月8日 當山日出夫
時をかけるテレビ こうして僕らは医師になる〜沖縄県立中部病院 研修日記〜
沖縄のこの病院のような研修病院は、日本には他にどこにどれくらいあるのだろうか。沖縄県立中部病院が、アメリカ統治下から流れを引き継ぐものであることは理解できたのだが、このような病院、あるいは、医師の研修の制度というのは、日本の全体としてはどうなっているのだろうか。
専門医を育てるということは時々目にすることではあるが、総合医についてはあまり話しを聞かないような気がする。
医療の話しとは関係ないのだが、最近の話題としては、日本における人口の減少、消滅可能性自治体ということが言われている。そうとおくない将来、日本における人口構造は激変する可能性がある。(これは、世界では日本だけのことではない。)そうなったとき、医療だけではなく、教育や福祉、介護の問題など、総合的に考えなおさなければならないにちがいない。いや、今から考えておかないといけない。だが、それを先送りしているだけのことのように思える。
一つには、医師の仕事とは何であるか、医師の教育とはなんであるか、ということを問いかける番組である。と同時に、この番組の放送(二〇一二)から一〇年以上が経過して、医療の問題をさらに広い視点から考えなければならない時代になってきていると感じるところがある。
それから思うこととしては、医師の教育に必要なのは、人間と接することであり、また、広い意味での教養……芸術にふれることであったり、人間というものについて考えることであったり、世界の情勢や地球環境について考えることであったり……ということが、求められるのではないかと、私は思う。それは、医学部の教育においても必要であるし、また、それ以前の中等教育の段階においても必要なことである。
今、医学部を目指そうとしている高校生たちが、この番組を見てどんなことを思うだろうかとも思う。
2024年6月7日記
時をかけるテレビ こうして僕らは医師になる〜沖縄県立中部病院 研修日記〜
沖縄のこの病院のような研修病院は、日本には他にどこにどれくらいあるのだろうか。沖縄県立中部病院が、アメリカ統治下から流れを引き継ぐものであることは理解できたのだが、このような病院、あるいは、医師の研修の制度というのは、日本の全体としてはどうなっているのだろうか。
専門医を育てるということは時々目にすることではあるが、総合医についてはあまり話しを聞かないような気がする。
医療の話しとは関係ないのだが、最近の話題としては、日本における人口の減少、消滅可能性自治体ということが言われている。そうとおくない将来、日本における人口構造は激変する可能性がある。(これは、世界では日本だけのことではない。)そうなったとき、医療だけではなく、教育や福祉、介護の問題など、総合的に考えなおさなければならないにちがいない。いや、今から考えておかないといけない。だが、それを先送りしているだけのことのように思える。
一つには、医師の仕事とは何であるか、医師の教育とはなんであるか、ということを問いかける番組である。と同時に、この番組の放送(二〇一二)から一〇年以上が経過して、医療の問題をさらに広い視点から考えなければならない時代になってきていると感じるところがある。
それから思うこととしては、医師の教育に必要なのは、人間と接することであり、また、広い意味での教養……芸術にふれることであったり、人間というものについて考えることであったり、世界の情勢や地球環境について考えることであったり……ということが、求められるのではないかと、私は思う。それは、医学部の教育においても必要であるし、また、それ以前の中等教育の段階においても必要なことである。
今、医学部を目指そうとしている高校生たちが、この番組を見てどんなことを思うだろうかとも思う。
2024年6月7日記
ドキュメント20min.「運命との闘牌」 ― 2024-06-08
2024年6月8日 當山日出夫
ドキュメント20min. 運命との闘牌
私が学生のころ……もう半世紀ほど昔のころのことになるが……学生の間では、麻雀がはやっていた。しかし、私はまったく興味がなかった。触れたこともないし、ルールも知らない。
今、麻雀が社会的にブームになっていることは、知識としては知っていたが、プロがいるとは知らなかった。世の中、変わっていくものである。
番組としては面白い。これを、別の視点から考えるとどうなるだろうか。
人間の自由意志ですべてを決めることは可能だろうか。いや、そもそも自由意志というものが存在するのだろうか。
