『國語元年』(1) ― 2025-05-07
2025年5月7日 當山日出夫
『國語元年』(1)
二~三年ほど前に、再放送していたのを見たのだが、こんどの再放送も録画して見ることにした。
最初の放送は、1985年(昭和60年)である。このときのドラマのことは、憶えている。
ドラマの冒頭で、「国語学会」と言っているのは、やはり、時代を感じる。今では、名称が変わって「日本語学会」になっている。
以前、見たときは、それほど気にしなかったことであるが、登場人物の設定として、薩摩と長州、この対決という要素になっている。南郷清之輔は長州の出身であるが、その妻の南郷家は薩摩である。結局、薩摩も長州も、明治維新のときの活躍こそあったが、その後の日本の近代化の流れのなかでは、姿を消していくことになる。
日本の各地の方言をドラマのなかにとりこんでいるのだが、出てきていないのが、大阪弁である。京都の公家は登場する。しかし、大阪の人間は登場していない。これは、意図的にそうなのだろう。そのかわり東北地方については、遠野や山形などが登場している。私など、ちょっと聞いただけでは区別できない。作者の井上ひさしとしては、京都のことばと、大阪のことば、これをどう考えていたのだろうか。また、京都のことばを、公家(らしき、あやしい人間)で代表させていいのだろうか、という気もする。
このあたりの議論は、大阪弁をふくんだ、より広い概念としての関西方言ということを考えるべきことになるかもしれない。これはこれで、現代の日本語学の一つの研究課題の一つになっている。
国語学の研究者として見るということもあるのだが、それよりも、まず、ドラマとして見てとても面白い。一つの家のなかで繰り広げられる人間ドラマであり、明治の初めのころの、様々な境遇の人びとの物語でもある。
2025年5月3日記
『國語元年』(1)
二~三年ほど前に、再放送していたのを見たのだが、こんどの再放送も録画して見ることにした。
最初の放送は、1985年(昭和60年)である。このときのドラマのことは、憶えている。
ドラマの冒頭で、「国語学会」と言っているのは、やはり、時代を感じる。今では、名称が変わって「日本語学会」になっている。
以前、見たときは、それほど気にしなかったことであるが、登場人物の設定として、薩摩と長州、この対決という要素になっている。南郷清之輔は長州の出身であるが、その妻の南郷家は薩摩である。結局、薩摩も長州も、明治維新のときの活躍こそあったが、その後の日本の近代化の流れのなかでは、姿を消していくことになる。
日本の各地の方言をドラマのなかにとりこんでいるのだが、出てきていないのが、大阪弁である。京都の公家は登場する。しかし、大阪の人間は登場していない。これは、意図的にそうなのだろう。そのかわり東北地方については、遠野や山形などが登場している。私など、ちょっと聞いただけでは区別できない。作者の井上ひさしとしては、京都のことばと、大阪のことば、これをどう考えていたのだろうか。また、京都のことばを、公家(らしき、あやしい人間)で代表させていいのだろうか、という気もする。
このあたりの議論は、大阪弁をふくんだ、より広い概念としての関西方言ということを考えるべきことになるかもしれない。これはこれで、現代の日本語学の一つの研究課題の一つになっている。
国語学の研究者として見るということもあるのだが、それよりも、まず、ドラマとして見てとても面白い。一つの家のなかで繰り広げられる人間ドラマであり、明治の初めのころの、様々な境遇の人びとの物語でもある。
2025年5月3日記
BSスペシャル「死に向かって生きる〜アメリカを目指す中国人“走線者”〜」 ― 2025-05-07
2025年5月7日 當山日出夫
BSスペシャル 死に向かって生きる〜アメリカを目指す中国人“走線者”〜
自分が死ねば、残った子どもたちは孤児として、アメリカ社会で受け入れてもらえる、そう遺書を残して自ら死を選んだ父親のことは、悲劇というには、あまりにもむごい話しである。(ドキュメンタリー番組を見て、そう心を動かされるということのない私であるが、このエピソードだけは、きわめて深く心に響くものがある。正直に言って、涙を禁じ得ない。なお、これはバイデン政権のときに起こったできごとであった。)
