『風、薫る』「黎明の翼」 ― 2026-08-09
2026年8月9日 當山日出夫
『風、薫る』「黎明の翼」
この週は、新潟での赤痢のこと。
番組の趣旨からして、どこかで、感染症のことについては大きくあつかわなければならないだろうと思っていた。モデルの大関和は、昭和のはじめまで生きていたので、大正時代のスペイン風邪のときのことを描くのかと思っていたのだが、ちがった。ドラマの組み立てとしては、明治のころのことに集約して話しをすすめたいということのようである。(その方が、いろいろとコストがはぶけるということもあるのかとも思うが。)
見ながら気になったことをいくつか書いておく。
まず、赤痢である。簡単にWEB情報を見るだけなのだが、赤痢は、細菌性赤痢と、アメーバ性赤痢にわけられるが、この時代では、医学的には未分化であった。細菌性赤痢の赤痢菌が発見されたのは、1897年(明治30年)、志賀潔によってである。
ドラマの中の時代は、明治20年代のはじめごろのはずである。日本国憲法ができてはいるが、まだ、日清戦争は起こっていない。(日清戦争になったら、従軍看護婦ということが、出てくるのかもしれないが。これは、まだ出てきていない。)
赤痢の原因がはっきりしない段階で、潜伏期間が三日ということは、分からないはずである。また、感染経路も不明だったはずである。つまりは、赤痢にかかったということなら、隔離するということで、対症療法をつづけるしかなかったかと思う。
消毒が必要ということは、経験的な知識としてはあったはずだが、しかし、赤痢菌がどうすればやっつけられるのかということは、この段階で、分かるはずがない。そもそも赤痢菌の存在が未知であった。
このあたりの描写は、現代の一般の医学的な知識ということで、なんとなく、ごまかして作ってあるという印象がどうしてもある。ナレーションで、この時代の医学の知見では、こうするしかなかった、それでも、これだけの効果をあげることができた……ということになっていいかと思うのだが、そうはなっていない。
黒川医師が、りんのもとにやってきて、赤痢が出たから手伝ってほしいという。それを聞いたりんは、ためらうのだが、結局は、その村に行く。この流れは、いったんは、看護婦を辞めたりんが、ふたたび看護の仕事にかかわることの心のゆれを描いていたということになる。(さして、上手く描いていたとは感じなかったけれど。)
歩いて二時間ほどの村に行く。このとき、りんは、ワラジ履きで行っている。演出の意図としては、赤痢の病人のいる村に行くことは、それだけ覚悟のいることだったということを表現したいということだと思うのだが、あまり感心しない。この時代に、東京と新潟の間を旅するのに、かなりの軽装で、白足袋に草履で、簡単に行き来できる、ということにしてしまっているので、かえって、ワラジ履きの部分だけが、浮き上がってしまって、全体としてチグハグになってしまっている。ドラマ全体の構成のミスというべきだろう。
直美が新潟にやってきて手伝ってくれることになったのだが、このあたりの筋書は、どう見ても、都合がよすぎる。また、村の病人の中に、内務省の役人がいたということになっていたが、これも、都合がよすぎる。
新聞記者が、りんの活躍を記事にしてくれて、人びとを啓蒙するのに役立ったというのも、この時代としては、どうかなと思う。新聞記事として書くなら、医師と黒川病院のことであるのが、普通だろう。そして、東京の新聞社に行くということになる。これも、どうみても都合がよすぎる。
新潟の女学校の生徒とか校長先生とか、りんに影響されて、自立し活躍する女性をめざす、少なくとも邪魔することはしない、ということになっていたが、これも都合がよすぎる。
いや、この時代の地方への視線として、基本的に封建的で遅れた地域であって、それに対して、りんの活躍で、人びとを啓蒙したという流れにしてしまうのは、あまりに安直だと思える。明治のこのころなら、江戸時代から積み重ねられてきた知識と教養の蓄積が、地方にも十分に残っていたころである。たとえば、『ばけばけ』で出てきた、錦織(西田千太郎がモデル)などがそうである。明治の地方の知識人の一つのあり方である。
近代的な医療に対する態度としても、地方(新潟)の村人は無知であるということで描いているのに対して、東京の人は貧乏だから医療を受けられないということで描いている。ここに、無意識のうちに、地方の人びとを遅れた考えの人たちと、見下す気持ちがはいりこんでいる。このことに、このドラマの製作者は、あまりに無頓着である。近代的な医学や医療に無知であったのは、地方とか東京とかに分けて考えることではないだろうと思うが。
近代になってからも、気候変動と疫病は、人びとの災厄であった。疫病が、普通の人びとの生活の不安でなくなってきたのは、戦後になって、医療の制度が全国的に普及してからのことである。乳幼児の死亡率の劇的な現象と、重ねて考えることが妥当だろう。結核や、ハンセン病が、業病とされた時代は、つい最近まであったことになる。(現代では、がんが大きな病気としてあるが、それは、人びとが長生きして、がんになるまで生きられるようになったことの結果ということもある。むかしは、そうなるまえに、多くの人が死んでいた。)
こういう病気と人びとの感覚ということが、どう見ても、このドラマでは、きちんと描かれているとは思えない。無論、朝ドラの枠の中でだから、そんなにリアルに厳しい描写を求めるということではないが、現代とは違う、だが、どこか現代にも通じるところのある、人びとの生活と病気と死生観ということを、総合的に見る視点がまったくない。それを、朝の15分のエンタテイメントとして作ることができていない。
次の週から、東京にもどるようである。結局、大関和と致命堂病院ということは、あっさりとスルーされてしまったことになっている。
2026年8月8日記
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