現代では、個人の自由な意志を最も尊重する。それをはばむものは悪であり、自分の自由意志で生きて行くことが善とされる。それは、この番組で使ったことばいえば、実力ということになる。実力は、基本的には努力で手に入れるものとされる。またこれは、結果についての自己責任論ともつながる。
その一方で、人間は、ある特定の歴史的、社会的、文化的な環境の中で生まれ育つ。また、どのような才能があるかは自分で決めることはできない。現代の人間観では、それは、おおきく遺伝子に依存する。どのような遺伝子をもって、どのような環境に生まれ育つかは、自分で決めることのできないことである。これを運といってもいいだろう。
さらには、教育の分野においては、人間の人生に大きく影響するのは、生まれや出自であるのか、育ちや家庭環境や教育環境であるのか、という問題にもつながる。
運か実力かという問いは、現代社会における人間観と深くかかわる問題でもある。
2024年6月6日記
ドキュメント20min. 運命との闘牌
私が学生のころ……もう半世紀ほど昔のころのことになるが……学生の間では、麻雀がはやっていた。しかし、私はまったく興味がなかった。触れたこともないし、ルールも知らない。
今、麻雀が社会的にブームになっていることは、知識としては知っていたが、プロがいるとは知らなかった。世の中、変わっていくものである。
番組としては面白い。これを、別の視点から考えるとどうなるだろうか。
人間の自由意志ですべてを決めることは可能だろうか。いや、そもそも自由意志というものが存在するのだろうか。
現代では、個人の自由な意志を最も尊重する。それをはばむものは悪であり、自分の自由意志で生きて行くことが善とされる。それは、この番組で使ったことばいえば、実力ということになる。実力は、基本的には努力で手に入れるものとされる。またこれは、結果についての自己責任論ともつながる。
その一方で、人間は、ある特定の歴史的、社会的、文化的な環境の中で生まれ育つ。また、どのような才能があるかは自分で決めることはできない。現代の人間観では、それは、おおきく遺伝子に依存する。どのような遺伝子をもって、どのような環境に生まれ育つかは、自分で決めることのできないことである。これを運といってもいいだろう。
さらには、教育の分野においては、人間の人生に大きく影響するのは、生まれや出自であるのか、育ちや家庭環境や教育環境であるのか、という問題にもつながる。
運か実力かという問いは、現代社会における人間観と深くかかわる問題でもある。
2024年6月6日記
『虎に翼』「女の知恵は鼻の先?」 ― 2024-06-09
2024年6月9日 當山日出夫
『虎に翼』第10週「女の知恵は鼻の先?」
近代の法的な家父長制的家族制度というのは、明治になってからできあがったものである、とドラマの中で言っていた。これに対して、X(Twitter)などでは、絶賛されている。
しかし、このようなことは、ちょっと歴史についての知識があれば、当たり前のことである。強いて言うほどのことではない。ましてや、このことについて、まるで鬼の首でも取ったかのようにはしゃぐことではない。
いわゆる「創られた伝統」である。このことの意味することには、慎重でなければならない。これは、本来の意味での保守的な人間こそが、深く考えていることである、と私は思っている。
まず、近代の民族国家、国民国家にとって、「創られた伝統」はその必要があってのものであるということがある。国家、国民、民族の統合の基盤にあるものとして、歴史的に何を意識することになるのか、その具体的な現れの一つである。このようなものは、ドラマで問題にしている家父長制以外にも、たくさんある。身の周りの年中行事や衣食住にかんするもので、伝統的と感じられるものの多くは、近代になってから創出され、あるいは、再定義されたものがある。
「創られた伝統」だから、壊していい、無視していい、というのは、人間とはどんなふうにして生きているものなのか、ということについての、まったく軽薄な考え方である。人間は、そのようにしか生きられないものである、という側面を考えておかなければならない。国家とか民族とか国民とかというものは、そのようなものなのである。そして、人間についてのこのような認識を基本にしてこそ、異なる価値観や伝統や文化を持った他の人びとへの理解と共感がある。ただ観念的に人間の平等を言うだけでは、摩擦を生むだけである。
