よみがえる新日本紀行「煙火師群像〜愛知県三河地方〜」2025-06-09

2025年6月9日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「煙火師群像〜愛知県三河地方〜」

再放送である。2023年8月19日。オリジナルの放送は、1974年8月26日。昭和49年である。

昭和49年というと、私が高校生から大学生になろうというころのことになる。

この番組の趣旨とは関係ないことかとも思うが、印象にのこるのが、街のなかの家の前を流れる川で洗濯をしている女性の姿。こういう光景が、この時代までは、ごく普通に見られた。しかし、いまではほとんど姿を消してしまったものだろう。このような日常の姿こそ、いつのまにか移り変わっていく人びとの日常の生活の感覚ということになる。

手筒花火は、少し前の朝ドラ『エール』のなかで出てきたのを憶えている。こんなあぶないこことをよく平気でやっているなあ、と思って見ていた。(これも、安全には厳重に配慮してやっていることだとは思うのだが。)

これも番組の趣旨とは関係ないことだが、オリジナルの1974年の映像と、現代の映像を見比べると、その画像の違いは目をみはるものがある。花火の光の線のくっきりとした描写、背景の暗いところの人物や風景までとらえることができる(やや専門的にいえば、ラチュチュード、ダイナミックレンジが広くなって、より広い範囲の明暗のある画像を撮ることができるようになった)。この映像技術の進歩ということが、如実に表れていると感じる。

こういうことは、ドラマなどを見ていても、夜のシーンがきれいに撮れるようになったということにも、つながっている。

2025年6月6日記

『八重の桜』「池田屋事件」2025-06-09

2025年6月9日 當山日出夫

『八重の桜』 「池田屋事件」

高校生まで京都ですごしたので、三条通にある池田屋の跡にある石碑は馴染みのものであった。それから、ドラマとしては、これからのことになるが、佐久間象山の遭難の地の石碑もあった。

新撰組をどう描くかというのは、非常にむずかしいところかもしれない。もし、新撰組が活躍(?)しなかったら、幕末の歴史は変わっていたかもしれないだろう。だが、歴史の大きな流れは変わるものではないし、現在の歴史研究として、新撰組のことを、大きなテーマとして論じることは、ないだろう。

しかし、サブカルチャーの分野になると、話しはまったく逆である。新撰組ぐらい、幕末のヒーローとなる存在はない。これに匹敵するのは、坂本竜馬である。

沖田総司は、歴史の流れのなかでは、どうでもいい存在(と言っては、新撰組ファンに怒られるかと思うが)、庶民感覚の幕末維新の歴史ではヒーローである。そういえば、私が若いころ、沖田総司を主人公にした映画があったかと覚えている。黒木和雄監督の『竜馬暗殺』は私が高校生のときだっただろうか。ATGの映画である。(もう今ではATGというのは、映画の歴史の中の用語になってしまった。)

歴史学ではなく、文化史という立場から見るならば、新撰組や坂本竜馬、あるいは、西郷隆盛というような人物が、どう描かれてきたかということは、非常に興味のあるところである。ちなみに、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、坂本竜馬は、土佐方言を話していないし、『翔ぶが如く』でも、西郷隆盛は鹿児島方言で話していない。だが、これが、ドラマになると、方言で地域性を出すことになる。(日本語学でいえば、役割語、方言コスプレ、などの概念で考えることになる。)

この『八重の桜』ドラマとしてたくみだと感じるのは、尊皇(具体的には孝明天皇への忠誠)、江戸幕府と徳川慶喜への忠誠、会津の藩主である松平容保への忠誠、会津藩への愛郷心、さらには、日本という国家全体のことを考える視点、これらを、破綻無く、あるいは、それほど矛盾させることなく、描いていることである。この場合、どうしても損な役回りになるのが、幕府から逃げ出したという感じになってしまう徳川慶喜にはなってしまうだろうが。

2025年6月8日記

『べらぼう』「小生、酒上不埒にて」2025-06-09

2025年6月9日 當山日出夫

『べらぼう』「小生、酒上不埒にて」

見終わって、さりげなく台詞の中で言っていたことが気になって、WEBで検索してみた。検索した項目は、蠣崎波響、である。「絵などを学んででおる」と言っていた。この台詞が気になった。(このことが分かった人がどれぐらいいるだろうか。)

