映像の世紀バタフライエフェクト「関東大震災 復興から太平洋戦争への18年」2023-09-20

2023年9月20日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 関東大震災 復興から太平洋戦争への18年

これは最初の放送のとき、録画したつもりでいたのだが、ミスをしたようで録画になっていなかった。再放送を録画して見た。

「映像の世紀」シリーズのこれまでの放送のほとんどは見てきた。このような視点から、新しい資料映像を使って語ることができるのかと、とても面白かった。

防空についての紙芝居とレコード、これはこの番組で初めて知った。古川ロッパ一座が、出演しているという意味でも貴重かと思う。芸能にたずさわる人びとも、国策に協力していた。

皇紀二六〇〇年の式典の映像は、初めて見るかもしれない。このとき、天皇は皇后とならんで座っている。近代の皇室、天皇の歴史において、天皇と皇后が並んで国民の前に姿を見せるというのは、いつごろから始まったことなのであろうか。これは、今の天皇、また、上皇の時代からは、ごく普通のことになって見慣れているが、昭和天皇が皇后と並んでいる姿というのは、あまり記憶にない。

ただ、この番組の意図は分かるつもりではいるが、しかし、昭和戦前の世相を暗く描きすぎではないだろうか。日中戦争がはじまっても、日本の国内においては、まだそんなに暗澹たる雰囲気ではなかったと思っているのだが、どうだろうか。

ちょっと気になったこと、あるいは、興味深かったのは、カフェーのライオン。ライオンは、最も有名なカフェーだったろうと思う。その写真が残っているのは、興味深い。が、カフェーという存在は、ただ女性のウエイトレスがいるだけの店ではなかったろう。なかには、かなりいかがわしい店もあったはずである。このあたり、林芙美子の『放浪記』とか、永井荷風の書いたものなどを読んで想像するだけであるのだが。

ラジオ体操や町内会、隣組についても、歴史的に考えれば、いろいろと評価できる。

それから、ラジオの放送が始まって、時報が放送されるようになったことは、重要かもしれない。全国が、一つの時計を共有するようになった画期的な出来事というべきだろう。

2023年9月19日記

「カラーで蘇る古今亭志ん生」2023-09-20

2023年9月20日 當山日出夫

寄席にはまったく縁の無い生活をしている。しかし、落語には興味がある。いや、日本語の研究資料として、その価値はあると思っている。無論、それだけではなく、芸能としての落語も好きである。まあ、時々、テレビで見るぐらいではあるが。

古今亭志ん生は、名前は知っている。だが、その生の舞台を見たという経験はない。私が大学生になったころに亡くなっている。

番組は、一九五五年に収録したもののカラー化である。一九五五年というと、ちょうど私が生まれた年になる。そのときの映像が、今まで残っていたことに驚く。

昔の映像のカラー化ということについては、私はあまり賛同しない。基本は、その当時の技術で残されたものを、そのまま残すべきと思っている。

しかし、古今亭志ん生についていえば、今回のカラー化は成功していると思う。何よりリアルであり、芸能としての落語の魅力を高めるものになっている。歴史的な資料として見るよりも、純然と娯楽として見て、十分に堪能できるものになっている。

おそらく落語について詳しい人が見れば、いろいろとコメントなどあるのだろうと思う。だが、落語に素人の私としては、見て楽しめればいいと思って見た。

余計な感想かもしれないが、この演目、今の時代にそのまま演ずることは、ちょっと難しいかもしれない。「女、三界に家なし」など、今では使わないことばになってしまっている。今の若い人たちは、知らないだろう。その他、たぶん今の時代では普通には使わないだろうということばがいくつかあった。まあ、これなどは、ことばの資料としての価値ということにはなる。

ともあれ、古今亭志ん生が名人であるゆえんの一端に触れた感じがした。

2023年9月19日記