現在の日本で「創られた伝統」の最たるものは、象徴天皇制である。
しかし、「創られた伝統」に拘束されてはいけない。そのような性質のものでああることを分かったうえで、人びとの生活のなかでどうあるべきか、反省しつづける必要がある。この意味で、戦後になって民主的に民法を改正することに、問題があるわけではない。
さらに、たしかに家父長制は明治になってから法的に決められたことではある。だが、それ以前、旧民法の制定以前の人びとは、いったいどんな暮らし方をしてきたのか、考えてみる必要もある。おそらく現在の、あるいは、ドラマの設定の時代の知見としても、古代から江戸時代まで、決して日本に暮らしてきた人びとの大多数は、必ずしも家父長制的な制度のなかにのみあったのではないだろう。人びとの暮らしの歴史のなかの多様性ということを考えてみてもいいのではないか。
おそらく、江戸時代の武士階層などは、家父長制的制度であっただろう。だが、それ以外の多くの人びとは、実際にはどうだったのだろうか。(分からないというのが本当のところかもしれない。家族制度についての人びとの意識というものは、文献史料には残りにくいものである。学問的には、民俗学とか歴史人口学などの研究領域になるだろう。)
また、ドラマのこれまでをふりかえってみて、旧民法が、寅子の勉強や仕事のさまたげになったということは、まったくなかったはずである。その時代であるにもかかわらず、寅子の法律の道への希望を応援したのは父親である。旧民法にしたがったこととしては、優三と結婚して、姓が猪爪から佐田に変わったことぐらいである。結婚することは、妻として法的に準禁治産者になることを知っていたはずだが、そのことが結婚のさまたげにはなっていなかった。寅子は、むしろ社会的地位を得るために結婚した。法律を学ぶことについても、弁護士になることについても、旧民法の壁にはばまれたということはなかった。弁護士を辞めることにはなったが、このことは、旧民法とは関係ない。結婚して子どものいる女性は仕事をしてはいけない、などという規定があるから辞めたわけではない。(周囲の人びとは、誰も仕事を辞めろとは言っていなかった。寅子が、自分でそう思っただけのことである。)
そもそも、寅子が法律の勉強を始めるきっかけになった場面を思い出してみる。結婚した女性は無能力者であるという発言が教室から聞こえてきて、疑問に思ったということであった。このところも、旧民法が、国民の間にひろく浸透したものであったならば、高等女学校までの当時の女性としてはハイレベルの教育を受けていた寅子が、そのことを知らないはずがない。言いかえるならば、旧民法がどれほど国民の間に浸透していたか、まずこれを疑問視するエピソードになるはずのところである。
法律の制度としてどうあるか、ということと、人びとがどのような生活感覚で暮らしてきたのかという実態とは、別の次元のことがらである。(だからこそ、闇の食糧を食べずに餓死する判事が生まれてくることになる。)
現実には、多くの人びとは法律でがんじがらめの状態で束縛を感じながら生きてきたわけではないし、今でもそうである。
では、法律の規定が、人びとの生活感覚に近いものであればそれでいいのか、となるとまた話しは別問題である。日常生活の一挙手一投足まで法律で決められているような社会を人びとは望むのだろうか。私は、たとえ憲法であっても、それが日常生活の隅々にまで入りこんで人びとの意識や行動を規定するような社会は、まっぴらである。人びとが平和に民主的に暮らすということの理念的基盤は、他にもとめられるべきものであると考える。憲法からスタートするのではなく、憲法がどのような理念のもとに制定されたものでるか、そこをこそ考えるべきである。憲法は権力をしばるものではあるが、同時に、その制定にはなにがしか権力の介在を必要とする。権力と無縁な憲法はありえない。憲法は、宗教の啓典ではないのである。
X(Twitter)ではあまり反応がなかったことの一つに、神保教授のことばがある。未来の理想を追求して今の人びとの生活を破壊するよりも、今目の前にいる人びとのしあわせを考えるべきではないか……このような趣旨であった(この発想は、本来の意味での保守主義……エドマンド・バークのいう……である。脚本はここをきちんとふまえてつくってある)。これは、現在のリベラルの弱点の一つである。この場合、理想の未来こそ大事なのであると、きちんと反論すべきなのである。このとき、寅子は、姓の問題に言及していたが、これは論点のすりかえである(そもそも、姓もまた明治になってからの「創られた伝統」なのであるが、問題視していない)。この発言に、まともに反論できないようでは、現在のリベラルが衰弱したと言われてもしかたがない。