走線、ということは、この番組で知った。中米からメキシコを通ってアメリカに入国するルートがある。パナマを通過するとき、地元のマフィアに多額のお金を払わないと、通行できない。そのかわり、一種の保護もあり、食糧も売ってくれる(?)のだが。このルートのことは、少し前に、BS世界のドキュメンタリーであつかっていた。「中米パナマの憂うつ “船と不法移民の交差点”で何が」。このときは、パナマを通過していく移民の人びとは、ニカラグアなどのほとんど崩壊した国家から逃げてきた人たちということだったが、そのなかに多くの中国人もいたことになる。
中国共産党を批判したというだけで、警察に出頭を命じられ、命の危険がある。このまま中国にとどまるよりは、アメリカに行って死んだ方がマシである。このように思う中国人が、アメリカに入国している。数万人以上にのぼる。
中国共産党と不動産業者が癒着している。このようなことは、あまり日本のマスコミで大きく報じられることはないと思うのだが、共産党の腐敗と、不動産不況ということは、中国にとって、大きく国家の屋台骨をゆるがすことにつながる。これが分かっているから、習近平政権は、より一層、批判への弾圧を強めることになると理解していいだろうか。(中国共産党の経済的基盤、というようなテーマで論じることになるだろう。)
アメリカ国内にすでに居住している移民である人びと……中国系もいれば、韓国系もいる……が、かならずしも、新たに中国から中米経由の走線ルートでやってくる移民を歓迎していない。不法移民として退去を求める。これは、彼らなりの既得権益の主張にはちがいない。
だが、そのように主張する人がアメリカに存在することを、アメリカに入国した中国人(まだ、正式に難民として受け入れてもらえるかどうかわからない)は、言論の自由として認めている。中国では、そのような言論の自由がまったくない。
たぶんNHKが取材し、それに応じてくれた、アメリカの中国人の人びとは、それなりの覚悟があってのことだということだろう。あるいは、習近平、中国共産党を批判はするが、過激な反政府活動には与しない、だから、(はっきりいえば)暗殺されるような心配はない、ということかとも思う。たぶん、中国政府としては、この番組に登場したような人びとのことは、把握しているはずだと思うが、まあ、この程度のことなら許容できると思っているのだろうか。邪魔な存在で、いなくなればいいと思っているのだろうか。
近代的な国家の枠組みとして、国境の管理、国民であることの管理、これはしなければならない。だれでも自由に出入りできるということであってはならない。
しかし、この番組で出てきたような人びとについては、中国以外の国で、身の安全を保証されて生活することができる、そのようであるべきである、と私は思う。
だからといって、中国人のすべてが善良で、民主主義を求めている、というわけでもないとは思う。なかには、どうしようもない悪党だっているにちがない。
また、アメリカにおいて、不法移民、ということがどのような制度のもとで運用されていることなのか、その実態については、詳しく知りたいところである。
2025年5月3日記
BSスペシャル 死に向かって生きる〜アメリカを目指す中国人“走線者”〜
自分が死ねば、残った子どもたちは孤児として、アメリカ社会で受け入れてもらえる、そう遺書を残して自ら死を選んだ父親のことは、悲劇というには、あまりにもむごい話しである。(ドキュメンタリー番組を見て、そう心を動かされるということのない私であるが、このエピソードだけは、きわめて深く心に響くものがある。正直に言って、涙を禁じ得ない。なお、これはバイデン政権のときに起こったできごとであった。)
走線、ということは、この番組で知った。中米からメキシコを通ってアメリカに入国するルートがある。パナマを通過するとき、地元のマフィアに多額のお金を払わないと、通行できない。そのかわり、一種の保護もあり、食糧も売ってくれる(?)のだが。このルートのことは、少し前に、BS世界のドキュメンタリーであつかっていた。「中米パナマの憂うつ “船と不法移民の交差点”で何が」。このときは、パナマを通過していく移民の人びとは、ニカラグアなどのほとんど崩壊した国家から逃げてきた人たちということだったが、そのなかに多くの中国人もいたことになる。
