地球ドラマチック「ヒューマン 前編 〜グレートジャーニーの始まり〜」2026-02-25

2026年2月25日 當山日出夫

地球ドラマチック「ヒューマン 前編 〜グレートジャーニーの始まり〜」

2025年、イギリスBBC。

もし、若いころ、高校生か大学生ぐらいにもどることができたら、何を勉強したいと思うか……ときどき思うことがある。宇宙物理学かもしれないし、進化生物学かもしれない、あるいは、人類学かもしれない。やっぱり日本語学かもしれない。私の若いころからくらべると、学問の世界は大きく広がっているし、また、その最先端で何が考えられているか、比較的分かりやすく情報が得られるようになってきている。(まあ、YouTubeのガセネタもたくさん流布はしているのだけれど。また、日本語学の先端の研究のことを分かりやすく啓蒙的に語る本などは、いまだにごく希であるということはあるが。)

今の人類、ホモ・サピエンスが、地球上に広がっていくプロセスは、かなりの程度わかるようになってきている。これが、地球の気候変動の歴史と関係して総合的に考えることができる。

また、その前に、ホモ・サピエンス以外の人類が存在していたこともある。

アフリカを出たホモ・サピエンスが、アラビア半島を経て、スリランカに渡った。かつてアラビア半島は、沙漠ばかりではなく、水があった。一方、スリランカの熱帯樹林は、かならずしも生存に適切な環境ではなかった。食べられる植物や動物は少ないし、毒のある生きものも多い。だが、その中でホモ・サピエンスは生きのびた。

インドネシアのフローレンス島で発見された、ホモ・フローレシエンシスは、ホモ・サピエンス以前に、この島にやってきて、70万年にわたって生きてきた。絶滅したのは、火山噴火のこともあったかもしれないし、ホモ・サピエンスとの生存競争に敗れたということもあったのかもしれない。

この回では、ホモ・サピエンスが、オーストラリアに渡るところまでだった。

オーストラリアは、海の向こうにあり、肉眼で見える距離にはない。目の前にあるのは、海だけである。それを、ホモ・サピエンスは、航海して渡ったことになる。

この番組の中で言っていなかったことがある。それは、言語、ということである。おそらくは、言語をつかうことによって、ホモ・サピエンスは、お互いの共同体意識を生み出し、協力することがあり、知識を伝達することができた……こう、想像することになるだろう。しかし、現在、学問的に、人類(ホモ・サピエンスに限らず)が、言語をどのようにして獲得したのか、まったくの謎と言っていい。

新たな見知らぬ土地……水平線の向こうであっても、宇宙の果てであっても……へ旅立っていく原動力になるのは、いったい何なのか。それを、好奇心ということでいいだろうか。あるいは、冒険心とでもいうことができるだろうか。

(番組の趣旨とは関係ないが)ホモ・サピエンスが、言語を持ち、共同体意識……自分たちの仲間という感覚……を持ったということが、その地球上での繁栄のみなもとになっていることは確かだろうが、同時に、これが、お互いの抗争対立と殺戮の歴史にもなっている、といっていいだろう。必ずしも、平和に仲よくしてきたばかりとはいえないだろう。

2026年2月22日記

ハイケン内見 〜世界の町で部屋探し〜 「ソウル」2026-02-25

2026年2月25日 當山日出夫

ハイケン内見 〜世界の町で部屋探し〜 「ソウル」

今の韓国で、ソウルで家を持つというのは、かなりの贅沢というこなのかなと思っている。人口減少が加速するなか、ソウル一極集中が言われている。

(直接は関係ないが、釜山は凋落ということだろう。それを象徴するのが、次の万国博覧会。たしか、サウジアラビアのリヤドと競って、ボロ負けで敗退したはずである。)

駅近くの複合施設ビルにある部屋は、そう高くはないかなと思える。お店からロボットが商品を配達してくれるシステムは、たぶん、このようなサービスは増えていくだろう。

韓国で地方から出てきた人は、漢江が見えるところに住みたがる、というのは、いろいろと歴史的背景があってのことだろう。

バスルームで、バスタブが無い物件があった。韓国の生活様式として、お風呂に基本的に毎日はいるということではない、ということである。今の日本の都市だと、風呂付きではない物件を探すことの方が難しいだろう。だが、日本で、このようになってきたのは、ここ半世紀より新しい。少し前までは、東京でも、かなりの数の銭湯があった。

キムチ専用の冷蔵庫がある、というのは、いかにも韓国である。

子どもが二人いる夫婦が、学習塾がひしめくエリアに家を探すというのは、社会の中では、めぐまれた階層ということになるだろう。過度な受験競争を忌避する流れも、韓国社会の中にはあるらしい。そもそも、男女が普通に結婚して子どもが二人いるという設定が、今の韓国では、とても贅沢なこと、といっていいのかもしれない。