付言するならば、家父長制が「創られた伝統」であり非民主的であるとして否定されるならば、姓もまた、同様に「創られた伝統」であって、どのような親(父または母)から生まれたかを名乗らねばならないことを強制するものであり、非民主的であり個人の自由を制限するものであると否定することもできる。このことについて、夫婦同姓にせよ、別姓にせよ、それを主張するものは合理的に説明しなければならない。なお、現行の民法では、姓を変更することは可能である。これは、三淵嘉子がかかわることになる家庭裁判所の仕事になる。
2024年6月8日
『虎に翼』第10週「女の知恵は鼻の先?」
近代の法的な家父長制的家族制度というのは、明治になってからできあがったものである、とドラマの中で言っていた。これに対して、X(Twitter)などでは、絶賛されている。
しかし、このようなことは、ちょっと歴史についての知識があれば、当たり前のことである。強いて言うほどのことではない。ましてや、このことについて、まるで鬼の首でも取ったかのようにはしゃぐことではない。
いわゆる「創られた伝統」である。このことの意味することには、慎重でなければならない。これは、本来の意味での保守的な人間こそが、深く考えていることである、と私は思っている。
まず、近代の民族国家、国民国家にとって、「創られた伝統」はその必要があってのものであるということがある。国家、国民、民族の統合の基盤にあるものとして、歴史的に何を意識することになるのか、その具体的な現れの一つである。このようなものは、ドラマで問題にしている家父長制以外にも、たくさんある。身の周りの年中行事や衣食住にかんするもので、伝統的と感じられるものの多くは、近代になってから創出され、あるいは、再定義されたものがある。
「創られた伝統」だから、壊していい、無視していい、というのは、人間とはどんなふうにして生きているものなのか、ということについての、まったく軽薄な考え方である。人間は、そのようにしか生きられないものである、という側面を考えておかなければならない。国家とか民族とか国民とかというものは、そのようなものなのである。そして、人間についてのこのような認識を基本にしてこそ、異なる価値観や伝統や文化を持った他の人びとへの理解と共感がある。ただ観念的に人間の平等を言うだけでは、摩擦を生むだけである。
現在の日本で「創られた伝統」の最たるものは、象徴天皇制である。
しかし、「創られた伝統」に拘束されてはいけない。そのような性質のものでああることを分かったうえで、人びとの生活のなかでどうあるべきか、反省しつづける必要がある。この意味で、戦後になって民主的に民法を改正することに、問題があるわけではない。
さらに、たしかに家父長制は明治になってから法的に決められたことではある。だが、それ以前、旧民法の制定以前の人びとは、いったいどんな暮らし方をしてきたのか、考えてみる必要もある。おそらく現在の、あるいは、ドラマの設定の時代の知見としても、古代から江戸時代まで、決して日本に暮らしてきた人びとの大多数は、必ずしも家父長制的な制度のなかにのみあったのではないだろう。人びとの暮らしの歴史のなかの多様性ということを考えてみてもいいのではないか。
おそらく、江戸時代の武士階層などは、家父長制的制度であっただろう。だが、それ以外の多くの人びとは、実際にはどうだったのだろうか。(分からないというのが本当のところかもしれない。家族制度についての人びとの意識というものは、文献史料には残りにくいものである。学問的には、民俗学とか歴史人口学などの研究領域になるだろう。)
また、ドラマのこれまでをふりかえってみて、旧民法が、寅子の勉強や仕事のさまたげになったということは、まったくなかったはずである。その時代であるにもかかわらず、寅子の法律の道への希望を応援したのは父親である。旧民法にしたがったこととしては、優三と結婚して、姓が猪爪から佐田に変わったことぐらいである。結婚することは、妻として法的に準禁治産者になることを知っていたはずだが、そのことが結婚のさまたげにはなっていなかった。寅子は、むしろ社会的地位を得るために結婚した。法律を学ぶことについても、弁護士になることについても、旧民法の壁にはばまれたということはなかった。弁護士を辞めることにはなったが、このことは、旧民法とは関係ない。結婚して子どものいる女性は仕事をしてはいけない、などという規定があるから辞めたわけではない。(周囲の人びとは、誰も仕事を辞めろとは言っていなかった。寅子が、自分でそう思っただけのことである。)
