JADS(7):文化資源の死蔵2008-06-29

2008/06/29 當山日出夫

アート・ドキュメンテーション学会(JADS)のシンポジウムの最後は、前述の、「写し絵」であった。その後、懇親会に移動。

「写し絵」について発表したのは、みんわ座の山形文雄(平成玉川文楽)さんと、田中佑子さん。懇親会の席でのスピーチ、(残念ながら、誰がどんな話しをしたが、ほとんど覚えていないが……まあ、懇親会とはそんなものである)、しかし、「写し絵」の山形さんの語ったことは、鮮烈な印象とともに記憶に残っている。

簡潔にいえば、いま、伝統的な文化の継承をもっとも阻害しているのは、博物館・美術館である……と、言い切った。そしては、それは、そのとおりであると、思わざるを得なかった。

昭和初期まで「写し絵」は、日本でおこなわれていた。その資料は、各地の、資料館・博物館・美術館などに、保存されている。以前、実際に使用されていた、「写し絵」の現物の「種板」(映画や写真でいえば、フィルムに相当する)、これが、かなり保存されている。

だが、これを研究して、現在によみがえらせようとすると、とたんに、ストップがかかる。理由は、その利用の主体が、「みんわ座」という商業利用にかかわるから、である。

おそらく、この私のブログ「やまもも書斎記」を読んでいる人の多くは、なにがしか、アカデミズムに関わっているであろうと、推測する。学術的な利用、あるいは、教育目的の利用であれば、著作権において、許容範囲とされる。

しかし、現行の著作権、あるいは、各種の学術資料の保存機関(博物館・美術館など)の利用規程では、商業利用にはきわめて厳しい。かつて、「写し絵」は、商業的に利用されてきた。それを継承するのも、また、新たなビジネスにおいてである。

これは、「写し絵」に限らない。日本の近世期を代表する絵画芸術である「浮世絵」、いま、それらのデジタルアーカイブが、日本のみならず、世界的規模で進行している。だが、それにかかわる組織・研究機関において、画像データの商業利用を認めるところが、どれほどあるだろうか。

考えてもみよう、かつて、「浮世絵」それ自体が、「商品」として、日本で一般に流通していたのではないか。売り買いされていたのである。それを、現在に文化遺産として「継承」しようとしたとき、その「商業利用」は、なにがしかのルールのもとで認められなければならない。でなければ、単に、資料を「保存」しているだけである。伝統的文化遺産の「保存」と「継承」は、異なると認識すべきである。

文化財を「保存」という大義名分のもとに、「死蔵」してしまっていいのだろうか。新しい、表現・創造活動のために、現代から、さらに未来にむけて、「継承」していく必要がないのであろうか。もし、それが可能であるとするならば、なんらかのかたちで「商品」として、多くの人々の生活の中に流通することに、他ならない。

美術館・博物館での保存、陳列、さらには、デジタルアーカイブでの公開。これはいいとしても、その先の未来への文化の継承を考えたとき、資料の「死蔵」になってしまうこと、これは、あらためて考えねばならない、テーマである。

當山日出夫(とうやまひでお)