どの国でも、お金持ちはいるもので、それように家がある。美容関係の会社を経営しているとのことだったが、韓国での美容というのは、とてももうかる商売なのだろう。個人的には、何の関心もないけれど。

2026年2月16日記

おとなのEテレタイムマシン「現代ジャーナル 河合隼雄の最終講義〜こころを探る〜」2026-02-25

2026年2月25日 當山日出夫

最初の放送は、1992年。

私の学生のころ……1970年代から80年代にかけてであるが……は、河合隼雄は、とても人気があった。しかし、その本を読もうとかとは、あまり思わなかった。

ユング心理学は、一般に知られていたことである。原型ということばも、よく使われていたかと記憶する。

文学部で勉強したのだが、心理学は、教養課程のときに一つの講義に出ただけである。実験系の心理学であった。

心理学という研究がサイエンスであろうとするのか、それとも、サイエンスでは説明できない人間のこころの問題を考えるのか……どうも、よく分からない。昔も分からなかったし、今も分からないままである。

だが、この昔の番組を見て、河合隼雄の言っていることは、ごく普通のことだと感じる。いや、現在では、臨床心理学ということがひろまってきているので、逆に、かつて河合隼雄が言ったことが、普通のことを言っているように思えるのかもしれない。

共時的に自分の身の回りにおこるいろんな現象やできごと(コンステレーション)……不登校のことであったり、在日韓国人としての悩みであったり……これを、通時的に関連性のある一つのストーリーにして納得する、今のことばでいえば、物語化ということになるが、これは、おそらく人間が長い歴史のなかで積み重ねてきた知恵のようなものかとも思える。それを方法論として整理したのが、河合隼雄の語ったことなのだろう。

ただ、無理に因果関係をつけて、原因を究明しよう、問題があるのは、その原因があるからで、それを解決する、除去すれば、それで、いい結果が得られる……という、いわば近代的な合理的な思考に、慣れすぎてしまっている現在としては、たちどまって、自分をふくめて全体を見わたして見る、ということは、きわめて重要なことだと感じることになる。

2026年2月19日記

ETV特集「僕が戦争に行く理由」2026-02-25

2026年2月25日 當山日出夫

ETV特集「僕が戦争に行く理由」

戦争というものを、どういう視点から見るか、これはいろいろとある。国家の指導者の視点もあるし、一般の市民・国民という視点もある。なかでも、やはり重要なのは、最前線で戦う兵士の視点だろう。

ウクライナの戦争について、私は、一方的にロシアが悪いとは思っていない。たしかに、始めたのロシアである。少なくとも、ロシアがなぜ、この戦争を始めることになったのか、ロシアの側にたって、その勢力圏の歴史を考えることはあってもいいと思う。(だからといって、それが正当なものである、ということではないが。)

最前線で戦う兵士が、その戦場の有様を映像記録に残せる、そして、それが普通のテレビ番組などで見られるようになった、ということでは、ウクライナの戦争は、これまでとは違う。メディアと戦争ということの問題としては、古くは第一次世界大戦にさかのぼることだし(映像の世紀の始まりである)、少なくともベトナム戦争のことぐらいからは、個人的にも記憶にあることである。

極言すればであるが……なぜ、兵士は戦争におもむくのか、それは、そこが戦場であるから、としかいいようがないかもしれない。考えることは、自分の国を攻めてくる敵国の軍隊があって、それに対して、防戦しているということになるのだろうが、実際の戦場の兵士の心理は、もっと複雑、いや、逆にシンプルなのかもしれない。ただ、戦争があり、戦場にいるから、戦わざるをえない……これだけのことのように思える。そこには、なにがしかの思考の麻痺のようなものがある。と同時に、自分を戦場へと駆り立てる何かがあることにもなる。

実際に戦闘が始まって、その渦中に身を投じることになれば、それが防衛のための戦争であるか、それとも、政治的な意図があり命令されての戦争であるか、などということは、あまり関係がない。戦って、生きのびる、ただそれだけのことが、日常になる。

この番組と同じようなことは、逆に、ロシア軍の方についてもいえるだろうと思っている。ただ、今の国際情勢では、ロシア軍側からの、この種の情報が一般に流れてこないだけである。いやいや(か、どうかは別にして)動員された北朝鮮の兵士についても、戦場で感じることはあるだろう。

冷静で正気を保ったままでは戦争はできない、ごく当たり前のことのようだが、人間にとって戦争、戦場とは、こういうものである、ということを考えてみることになる。だからこそ、和平が難しいということになるだろうか。

2026年2月23日記