『豊臣兄弟!』「本能寺の変」2026-07-13

2026年7月13日 當山日出夫

『豊臣兄弟!』「本能寺の変」

この回を見て、いいと思ったところが一つだけある。それは、小一郎が京に行くことになり、信長を備中の秀吉の陣に迎える準備を、途中でしてあった、ということである。これは、本能寺の変の後の、中国大返しにおいて、なぜ、それが可能であったか、について、説得力のある設定になっている。

岡山から京都までの山陽道を、途中の食料の補給や休息なしに、ぶっつづけて走り通して大規模な軍勢を移動させることは、かなり無理がある。これが可能になったということで、実は、本能寺の変は秀吉の陰謀だったのではないかという、秀吉黒幕説が出てくることになる。秀吉が黒幕でないとすると、では、なぜ、中国大返しを実行できたのか、そのことの説明が必要になる。

本能寺の変のとき、光秀は、実は鳥羽にいたという史料が、最近になって出てきた。これは別に不自然ではないと、私は思う。光秀が、信長を本能寺で討つという作戦を実行するとして、戦略的には、次のことを考えるはずである。そうなると、京都の南の方に陣取って、情勢を分析するというのは、妥当な判断である。ちょうど鳥羽あたりに陣取っていれば、西の山陽道から、東の東海道や北陸道からの、軍勢にそなえることができる。もし、安土城から軍勢が来るとするならば、それを迎え撃つには、ちょうど鳥羽のあたりが適当である。やってくるのが、敵なのか、見方なのかは、分からないとしても、総合的な情勢判断が可能になる。

これが、京都の街のまん中の本能寺にいたとすると、情報収集とフットワークが鈍る。

ところで、本能寺の変というと、どうしても、炎上する炎の中で切腹する信長というイメージになってしまっている。おそらく、これは、大河ドラマの『太閤記』(緒形拳が秀吉、高橋孝治が信長)の影響かなと思うところである。この『太閤記』は、子どものときに見た記憶がある。

本能寺の信長側に、森乱がただ一人だけというのは、かなり不自然なのだが、こういう演出もあっていいかとは思う。しかし、幻想、幻視、というのは、どうだろうか。

信澄の父の敵討ち、ということになっていたが……中世の武家としては、一子相続で、兄弟は基本的にライバルである。これが当たり前だったと思う。このドラマの、秀吉と秀長のような兄弟で仲よくという事例の方が、珍しいだろう。もちろん、側室がいっぱいいて、多くの子どもがあってということもあるだろう。

信長の暗殺をたくらむとしても、毒殺というのは、どうだろうか。武士としてどうかということもあるが、成功率を考えると、あまり合理的とは思えないのだが。

映像は凝って作ってあることは分かる。しかし、本能寺の変として納得できることになっているかどうかというと、首をかしげるところもある。これだったら、単発のドラマで、真説・本能寺の変、ということで十分だったと思える。

2026年7月12日記

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