黒澤明『生きる』2024-01-11

2024年1月11日 當山日出夫

黒澤明『生きる』

この映画を映画館で見たのは学生のときだったと憶えている。確か東宝がいくつかの名作をまとめてリバイバル上映したなかにあったかと記憶しているが、定かではない。何十年ぶりかに見なおしたことになる。

『生きる』は若いときに見て良かった、と今になって感じる映画である。ヒューマニズムと同時に社会と人間に対する批判的精神がつらぬかれている。

やはり、もし余命いくばくとなったときには、「いのちみじかし、こいせよおとめ」と、「ゴンドラの唄」をブランコで歌う志村喬の姿を思い浮かべるにちがいないと感じている。

NHKの総合で映画を昼間に放送することは珍しい。たまたまなのであろうが、今、能登半島の地震のニュースに接すると、この時に、この映画の放送には意味があると思う。「人を憎んでいる暇はない」と主人公は語っていた。困っている人を助けなければならない時、SNSは憎悪と批判がうずまいている。

もし避難所でテレビが見られたら(かなりの地域は停電したままであるのだが)、被災した人たちは何を思って見たことだろうか。ふと、そんなことを思った次第である。

2024年1月8日記

「サウジアラビア千夜一夜 〜サヘル・ローズ メッカへの旅〜」2024-01-11

2024年1月11日 當山日出夫

サウジアラビア千夜一夜 〜サヘル・ローズ メッカへの旅〜

これも一つの番組の作り方だとは思う。現在のサウジアラビアという国、またイスラムというものを、きわめて肯定的に描いている。

普通に暮らしているイスラムの人びとは、それぞれに穏健な生活を送っている。その宗教的的価値観、生活習慣について、近代という視点からは、批判的に見ることも可能ではある。だが、そのなかで暮らしているかぎりにおいて、それで幸福ならばそれでいいと感じる。

思い出すのが、BSで見たフランス制作のドキュメンタリー。

やまもも書斎記 二〇二三年一二月二六日
BS世界のドキュメンタリー「民主化なき近代化 サウジアラビア 核心への旅」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/12/26/9645733

サウジアラビアという国が、王家の独裁国家であり、民主的な制度の国ではないことは確認しておく必要があるだろう。独裁を守るためには、ありとあらゆることをやっている。また、伝統的なイスラムの価値観のなかで、特に女性の生き方に制限があることも確かである。

だが、NHKとしては、そのような側面は触れない。女性も社会進出をしている、ということをかなり強調していた作り方になっていた。

サウジアラビアに観光ビザで入国できるようになったこと。そして、メッカのカアバ神殿の撮影が出来て、それが日本で放送できること。これは、確かに大きな変化であると言っていいだろう。

いろいろ問題点を指摘することも可能ではあるが、それよりも、世界のなかにイスラムの人びとがいて、国家があるということ。そこには、いわゆる近代化の波がおしよせていること。伝統的なイスラムの人びとの生活にも、変化が起こっていること。このようなことを、地道に伝えていくということには意義があると考える。

そして、この番組は、サヘル・ローズの巡礼の旅でもある。これはこれとして、きわめて興味深いものになっていた。

どうでもいいことかもしれないが、最後の方に出てきていた、壁に石を投げる場面。人びとの足下を見ると、ペットボトルのゴミが散乱していた。聖域だからゴミ箱は設置できないということなのだろうか。たぶん、係の人がいて、清掃しているにはちがいないが。

2024年1月8日記