そもそも、寅子が法律の勉強を始めるきっかけになった場面を思い出してみる。結婚した女性は無能力者であるという発言が教室から聞こえてきて、疑問に思ったということであった。このところも、旧民法が、国民の間にひろく浸透したものであったならば、高等女学校までの当時の女性としてはハイレベルの教育を受けていた寅子が、そのことを知らないはずがない。言いかえるならば、旧民法がどれほど国民の間に浸透していたか、まずこれを疑問視するエピソードになるはずのところである。
法律の制度としてどうあるか、ということと、人びとがどのような生活感覚で暮らしてきたのかという実態とは、別の次元のことがらである。(だからこそ、闇の食糧を食べずに餓死する判事が生まれてくることになる。)
現実には、多くの人びとは法律でがんじがらめの状態で束縛を感じながら生きてきたわけではないし、今でもそうである。
では、法律の規定が、人びとの生活感覚に近いものであればそれでいいのか、となるとまた話しは別問題である。日常生活の一挙手一投足まで法律で決められているような社会を人びとは望むのだろうか。私は、たとえ憲法であっても、それが日常生活の隅々にまで入りこんで人びとの意識や行動を規定するような社会は、まっぴらである。人びとが平和に民主的に暮らすということの理念的基盤は、他にもとめられるべきものであると考える。憲法からスタートするのではなく、憲法がどのような理念のもとに制定されたものでるか、そこをこそ考えるべきである。憲法は権力をしばるものではあるが、同時に、その制定にはなにがしか権力の介在を必要とする。権力と無縁な憲法はありえない。憲法は、宗教の啓典ではないのである。
X(Twitter)ではあまり反応がなかったことの一つに、神保教授のことばがある。未来の理想を追求して今の人びとの生活を破壊するよりも、今目の前にいる人びとのしあわせを考えるべきではないか……このような趣旨であった(この発想は、本来の意味での保守主義……エドマンド・バークのいう……である。脚本はここをきちんとふまえてつくってある)。これは、現在のリベラルの弱点の一つである。この場合、理想の未来こそ大事なのであると、きちんと反論すべきなのである。このとき、寅子は、姓の問題に言及していたが、これは論点のすりかえである(そもそも、姓もまた明治になってからの「創られた伝統」なのであるが、問題視していない)。この発言に、まともに反論できないようでは、現在のリベラルが衰弱したと言われてもしかたがない。
付言するならば、家父長制が「創られた伝統」であり非民主的であるとして否定されるならば、姓もまた、同様に「創られた伝統」であって、どのような親(父または母)から生まれたかを名乗らねばならないことを強制するものであり、非民主的であり個人の自由を制限するものであると否定することもできる。このことについて、夫婦同姓にせよ、別姓にせよ、それを主張するものは合理的に説明しなければならない。なお、現行の民法では、姓を変更することは可能である。これは、三淵嘉子がかかわることになる家庭裁判所の仕事になる。
2024年6月8日
「アポロ13号の奇跡 緊迫の87時間」 ― 2024-06-09
2024年6月9日 當山日出夫
アナザーストーリーズ アポロ13号の奇跡 緊迫の87時間
この事故のときのことは記憶している。また、映画はテレビで放送されたのは見た。
見て思うことは、現場の力、とでもいうべきだろうか。NASAの体制が非常に硬直したものであったことは問題だと思うが、それを救ったのはメーカーの現場の技術者たちであったということになる。この番組で描いていたところでは、であるが。そして、これは、映画では出てこなかったことである。
印象に残るのは、船内の二酸化炭素をどうするか。実際に宇宙船の中に何があるのか、使えるものは何なのか、地球にいても完全に把握できていた、というのはやはりすごいことだと思う。
これは、ヒーローの物語としてではなく、現場のエンジニアの知見をどう共有するか、もし事故がおこったとき、どう対応するかということになるかという教訓を得ることができるだろう。
2024年6月8日記
アナザーストーリーズ アポロ13号の奇跡 緊迫の87時間
