「半藤一利 「戦争」を解く 」2023-09-09

2023年9月9日 當山日出夫

ETV特集 半藤一利 「戦争」を解く

再放送になる。最初の放送のときは見ていなかった。

半藤一利の本は、かなり読んできているつもりである。「昭和史」のシリーズや、「日露戦争史」は読んだ。「日本のいちばん長い日」は、若いころに読んだ。また、比較的近年になってからも読みかえしている。この映画は、旧作はテレビで放送していたのを見た。新しい方は見ていない。

戦争について、理想の平和論、非武装主義だけで語れる時代は終わったと言っていいだろうと私は思っている。といって、狭義の軍事力だけがすべてを決するとは思っていない。経済や外交などの重要性は無論である。ただ、そのときに軍事ということをまったく度外視してものを考えることは、非現実的であるだろう。

去年の放送だから、当然、ウクライナでの戦争が始まってからのことになる。

思い起こせばであるが……かつての日本の平和主義論者の言っていることは、戦争はこちら(日本)が攻めていくから起こるものであって、こちらから攻めることをしなければ戦争は起こらない……このような発想であったと、私は認識している。

だが、ウクライナでの戦争は、このような考え方を打ち砕いてしまったことは確かだろう。こちらから攻めていくことがなくても、向こうから攻めかかってくることで戦争は起こる。まあ、当たり前のことであるが、これが、ようやく普通に認識されるようになったと思っている。

だからといって、軍事力だけでものごとを考えてしまうのは、短絡的だろう。

最近言われていることとして、ハイブリッド戦争ということがある。狭義の軍事力の対立だけが戦争ではな。外交、経済をはじめとする国力の総合としての防衛力ということがある。ここには、インターネットを駆使した情報戦もふくまれる。

戦争はなぜ始まるのか、それはどう終わることになるのか、冷静な議論が必要である。

そして、大事なことは、国民全体が熱狂的にならないようにする自制とバランスのシステムが必要であることになる。この観点からは、ウクライナとロシアとの戦争は、なかなか落とし所が見つからないというのが、現実的な判断かもしれない。

ところで、昭和戦前戦中の日本を軍国主義というのはいいとして。では、世界で一流の軍隊を持つということを公言する隣国のことは、軍国主義と言ってはいけないのだろうか。

ハイブリッド戦争の時代になって、もうすでに戦争は始まっていると言える。そのなかにあって、具体的な軍事的な衝突を回避するためのあらゆる手段を考えることが、もとめられているのだと思っている。

なお、余計なことかもしれないが、半藤一利の奥さん、半藤末利子さんの姿をテレビで見るのは初めてのことになる。

2023年9月5日記

英雄たちの選択「竹久夢二の関東大震災 〜100年前の震災スケッチ〜」2023-09-09

2023年9月9日 當山日出夫

竹久夢二については、通り一遍のことしか知らない。その美人画については、このような絵を描いた画家であり、流行したということぐらいのことしか知らない。

その竹久夢二が、明治の時代にあって反体制的、社会に対する批判的な考えの持ち主であったことは、知らなかった。だが、いわれてみれば、画家、芸術家というのは、本質的に社会に対して批判的なまなざしをもっているものだろうと思う。

関東大震災をめぐっては今年は多くのテレビ番組などが放送されている。(そのいくつかは録画してある。まだ見ていないものも多いが。)

関東大震災については、いろいろと言うことができるだろう。現在の観点からするならば、昭和になってから帝都復興プロジェクトの成果を考えるのが一般的かもしれない。関東大震災で壊滅した東京の街の復興が、あるいはその後の日本の行く末に少なからず影響を与えていると見ることもできよう。

震災があったときに、それを記録しよう、あるいは、画家、芸術家として表現しようという気持ちは、自然とあったものだろう。この意味では、同時代の他の芸術家や文学者たちが、どのような反応を示していたか……このあたりのことが、事例をあげて説明してあるとよかったかと思う。あるいは、ここのところに踏み込むと際限がないので、あえて触れずに竹久夢二のことだけにテーマを絞って番組を構成したのかとも感じるところがある。

また、竹久夢二はヒトラーに批判的であった。これはいいとして、ヒトラーもまたその時代にあっては、人びとのこころをつかんだ人物である。大衆のこころをつかんだという意味では、夢二とつながるところがある。このあたりのことを、もうちょっと考えてみることもあっていいかと思う。ヒトラーの人心掌握術と、竹久夢二の大衆のこころをつかむセンスは、どう違っていたのだろうか。

2023年9月8日記