100分de名著「ディケンズ“大いなる遺産” (2)立身出世の物語?」2026-05-14

2026年5月14日 當山日出夫

100分de名著「ディケンズ“大いなる遺産” (2)立身出世の物語?」

この回の内容には、かなり無理がある。

スマイルズの『自助論』を出してきて、メリトクラシーの社会である、と言っていたが、これはどうだろうか。

端的にいえば、ピップは、社会的地位の上昇、階級上昇を目指して、何か努力をしたということはない。せいぜい、食事のときのマナーに気をつけねばならないということぐらいである。私の理解であるが、『自助論』は、19世紀になって、産業革命がおきて、社会構造が変わっていくなかで、中産階級というべき人たちが登場してきて、そのような人たちが、さらなる社会階級の上昇をめざすための、手引き、案内、いまでいえば自己啓発本、ということかと思っている。ピップのような、下級の労働者階級は、そもそも相手にしていない。(このあたりは、社会経済思想史という分野で、詳しく語られていると思うが。)

ピップがお金持ちになれたのは、とにもかくにも偶然でしかない。何か努力して、あるいは、何かの能力があってそれを発揮することができて……ということではない。これを、『自助論』とつなげて考えるのは、あまりに強引すぎる。

社会階級の上昇は、たしかに希望を与える。だが、それは、勉学の機会があったり、社会の中で勤勉に働くことの意味を認めてもらえたり、ということがあってのことである。宝くじにあたってお金が手に入ったことを、階級上昇とは言わない。ピップの場合は、拾った宝くじがたまたま大当たりだったということである。

それから、気になることとしては、ディケンズの小説を読むような社会階層と、『自助論』を読むような社会階層は、重なるところがあったのだろうか。もし、あまり重ならないとしても、時代の雰囲気として、こういうものの考え方が、社会の中に浸透してきた時代、ということになるのだろうか。

現代の概念でいえば、文化資本ということばで説明することになる。だが、考え方によっては、自分たちの生活と、あいつらの生活は違うんだ、ということでもよい。自分たちの生活の価値観を大切にすること、これは重要だと言っていたのだが、しかし、これは、現代だと、移民排斥の論理にもなる。これは、今のイギリスで、大きな問題となっていることである。自分たちのこれまでの生活の価値観を大切に思う気持ちは尊重するとしても、その語り方は、非常に難しくなってきているのが、現代の社会である。

2026年5月12日記

アナザーストーリーズ「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」2026-05-14

2026年5月14日 當山日出夫

アナザーストーリーズ「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」

事故から40年ということになる。世界のドキュメンタリーで、イギリスで製作した番組を放送していて、これも見たが、私が分からないことは……この事故で、結局、現在までに、何人の犠牲者(死者)が出たのか、病気になった人はどれぐらいなのか、こういうことのはっきりしたデータが出てきていないということである。これが、日本だったら、地震があったりして、その災害で死んだ人が何人、関連死が何人、と細かく数字が出てくる。ソ連やロシアでは、こういうこまかなことは気にしない、ということでいいのだろうか。

犠牲者の数が少ないから、多いから、どうこうということではないのであるけれど。

当初から問題をかかえていた原子力発電所であることは、そうなのだろう。事故がおこったとして、この時の政治の判断としては、このころのソ連としては、迅速に動いたという印象を私は持っている。これは、東西冷戦時代の雰囲気を知っている人間とそうででない人間とで、感じ方は違うかと思うが。

事故直後の対応として、スコップでがれきの撤去に従事していた人たちが、その後どうなったのか、追跡調査は行われているのかどうか。憶測で、その後、がんで亡くなったということも言っていいかもしれないが、科学的にどの程度確証のあることなのかという気はしている。

2026年5月8日記

エモーション・ジャーニー「大追跡!「お金」にまつわる世界の感情」2026-05-14

2026年5月14日 當山日出夫

エモーション・ジャーニー「大追跡!「お金」にまつわる世界の感情」

たまたま録画しておいた。こういう形での、ある種の報道番組もあっていいかと思う。(はっきりいって、スタジオのコメントがレベルが低すぎる。)

アフリカでの金の採掘と、その精練(水銀をつかう)による環境汚染。これは、アフリカだけではなく、南米などの他の地域でも大きな問題になっている、あるいは、これからなるだろう、ことになる。国際的な金の価格暴騰の裏では、金の採掘にかかわる、最底辺の労働者が存在することは確かなことである。こういうことは、特に金に限ったことではないが。

口論の結果、お金で話しがつくということになっていたが、多くの場合は、武装勢力による割拠ということもあるだろう。このようなことは出さないということで作ったかと思う。(国際報道2026のスタッフが取材しているということは、かなり危険な地域であると認識していいだろうか。)

貧乏な国の貧乏人ほど損な生活をせざるをえない……これは、グローバル資本主義の帰結、ということになるかと思うが、これから引き返すことは、人類のありかたとして、もはや不可能といっていい。

ネパールの選挙のことは、ニュースで見て知ってはいたことである。目下の関心は、新しい首相(元ラッパー)の政治手腕ということになる。政治家が貧乏だから汚職に手をそめる、とは限らないだろう。高給をとっている政治家や役人だって、汚職をする。これは、古今東西にたくさんの事例があるはずである。