この事故のときのことは記憶している。また、映画はテレビで放送されたのは見た。
見て思うことは、現場の力、とでもいうべきだろうか。NASAの体制が非常に硬直したものであったことは問題だと思うが、それを救ったのはメーカーの現場の技術者たちであったということになる。この番組で描いていたところでは、であるが。そして、これは、映画では出てこなかったことである。
印象に残るのは、船内の二酸化炭素をどうするか。実際に宇宙船の中に何があるのか、使えるものは何なのか、地球にいても完全に把握できていた、というのはやはりすごいことだと思う。
これは、ヒーローの物語としてではなく、現場のエンジニアの知見をどう共有するか、もし事故がおこったとき、どう対応するかということになるかという教訓を得ることができるだろう。
2024年6月8日記
『光る君へ』「雪の舞うころ」 ― 2024-06-10
2024年6月10日 當山日出夫
『光る君へ』「雪の舞うころ」
まずひっかかるのは、まひろが、左大臣を帝の次にえらい人、と言っていたことである。おそらく、昔なら、不敬罪になりかねないと思うのだが。帝(天皇)という地位は絶対的なものであって、臣下である左大臣とは次元が違う。それを、同じモノサシのうえにおいて上下を比較するなど、もってのほかである……ということになる。
一〇世紀末の日本と宋との交易関係がどうであったか、このあたりは時代考証のことになるが、少なくともこの時代、中国の王朝と日本が対等な資格で貿易をするということはありえなかっただろう。あったとすれば、商人どうしの勝手な交易か、さもなくば、国がかかわるとなると朝貢という形式になるはずだと思っているが、どうだろうか。宋にとって、日本は東夷である。そのような関係を壊していったのが、日本の中世の倭寇であったり、大航海時代のスペイン、ポルトガルの動きということだと思っている。
この時代に、今日のような日本人とか宋人などという概念が明確にあったとは思えないが、これはドラマの中でのことである。
紫式部は、ウニを食べていたのだろうか。前回は、羊を食べていたが。
ドラマのなかでは金が出てきていた。銭は使っていなかった。このあたりは時代考証の結果ということなのだろう。
藤原行成が書いた『古今和歌集』がもし現存していたら、国宝どころのさわぎではない。まあ、行成が『古今和歌集』を筆写していたことは、ありうることである。
『枕草子』の成立も考えるべきところがある。現在、普通によまれている三巻本の章立ての順、つまり、「春はあけぼの」から順番に書いていった、ということではないのだろう。では、現在の章立てに編纂したのは、誰が何時ごろということになる。
この時代の婚姻関係を、現代語の「妻」「夫」というようなことばで言ってしまうのは、やはり抵抗を感じる。かといって、別のことばがあるわけではないのだが。
定子が女の子を産んだが、姫皇子(ひめみこ)と言っていた。決して「内親王」ではない。このようなことを思うのは、今から二〇年以上前のことになるが、天皇陛下の長女である愛子さまが御誕生になったとき、宮内庁がいきなり「内親王様」という表現をしたことを憶えているからである。きちんとした手続きを経なければ、「内親王」と称してはいけないはずなのである。
2024年6月9日記
『光る君へ』「雪の舞うころ」
まずひっかかるのは、まひろが、左大臣を帝の次にえらい人、と言っていたことである。おそらく、昔なら、不敬罪になりかねないと思うのだが。帝(天皇)という地位は絶対的なものであって、臣下である左大臣とは次元が違う。それを、同じモノサシのうえにおいて上下を比較するなど、もってのほかである……ということになる。
一〇世紀末の日本と宋との交易関係がどうであったか、このあたりは時代考証のことになるが、少なくともこの時代、中国の王朝と日本が対等な資格で貿易をするということはありえなかっただろう。あったとすれば、商人どうしの勝手な交易か、さもなくば、国がかかわるとなると朝貢という形式になるはずだと思っているが、どうだろうか。宋にとって、日本は東夷である。そのような関係を壊していったのが、日本の中世の倭寇であったり、大航海時代のスペイン、ポルトガルの動きということだと思っている。
この時代に、今日のような日本人とか宋人などという概念が明確にあったとは思えないが、これはドラマの中でのことである。
紫式部は、ウニを食べていたのだろうか。前回は、羊を食べていたが。
ドラマのなかでは金が出てきていた。銭は使っていなかった。このあたりは時代考証の結果ということなのだろう。
