よみがえる新日本紀行「松島」 ― 2026-02-14
2026年2月15日 當山日出夫
再放送である。2024年。オリジナルは、昭和56年(1981年)。
松島には、行ったことがあるかなと思うのだが、はっきりとした記憶がない。私の場合、いわゆる名所旧跡というようなところは、あまり行きたいとは思わない方である。とはいえ、文学史的に重要な意味のある場所は、見ておきたいという気もしているのだが。
松島というと、名所旧跡として、文学的なイメージが塗り重ねられた場所の最たるものという感じがしている。
しかし、そこには、人びとの生活がある。漁師であり、海苔の養殖である。また、水田でお米も作っている。
海に棒が並んでたっている景色があると、海苔の養殖だなと分かるのだが、それをどんなふうにして作っていくのか、竹を船に積むところから、胞子をうえつける作業まで、というのは、始めて見たかと思う。
川も湧き水もないような島で、水田を作らなくてもいいのではないか、と思わないでもない。今の時代だと、おそらく採算にあわない。しかし、水田があり、そこでお米を作るということには、日本での農業として、特別な文化的な意味がある、と感じる。
現在、日本の普通の小規模農家だと、稲作の苗を自前で育てることはほとんどないだろう。たいていは、農協などから買ってきて、植える。それを、苗代から作っているというのは、かなり思うところがあってのことにちがいない。
昔は、菜の花でいっぱいになったが、自然保護(?)のためにコジュケイを放ったので、食べられてしまって、菜の花の栽培ができなくなってしまった、という。そんなこともあるのかと思った。コジュケイは、私の今の住まいの近くにも棲息している。鳴き声を聞くことがある。
瑞巌寺の僧堂のようすが映っていた。托鉢は、今でもおこなわれていることだろうと思う。
昔は3000人いた人口が、今では300人だという。松島の島に住む人びとにとっては、巡航船が生活のたよりである。こういう生活のインフラを残す必要がある。
2026年2月11日記
再放送である。2024年。オリジナルは、昭和56年(1981年)。
松島には、行ったことがあるかなと思うのだが、はっきりとした記憶がない。私の場合、いわゆる名所旧跡というようなところは、あまり行きたいとは思わない方である。とはいえ、文学史的に重要な意味のある場所は、見ておきたいという気もしているのだが。
松島というと、名所旧跡として、文学的なイメージが塗り重ねられた場所の最たるものという感じがしている。
しかし、そこには、人びとの生活がある。漁師であり、海苔の養殖である。また、水田でお米も作っている。
海に棒が並んでたっている景色があると、海苔の養殖だなと分かるのだが、それをどんなふうにして作っていくのか、竹を船に積むところから、胞子をうえつける作業まで、というのは、始めて見たかと思う。
川も湧き水もないような島で、水田を作らなくてもいいのではないか、と思わないでもない。今の時代だと、おそらく採算にあわない。しかし、水田があり、そこでお米を作るということには、日本での農業として、特別な文化的な意味がある、と感じる。
現在、日本の普通の小規模農家だと、稲作の苗を自前で育てることはほとんどないだろう。たいていは、農協などから買ってきて、植える。それを、苗代から作っているというのは、かなり思うところがあってのことにちがいない。
昔は、菜の花でいっぱいになったが、自然保護(?)のためにコジュケイを放ったので、食べられてしまって、菜の花の栽培ができなくなってしまった、という。そんなこともあるのかと思った。コジュケイは、私の今の住まいの近くにも棲息している。鳴き声を聞くことがある。
瑞巌寺の僧堂のようすが映っていた。托鉢は、今でもおこなわれていることだろうと思う。
昔は3000人いた人口が、今では300人だという。松島の島に住む人びとにとっては、巡航船が生活のたよりである。こういう生活のインフラを残す必要がある。
2026年2月11日記
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