中国共産党を批判したというだけで、警察に出頭を命じられ、命の危険がある。このまま中国にとどまるよりは、アメリカに行って死んだ方がマシである。このように思う中国人が、アメリカに入国している。数万人以上にのぼる。
中国共産党と不動産業者が癒着している。このようなことは、あまり日本のマスコミで大きく報じられることはないと思うのだが、共産党の腐敗と、不動産不況ということは、中国にとって、大きく国家の屋台骨をゆるがすことにつながる。これが分かっているから、習近平政権は、より一層、批判への弾圧を強めることになると理解していいだろうか。(中国共産党の経済的基盤、というようなテーマで論じることになるだろう。)
アメリカ国内にすでに居住している移民である人びと……中国系もいれば、韓国系もいる……が、かならずしも、新たに中国から中米経由の走線ルートでやってくる移民を歓迎していない。不法移民として退去を求める。これは、彼らなりの既得権益の主張にはちがいない。
だが、そのように主張する人がアメリカに存在することを、アメリカに入国した中国人(まだ、正式に難民として受け入れてもらえるかどうかわからない)は、言論の自由として認めている。中国では、そのような言論の自由がまったくない。
たぶんNHKが取材し、それに応じてくれた、アメリカの中国人の人びとは、それなりの覚悟があってのことだということだろう。あるいは、習近平、中国共産党を批判はするが、過激な反政府活動には与しない、だから、(はっきりいえば)暗殺されるような心配はない、ということかとも思う。たぶん、中国政府としては、この番組に登場したような人びとのことは、把握しているはずだと思うが、まあ、この程度のことなら許容できると思っているのだろうか。邪魔な存在で、いなくなればいいと思っているのだろうか。
近代的な国家の枠組みとして、国境の管理、国民であることの管理、これはしなければならない。だれでも自由に出入りできるということであってはならない。
しかし、この番組で出てきたような人びとについては、中国以外の国で、身の安全を保証されて生活することができる、そのようであるべきである、と私は思う。
だからといって、中国人のすべてが善良で、民主主義を求めている、というわけでもないとは思う。なかには、どうしようもない悪党だっているにちがない。
また、アメリカにおいて、不法移民、ということがどのような制度のもとで運用されていることなのか、その実態については、詳しく知りたいところである。
2025年5月3日記
コンテナ全部開けちゃいました「春の横浜港編」 ― 2025-05-07
2025年5月7日 當山日出夫
コンテナ全部開けちゃいました 〜春の横浜港編〜
まずは、オーストラリアから来たリーファーコンテナ。中にはブドウがはいっていた。ブドウをオーストラリアから輸入するようになっているということは、知らなかった。検疫が厳しいのだが、これも、現在では、リーファーコンテナで冷たい状態で運んでくることによって、問題を解決している。チチュウカイミバエは、冷たい状態で時間が経過すると死ぬということなので、ちょうど船で運んでくる途中に、その駆除も出来るということになる。しかも、オーストラリアは、季節が逆になるから、春のころに、秋の果物であるブドウが運ばれてくることになる。これは、非常に合理的なアイデアだと思う。
イタリアから来たコンテナには、オリーブオイルが入っていた。オリーブオイルの生産は、イタリアとスペインがほとんどを占めている。絞りたてのオリーブオイルを、空気に触れさせず、フレコンバッグでコンテナに入れて運んでくる。それを工場で、直結して瓶詰めの生産ラインにのせることになる。この使い終わったフレコンバッグは、その後どうなるのだろう。日本でゴミになるのか、資源として再利用するのか、それとも、元のところに送り返すのか。