藤原行成が書いた『古今和歌集』がもし現存していたら、国宝どころのさわぎではない。まあ、行成が『古今和歌集』を筆写していたことは、ありうることである。
『枕草子』の成立も考えるべきところがある。現在、普通によまれている三巻本の章立ての順、つまり、「春はあけぼの」から順番に書いていった、ということではないのだろう。では、現在の章立てに編纂したのは、誰が何時ごろということになる。
この時代の婚姻関係を、現代語の「妻」「夫」というようなことばで言ってしまうのは、やはり抵抗を感じる。かといって、別のことばがあるわけではないのだが。
定子が女の子を産んだが、姫皇子(ひめみこ)と言っていた。決して「内親王」ではない。このようなことを思うのは、今から二〇年以上前のことになるが、天皇陛下の長女である愛子さまが御誕生になったとき、宮内庁がいきなり「内親王様」という表現をしたことを憶えているからである。きちんとした手続きを経なければ、「内親王」と称してはいけないはずなのである。
2024年6月9日記
「安保闘争 燃え盛った政治の季節」 ― 2024-06-11
2024年6月11日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 安保闘争 燃え盛った政治の季節
安保闘争(六〇年、七〇年)を、NHKでとりあげるということで、どういう視点から描くことになるのかと思っていた。結果としては、よく作ってあったということになると、私としては感じる。
『夢であいましょう』から始まるというのは、意表を突いた構成である。だが、「上を向いて歩こう」の歌の意味については、考えることになる。
安保条約や反対運動について、特に新しい知見があるという番組ではない。しかし、日本において、あのような時代があったということは、記録に残し、人びとの記憶に残っていくべきことであると私は思っている。
たまたま、「100分de名著」と同じ月曜の夜の放送であった。それぞれ録画しておいて、翌日に見たのであるが、偶然になるが、やはり佐野眞一の本を思い出す。『唐牛伝』である。全学連委員長であった唐牛健太郎の評伝である。いろんな職業を経て、北海道でアザラシ猟師をしていたことはこの本で知っていたが、実際の映像が残っていることには、正直おどろいたところである。
政治史としては、戦後の日本国憲法の制定と日米安保条約はワンセットのものであったととらえることになる。それは東西冷戦の時代であり、冷戦終結の現在にいたるまで、日米関係はいかにあるべきか、という議論は続いている。完全な日本の独立ということと、安保条約とは切り離して考えることはできない。さらに、近年の中国やロシアなどの東アジアの情勢を考えると、議論はややこしくなるばかりかもしれない。
昭和三〇年(一九五五)生まれの私としては、六〇年安保は憶えていない。しかし、七〇年安保は、記憶のうちにあるできごとである。世の中の熱気と、それから、浅間山荘事件、連合赤軍事件へとつづく流れは、憶えている。
七〇年安保の世代は、私の世代の少し上の世代になる。学生のころ、先輩の学生と話しをする機会があると、なんとなくその時代の空気のようなものを感じたものである。あるいは、私が学生になったころ、大学のキャンパスは平穏を回復していたとはいえ、どこかに、学園紛争の名残をとどめているところもあった。
一般には「学生運動」ということで捕らえられがちな安保闘争に、多くの国民が加わっていたということは、重要なことである。そのなかには、機動隊員であった若者のこともふくめて考える視点を、今こそもつべきだろう。学生の視点から見れば権力の手先ということになるのだが。番組のなかで紹介されていた吉野源三郎の言っていることは、考えるべきである。強いていえば、そのとき、日本国内で起こっていたことの構造が、現在ではグローバルに起こっていると考えることもできようか。
吉田茂、岸信介、池田勇人、これらの政治的判断については、まだ評価が定まらないということになるだろうか。
番組を見て思うことは、安保闘争(六〇年、七〇年)は、いったい日本に何を残したのだろうか、というある種の虚しさのようなものである。
小熊英二の『1968』は読んだ本なのだが、再読してみようという気にはならないでいる。『ゲバルトの杜』を見に行こうとは思わない。『彼は早稲田で死んだ』は出たときに読んだのだが。
2024年6月4日記
映像の世紀バタフライエフェクト 安保闘争 燃え盛った政治の季節
