『麒麟がくる』あれこれ「道三の罠」2020-01-28

2020-01-28 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第二回「道三の罠」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/2.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年1月21日
『麒麟がくる』あれこれ「光秀、西へ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/21/9204604

今回の見どころは、次の二点であろうか。

第一に、合戦の場面。

旧来の大河ドラマで、戦国時代の合戦を描くとすると、広々とした草原を騎馬武者の軍団がつきすすむという感じだったかと憶えている。これが、近年になって変わってきているように感じる。

近年の戦国時代の合戦を描いたものとしては、『真田丸』があった。今回の『麒麟がくる』でも、幾多の合戦場面が出てくることだろうと思う。その描き方が、ある意味ではリアルになってきている。

これは、撮影機材……たぶんカメラの小型化ということがあってのことではないだろうか。小型のカメラを、縦横に駆使することができる。戦場で戦う武士たちの間を自在に動き回って撮ることができる。場合によっては、ドローンで空から撮影することもできる。このような機材の進歩ということもあって、合戦場面の描き方が、戦場における人間の表情までをも描くようになってきている、このように感じる。

合戦の場面には、これまでにない趣向も取り入れてあったようだ。石を飛ばしてみたり、火のついた俵を投げ込んでみたり、これらは、これまでのドラマの合戦シーンでは見なかったかと思う。このような合戦の描写は、それなりに時代考証を加えてのものなのであろう。

そして、光秀は、敵の首をとるときにためらうことになる。いったい何のために戦っているのか、一瞬であるが逡巡する。武士の誉れとは何か。このあたりのことが、後の本能寺の変をひきおこす伏線になっているのだろうと思って見ていた。

第二には、斎藤道三。

美濃のまむしである。戦国時代の下剋上を代表する人物だろう。そのすごみとでもういうべきものを、うまく出していたように思う。

城のうちでの、道三と守護の土岐頼純のシーン、これは圧巻の場面であったというべきであろうか。さて、最後は、茶で毒殺か……というところで終わっていたのだが、これは、次回、どのような展開になるのだろうか。

それにしても、この場面において、やはり、娘の帰蝶の存在には意味がある。ここは、NHKとしても、撮り直しということをしなければならなかったと感じる。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

それから、さらに書いてみるならば、このドラマでは、女性の登場人物が床にすわるとき、立て膝で座る演出をとっているようだ。この回の帰蝶がそうであった。(ただ、この場合、帰蝶は戦の姿であったことにあるのかもしれないが。)また、第一回でも、そのようなシーンがあったかと憶えている。

時代考証の点からいうならば、女性が、床に座るとき、いわゆる正座をするようになったのは、新しいことになるはずである。(これは、絵巻などに描かれた姿から考えることができる。)

さらに書いてみるならば、以前の『真田丸』で出てきた「国衆」ということばを、このドラマではつかっていない。このあたり、どのような戦国時代についての歴史観で描くことになるのか、興味深いところである。

2020年1月27日記

追記 2020-02-04
この続きは、
やまもも書斎記 2020年2月4日
『麒麟がくる』あれこれ「美濃の国」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/02/04/9210092