蠣崎波響の名前で一般には知られている。この人物が、松前廣年、である。

中村真一郎の『蠣崎波響の生涯』は出た時に買って読んだ本である。『頼山陽とその時代』『木村蒹葭堂のサロン』、これらも出た時に買って読んだ。

つまりは、非常に凝った脚本になっている。分かる人には分かる、だが、もしそれを知らなくても、十分に楽しめる。こういう懐の深いドラマは、見ていて楽しい。

江戸の戯作者たちを描いているのだが、この時代、戯作を本業とする職業作家は存在しない。みな、何かの本業を持っていて……れっきとした武士であったりする……その余技としての戯作である。ドラマの中では、本業のことについては、極力触れていない。恋川春町が表に出るときは武士の恰好で刀をさしている、その屋敷もなかなかのものらしい、というぐらいの描写にとどめている。この時代、戯作者どうしとしても、その本業のことについて、どうのこうのというのは、まったくの野暮ということであったろう。このドラマの作り方としても、恋川春町の正体(?)については、終わってからの紀行で言及するにとどめている。

その恋川春町の面倒くさい人物像が、実に魅力的に描かれている。

江戸時代、『小野篁歌字尽』が広く読まれ、そのパロディが作られたことは、近世文学、あるいは、日本の漢字の歴史について知識のある人なら知っていることである。もっとも有名なのは、(全部ひらがなで書くことにするが)『おののばかむらうそじづくし』かと思うが、これ以外にもある。その一つが、(これも全部ひらがなで書くと)恋川春町の『さとのばかむらむだじづくし』である。とにかく江戸の戯作のタイトルは、使われた漢字自体が、とても面倒なのである。

これらの本を見ようと思えば、今ではWEB公開の画像データで見ることが容易になった。

こういう漢字の遊びは、まさに日本ならではのことであると思うし、それだけ、江戸時代の戯作の読者層は、漢字についての知識があったということである。このような、いわゆる創作漢字の遊びは、現代でもおこなわれている。(こういうところまでふくめて、漢字について研究なのであるが、もう、私としてはリタイアしたところである。)

誰袖がとてもいい。以前に登場していた瀬川も魅力的であったが、花魁というのをこのように描くというのも、これはよく考えて作ってあると感じるところである。特に目元のアップの映像が非常に魅力的である。

そして、この回の演出は、極力暗く作ってある。普通は、テレビのドラマの映像は明るく作るのだが、この回で日中の太陽光のもとで人が動いていたのは、吉原での餅つきのシーンぐらいだった。極力暗くつくった画面のなかで、登場人物の表情が分かるようにしてある。このような暗さのなかでこそ、誰袖の妖艶な美しさかが際立つ。誰袖の魅力を最大限に引き出すために、あえて全編を暗く作ったかと感じるぐらいである。

これは今後の伏線なのかと思うところが……作者の個性ということである。この時代、近代的な個人……近代的な自我を持つものとしての……の個性ということは、人びとに受け入れられるものではなかった。その証拠になるのが、このドラマで、これから出てくるであろう、喜多川歌麿の美人画であり、東洲斎写楽の役者絵である。今でこそ、描かれた人物の内面に迫る絵画表現として高く評価されているのだが、同時代においては、さほど広く人びとに受け入れられるものではなかった。(結果的には、紙くずになって、海外に流出した。)

戯作という文学についても、これも、近代的感覚でいう個性というものを発揮するものではなかった。アイデアがあれば、パクってかまわないものであり、要は面白ければよかった。そのなかにあって、自分だけにしか書けない、描けない作品とは何なのか、というあたりを模索する作者(戯作者、絵師)を、どう人物造形するかということが、非常にむずかしいところだろう。この意味では、恋川春町、歌麿、これらの登場人物が、その後の近代の目をとおして見ることになる、近世の作者ということを、うまく出していると感じられる。

とはいっても、この時代の出版とか、戯作者やその読者たちの背景に、どのような教養を想定して見ればいいのか、ということについては、かなり割りきって脚本が作ってあると感じるところではある。

この回の演出では、キセルが多くつかってあった。これは、今の日常生活から姿を消してしまったものである。煙草とキセル、ということになると、山東京伝のことをどう描くかということで、気になる。

恋川春町は、戯作について「ただのあそび」と言っていた。そのとおりである。あそび、つまり非日常のことであるからこそ、日常の生活がどうであったかということにもなる。この江戸の人びとの日常がどんなであったか、それが、見るものの想像力にまかされていることになる。この意味では、このドラマは、見る人によって、いろんな楽しみ方があることになる。

2025年6月8日記