安保闘争(六〇年、七〇年)を、NHKでとりあげるということで、どういう視点から描くことになるのかと思っていた。結果としては、よく作ってあったということになると、私としては感じる。
『夢であいましょう』から始まるというのは、意表を突いた構成である。だが、「上を向いて歩こう」の歌の意味については、考えることになる。
安保条約や反対運動について、特に新しい知見があるという番組ではない。しかし、日本において、あのような時代があったということは、記録に残し、人びとの記憶に残っていくべきことであると私は思っている。
たまたま、「100分de名著」と同じ月曜の夜の放送であった。それぞれ録画しておいて、翌日に見たのであるが、偶然になるが、やはり佐野眞一の本を思い出す。『唐牛伝』である。全学連委員長であった唐牛健太郎の評伝である。いろんな職業を経て、北海道でアザラシ猟師をしていたことはこの本で知っていたが、実際の映像が残っていることには、正直おどろいたところである。
政治史としては、戦後の日本国憲法の制定と日米安保条約はワンセットのものであったととらえることになる。それは東西冷戦の時代であり、冷戦終結の現在にいたるまで、日米関係はいかにあるべきか、という議論は続いている。完全な日本の独立ということと、安保条約とは切り離して考えることはできない。さらに、近年の中国やロシアなどの東アジアの情勢を考えると、議論はややこしくなるばかりかもしれない。
昭和三〇年(一九五五)生まれの私としては、六〇年安保は憶えていない。しかし、七〇年安保は、記憶のうちにあるできごとである。世の中の熱気と、それから、浅間山荘事件、連合赤軍事件へとつづく流れは、憶えている。
七〇年安保の世代は、私の世代の少し上の世代になる。学生のころ、先輩の学生と話しをする機会があると、なんとなくその時代の空気のようなものを感じたものである。あるいは、私が学生になったころ、大学のキャンパスは平穏を回復していたとはいえ、どこかに、学園紛争の名残をとどめているところもあった。
一般には「学生運動」ということで捕らえられがちな安保闘争に、多くの国民が加わっていたということは、重要なことである。そのなかには、機動隊員であった若者のこともふくめて考える視点を、今こそもつべきだろう。学生の視点から見れば権力の手先ということになるのだが。番組のなかで紹介されていた吉野源三郎の言っていることは、考えるべきである。強いていえば、そのとき、日本国内で起こっていたことの構造が、現在ではグローバルに起こっていると考えることもできようか。
吉田茂、岸信介、池田勇人、これらの政治的判断については、まだ評価が定まらないということになるだろうか。
番組を見て思うことは、安保闘争(六〇年、七〇年)は、いったい日本に何を残したのだろうか、というある種の虚しさのようなものである。
小熊英二の『1968』は読んだ本なのだが、再読してみようという気にはならないでいる。『ゲバルトの杜』を見に行こうとは思わない。『彼は早稲田で死んだ』は出たときに読んだのだが。
2024年6月4日記
「技術よ 小さき命を救え 〜町工場 夢の心臓・血管パッチ開発〜」 ― 2024-06-12
2024年6月12日 當山日出夫
新プロジェクトX 技術よ 小さき命を救え 〜町工場 夢の心臓・血管パッチ開発〜
ようやく実用化されたばかりの製品のことをとりあげるのは、かつての「プロジェクトX」をふくめて異例のことかもしれない。おそらくは、医療用としての安全性と将来性の見込みがあるから、ということなのだろう。
その技術の大部分は特許の対象であろうから、具体的なことがあまり語られなかったのはしかたないことと思う。
これからの日本の産業を考えるうえでは、高付加価値の製品という方向があることはたしかであり、この意味では成功した事例ということになる。もう、安価に大量生産することによってシェアを取るという時代ではない。先端的な研究開発にこそ、注力すべきである。そのためには、技術者、研究者のすそ野がひろくなければならない。選択と集中が愚策であったことを認めて、方針転換するべきである。
番組では描かれなかったが、厚生労働省などはどう対応したのだろうか。医療用の技術開発というのは、これからの日本の産業にとって一つの方向であるにちがいないのだが、安全のための規制ばかりということになるようでは、将来が見えない。
2024年6月9日記
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