『坂の上の雲』「(11)日英同盟(前編)」 ― 2024-11-30
2024年11月30日 當山日出夫
『坂の上の雲』「(11)日英同盟(前編)」
録画してあったのをようやく見たので、見ながら思ったことを書いてみる。
小村寿太郎は言っていた……帝国主義に道理などありゃせんよ、と。これは、そのとおりだと思う。だが、これは、日本がたまたま歴史の流れのなかで、帝国主義の欧米諸国の植民地にならずに済んだこと、日露戦争に勝ってその仲間入りをしたこと、その結果は太平洋戦争にまでおよぶのだが、その歴史を考えれば、ということになる。これが、もし、明治維新がなくて、イギリスの植民地になるようなことだったら、考え方も大きくことなっているだろう。今の日本の存在そのものがありえないし、世界の歴史も大きく変わっていたかもしれない。
帝国主義というのは歴史の大きな流れであって、個人の力ではどうしようもないものである。しかし、そのなかにあって、国家の命運をになって舵取りをすることは、不可能なことではない。決定論的な歴史観でもないし、英雄的な歴史観でもない、このあたりのバランスのなかで、国民国家の物語をどう構築していくか、また、それをどう批判的に見るか、ということが課題になるかと思う。
広瀬武夫の英国で海軍の食事会のときに言っていたこと。日本の海軍が軍艦をイギリスから購入するには、国民の努力があってのことである……この当時、日本の産業はどんなふうだったのだろうか。生糸以外に、どれぐらい輸出するものがあったのか、その額はどれぐらいか、少しぐらい説明があってもよかったかもしれない。まあ、生糸を輸出品とすることは、その背景には、『女工哀史』のようなこともあってのことであることは、このドラマを見る人は分かっていること、ということだったかとも思うが。
北清事変のことが出てきていた。ここはもうすこし時間をかけて描いてもよかったところかとも思うが、そうなると、さらにこのドラマは、スケールの大きなものになってくる。ここは省略したということになる。柴五郎は、登場していてもよかったのではないか。この事件について、日本軍は国際法を遵守する優等生であろうとした、ということなのだが、しかし、これも一方から見れば、小村寿太郎の言っていたとおり、帝国主義の侵略に対する民衆の抵抗であることは、確かであろう。
秋山真之は旅順を見ている。諜報活動として、ということであった。この時代、軍と外務省によるインテリジェンスはいったいどんなものだったのだろうか。もし、日露戦争ということを想定してのことなら、シベリア鉄道とその輸送力、また、ロシア国内の軍備や生産力、ということが総合的に考えられなければならないと思う。まあ、このように考えるのは、後の知識……第一次世界大戦から太平洋戦争……を、経験して歴史を知っているから言える、ということではあるのだが。
広瀬武夫とアリアズナの湖畔のシーンがとてもいい。
日本とロシアとの関係は、ソ連であった時代をふくめて、かならずしも順調であったとはいえない。ロシアの帝国主義的侵略政策(といっておくが)に対抗してきたのが、日本の江戸時代からの歴史ということもできよう。しかし、ロシアの文化、文学や音楽などは、日本に大きな影響を与えてきたこともたしかである。近年では、北極海をめぐる覇権争いということになってきているが、対ロシア政策ということについては、日本のかかえる問題は、大きくなってきている。
正岡子規の愚陀仏庵の場面、鶏頭の赤、それから、梅の花の赤が、非常に印象的に使われていた。
ロシアの旅順艦隊の威力が語られていた。この時代、軍艦は石炭で動いていた。では、その石炭は、どうやって調達していたのか。これも、今になってからの考えということになるが、日露戦争ということを考えるには、重要な視点の一つであるにちがいない。(後の太平洋戦争のとき、日本海軍は重油の欠乏のために思うように動くこともできなかったこと。そもそも太平洋戦争の原因の一つが、石油資源の確保であったことは、知られていることだろう。)
2024年11月30日記
『坂の上の雲』「(11)日英同盟(前編)」
録画してあったのをようやく見たので、見ながら思ったことを書いてみる。
小村寿太郎は言っていた……帝国主義に道理などありゃせんよ、と。これは、そのとおりだと思う。だが、これは、日本がたまたま歴史の流れのなかで、帝国主義の欧米諸国の植民地にならずに済んだこと、日露戦争に勝ってその仲間入りをしたこと、その結果は太平洋戦争にまでおよぶのだが、その歴史を考えれば、ということになる。これが、もし、明治維新がなくて、イギリスの植民地になるようなことだったら、考え方も大きくことなっているだろう。今の日本の存在そのものがありえないし、世界の歴史も大きく変わっていたかもしれない。
帝国主義というのは歴史の大きな流れであって、個人の力ではどうしようもないものである。しかし、そのなかにあって、国家の命運をになって舵取りをすることは、不可能なことではない。決定論的な歴史観でもないし、英雄的な歴史観でもない、このあたりのバランスのなかで、国民国家の物語をどう構築していくか、また、それをどう批判的に見るか、ということが課題になるかと思う。
広瀬武夫の英国で海軍の食事会のときに言っていたこと。日本の海軍が軍艦をイギリスから購入するには、国民の努力があってのことである……この当時、日本の産業はどんなふうだったのだろうか。生糸以外に、どれぐらい輸出するものがあったのか、その額はどれぐらいか、少しぐらい説明があってもよかったかもしれない。まあ、生糸を輸出品とすることは、その背景には、『女工哀史』のようなこともあってのことであることは、このドラマを見る人は分かっていること、ということだったかとも思うが。
北清事変のことが出てきていた。ここはもうすこし時間をかけて描いてもよかったところかとも思うが、そうなると、さらにこのドラマは、スケールの大きなものになってくる。ここは省略したということになる。柴五郎は、登場していてもよかったのではないか。この事件について、日本軍は国際法を遵守する優等生であろうとした、ということなのだが、しかし、これも一方から見れば、小村寿太郎の言っていたとおり、帝国主義の侵略に対する民衆の抵抗であることは、確かであろう。
秋山真之は旅順を見ている。諜報活動として、ということであった。この時代、軍と外務省によるインテリジェンスはいったいどんなものだったのだろうか。もし、日露戦争ということを想定してのことなら、シベリア鉄道とその輸送力、また、ロシア国内の軍備や生産力、ということが総合的に考えられなければならないと思う。まあ、このように考えるのは、後の知識……第一次世界大戦から太平洋戦争……を、経験して歴史を知っているから言える、ということではあるのだが。
広瀬武夫とアリアズナの湖畔のシーンがとてもいい。
日本とロシアとの関係は、ソ連であった時代をふくめて、かならずしも順調であったとはいえない。ロシアの帝国主義的侵略政策(といっておくが)に対抗してきたのが、日本の江戸時代からの歴史ということもできよう。しかし、ロシアの文化、文学や音楽などは、日本に大きな影響を与えてきたこともたしかである。近年では、北極海をめぐる覇権争いということになってきているが、対ロシア政策ということについては、日本のかかえる問題は、大きくなってきている。
正岡子規の愚陀仏庵の場面、鶏頭の赤、それから、梅の花の赤が、非常に印象的に使われていた。
ロシアの旅順艦隊の威力が語られていた。この時代、軍艦は石炭で動いていた。では、その石炭は、どうやって調達していたのか。これも、今になってからの考えということになるが、日露戦争ということを考えるには、重要な視点の一つであるにちがいない。(後の太平洋戦争のとき、日本海軍は重油の欠乏のために思うように動くこともできなかったこと。そもそも太平洋戦争の原因の一つが、石油資源の確保であったことは、知られていることだろう。)
2024年11月30日記
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