貧富の格差、社会の構造ということは、これはそう簡単には解決しない。新たな階級社会、封建社会の到来は、予言的に言われている。いや、もう、すでにそうなっている。ネパールが特殊ということではない。(中国や韓国だって、ものすごい格差社会になってしまっている。)

違うのは、昔は、王侯貴族が贅沢をしても、一般庶民の反感を買うということはなかったが、それが、ネット社会になり、SNSの普及などで、人びとの意識が大きく変わったということはある。それにしても、ネパールの若者がスマートフォンを持っているのは普通のことであるとして、この国のネット回線は、どういうことになっているのだろうか。(日本の場合は、光ファイバー網と携帯電話回線の基地局が、通信インフラになっているのだが。)

ネパールからは、多くの人が日本にはたらきに来ている。その背景には、ネパールの貧しさがある、ということは、日本としては知っておくべきことだとは思う。

モルドバの沿ドニエストル共和国。いわゆる未承認国家である。未承認国家について、定義することは、ちょっと難しかもしれない。ただ、沿ドニエストル共和国については、ロシアのウクライナ侵攻と深くかかわる話題になるので、深入りしてこの地域の経緯を説明することは、避けたのかと思って見ていた。

硬貨がプラスチックであってもかまわない。紙幣といっても所詮は紙である。偽造されなくて、貨幣として使えるなら、なんだってかまわない。貨幣とは何かという問題につながることではあるが。

アメリカの宝くじは、その発行と当たりくじを確定するシステムが、どうなっているのかということが分からないと、確率的に当たるくじを選ぶことができるかどうか、分からない。

ブラジルの牛は、今の時代だったら、こういうこともあるだろう。強いていえば、生命科学と技術が、どのようなビジネスと結びつくかということになる。(ただ、クローンマウスを作り続けていって、一定以上の世代がすぎると無理ということは言われている。この先、遺伝子操作など、新たな技術を使うことになるのだろうか。)

イギリスのコイン発掘は面白い。発掘されるコインなどは、ローマ時代のものだというが、現在のイギリスになる前の歴史をたどることになるのだろう。(日本だと、地面を掘るよりも、竹藪で札束を探すことになるだろうか……もう、この事件を覚えている人も少なくなったかと思うが。)

2026年5月12日記

英雄たちの選択「天才軍師・竹中半兵衛の真実」2026-05-14

2026年5月14日 當山日出夫

英雄たちの選択「天才軍師・竹中半兵衛の真実」

出ていたのは、平山優と千田嘉博。

見ながら思ったことがいつつかある。

歴史学研究という立場からするなら、どうしてもそうならざるをえないのだが、竹中半兵衛については史料(古文書、古記録)がほとんど残っていないという。史料が残っていないことについては、黙っているしかないのが、近代的な文献史学なのであるから、いたしかたないことであるが、それでも、では、何故、竹中半兵衛についての史料が乏しいのか、その理由はどういうことが考えられるのだろうか。

史料が残っていないことについて、勝手に想像することは慎むとしても、何故、史料が残っていないのかということを、歴史の中で考えるということはあっていいはずである。(日本文学の作品でいえば、『源氏物語』の写本が基本的に鎌倉時代以降のものになること、『竹取物語』の古い写本が伝存しないこと、など、資料の残り方から、考えることのできる領域ということはある。)

軍師というような存在はいなかった……まあ、NHKの歴史番組でこうはっきり断定的に言えるのは、平山優なのかなあ、と思うが、業界的にはどうなのだろうか。

文化史的な興味としては、いわゆる軍師というもののイメージが、諸葛孔明にならって、歴史的な読み物や、講釈などで、語られるようになってきたことの経緯ということになる。こういうことの歴史は、これで考えなければならないことになる。

竹中半兵衛をあつかった回なのだが、それよりも興味深いこととしては、戦国時代の国衆という人びとのものの考え方。名だたる戦国時代の大名たちとは違って、土着の人びととして、どのような考え方を持っていて、実際に、どういう生活をしていたのか、ということが気になる。

戦国時代ドラマだと、合戦での戦いぶりが、どうしても映像として出てくることになるが、その背景にある、兵站と工兵の仕事ということが、実は、重要なことなのだろう。工兵というと現代的な用語であるが、この時代としては、築城術であり、石垣の組み方であり、さらには、城を水攻めにするときの土木であったり、ということになる。兵站については、味方の兵站を確保することの重要性であり、そして、いかにして敵の兵站を妨害するか、という戦い方になる。秀吉は、この兵站と工兵について、すぐれた戦国武将だったというとらえかたでいいかと、私は思っているのだが、さてどうなのだろうか。

ところで、人質として、子どもを差し出すということの背景としては、その一族の継続ということがあってのことだろう。ただ、親子の情というだけではなく、その家がつづいていくことの意味が、非常に大切だっただろう。

人質の歴史……誰が、誰に対して、誰を人質としてさしだしたのか、その後、その人質はどうなったのか、ということの歴史の研究はあるのだろうとは思うが。

2026年5月11日記