スペインから来たコンテナには、オリーブの古木がはいっていた。樹齢100年のものだという。日本で庭木として利用するためである。これも、検疫のために、葉とか土とかを、全部おとした状態で、10℃にたもってはこんでくる。現在の日本で、庭木として、いろいろと利用されているようなのだが、私は、まだ見たことがない(と、思う。)
インドからは、象の置物であった。インドでは、象は大切にされている。だが、これが、日本でどれぐらいの需要があるのだろうか、という気はする。あまり欲しがる日本の人はいないかもしれない。どうなのだろうか。日本の招き猫のようなものだと言っていたが、招き猫にくらべるとはるかに巨大である。
ドイツに輸出するのは、日本の中古レコードだった。日本でも、それから、世界でもレコードが、再び人気になってきていることは知っているが、それが、ヨーロッパに大量に輸出されているとは、知らなかった。かつての、日本のシティポップ、和ジャズ、アニメの主題歌など、人気があるらしい。(私は、今ではは、レコードは持っていない。CDはかなりある。その多くは、クラシックであり、マーラーの交響曲は、かなり持っている。ただ、このごろは、CDをプレーヤで聞くのも面倒になってきているので、聞きたい曲は、Walkmanにコピーして聞いている。私のWalkmanには、中島みゆきのほとんどすべてのCDが入っているはずである。)
2025年5月2日記
コンテナ全部開けちゃいました 〜春の横浜港編〜
まずは、オーストラリアから来たリーファーコンテナ。中にはブドウがはいっていた。ブドウをオーストラリアから輸入するようになっているということは、知らなかった。検疫が厳しいのだが、これも、現在では、リーファーコンテナで冷たい状態で運んでくることによって、問題を解決している。チチュウカイミバエは、冷たい状態で時間が経過すると死ぬということなので、ちょうど船で運んでくる途中に、その駆除も出来るということになる。しかも、オーストラリアは、季節が逆になるから、春のころに、秋の果物であるブドウが運ばれてくることになる。これは、非常に合理的なアイデアだと思う。
イタリアから来たコンテナには、オリーブオイルが入っていた。オリーブオイルの生産は、イタリアとスペインがほとんどを占めている。絞りたてのオリーブオイルを、空気に触れさせず、フレコンバッグでコンテナに入れて運んでくる。それを工場で、直結して瓶詰めの生産ラインにのせることになる。この使い終わったフレコンバッグは、その後どうなるのだろう。日本でゴミになるのか、資源として再利用するのか、それとも、元のところに送り返すのか。
スペインから来たコンテナには、オリーブの古木がはいっていた。樹齢100年のものだという。日本で庭木として利用するためである。これも、検疫のために、葉とか土とかを、全部おとした状態で、10℃にたもってはこんでくる。現在の日本で、庭木として、いろいろと利用されているようなのだが、私は、まだ見たことがない(と、思う。)
インドからは、象の置物であった。インドでは、象は大切にされている。だが、これが、日本でどれぐらいの需要があるのだろうか、という気はする。あまり欲しがる日本の人はいないかもしれない。どうなのだろうか。日本の招き猫のようなものだと言っていたが、招き猫にくらべるとはるかに巨大である。
ドイツに輸出するのは、日本の中古レコードだった。日本でも、それから、世界でもレコードが、再び人気になってきていることは知っているが、それが、ヨーロッパに大量に輸出されているとは、知らなかった。かつての、日本のシティポップ、和ジャズ、アニメの主題歌など、人気があるらしい。(私は、今ではは、レコードは持っていない。CDはかなりある。その多くは、クラシックであり、マーラーの交響曲は、かなり持っている。ただ、このごろは、CDをプレーヤで聞くのも面倒になってきているので、聞きたい曲は、Walkmanにコピーして聞いている。私のWalkmanには、中島みゆきのほとんどすべてのCDが入っているはずである。)
2025年5月2日記
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