こころの時代「ファンタジーに秘められた宗教 (4)『銀河鉄道の夜』」2026-08-12

2026年8月12日 當山日出夫

こころの時代「ファンタジーに秘められた宗教 (4)『銀河鉄道の夜』」

宮沢賢治と法華経については、これまでにさんざん語られてきたことである。はっきりいって、特に内容的に目新しいということではない。(強いて言えば、最終的には、汎神論的アニミズム……ということになるかなと感じるが。)

この「こころの時代」という番組の作り方の工夫であり、特徴としては、対話形式を多くつかっていることがある。いいかえると、宗教について語るときに、その先達というべき人の、説法を聞く、説明する、ということは、なるべく避けている。宗教的な価値観は、これはこういうことだと、一つの考え方を、一方的に語ることでは、伝えることができない、いや、異なる価値観や考え方の人間の対話(あるいは、会話、としてもいいが)によってこそ、その中に見る人が、何かを感じとることができればいい、ということになる。

宮沢賢治が何を思っていたかということを解説するのではなく、宮沢賢治について、私はこう考える、こう感じる、ということを、それぞれが対等な立場から語っていくという営みの中よって、なにがいえるのかということになる。これはこれでよいし、こういうこともあっていい。(別に、アカデミックな宮沢賢治研究、近代における法華経の研究ということではないのであるから。)

『銀河鉄道の夜』は、若い時から、何回か読んでいる作品であるが、はっきりいって、今ひとつ分からない。年をとってから読むと、余計に分からなくなる。

見ながら考えたこととして……番組では、映像として、現代の宇宙のイメージを映像として使っている。だが、宮沢賢治の時代に、現代のような宇宙のイメージがあったのだろうか。ビッグバンということが、普通の知識になったのは、ここ数十年に満たない。私の子どものころには、あまり一般的に宇宙の起源ということは、言われていなかった。もちろん、ハッブル宇宙望遠鏡の映像など、想像することもできなかった。

一方、宮沢賢治の時代だったら、普通に夜空を見上げたら、天の川(銀河)は普通に見えたにちがいない。今の日本で、日常的な感覚として、夜空には銀河が見えるということは、特別な地域をのぞいては、無くなってしまっている。

どうでもいいことだが、画面に表示される『銀河鉄道の夜』のテクストは、漢字は新しい字体で、仮名遣いは古いもの(厳密に、宮沢賢治の原稿どおりかどうかはさだかではないが)であった。ただし、部分的に、発音「っ」は、大きかったり、小さかったりであった。こういう番組を見ていても、文字のことを専門にしてきた国語学研究者の目では、どうしても気になる。

2026年8月7日記

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