『等々力短信』1000号 ― 2009-07-09
2009/07/09 當山日出夫
馬場紘二さんの『等々力短信』が、1000号に達した。
轟亭の小人閑居日記
http://kbaba.asablo.jp/blog/
千号を迎えた「等々力短信」
http://kbaba.asablo.jp/blog/2009/06/25/4388082#c4388820
とにかく、すごい、のである。ただ、継続すること、このちからに敬服する。
馬場さんからは『等々力短信 1000号のあゆみ』を贈ってもらった。以前にもらってある『五の日の手紙』(書籍版)と一緒に、大切にしておきたいと思う。私にとって、貴重な本である。
これをみると、第1号は、昭和50年(私が学生のときだ)からはじまっている。その冒頭はこのようにある、
1975(昭和50)年2月25日(33歳)「広尾通信」創刊第1号。ハガキ版(原紙を和文タイプで打った謄写版印刷)月3回「五の日」(広尾の縁日の日)5日15日25日に発行、40部。
ここからはじまって、いま、1000号になっている。
以下、勝手に思うこと。
これをささえたのは何だろう。うがった見方をすれば、(今ふうの言い方をすれば)厳格なフォーマット、ということかもしれない。発行日が決まっているだけではなく、その字数・用紙サイズも一定。
これが、自由に、不定期で、ということであったら、どうであったか。あるルールにしたがうということは、そこに別の意味での自由がある。
馬場紘二君、気品の人である。
當山日出夫(とうやまひでお)
馬場紘二さんの『等々力短信』が、1000号に達した。
轟亭の小人閑居日記
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千号を迎えた「等々力短信」
http://kbaba.asablo.jp/blog/2009/06/25/4388082#c4388820
とにかく、すごい、のである。ただ、継続すること、このちからに敬服する。
馬場さんからは『等々力短信 1000号のあゆみ』を贈ってもらった。以前にもらってある『五の日の手紙』(書籍版)と一緒に、大切にしておきたいと思う。私にとって、貴重な本である。
これをみると、第1号は、昭和50年(私が学生のときだ)からはじまっている。その冒頭はこのようにある、
1975(昭和50)年2月25日(33歳)「広尾通信」創刊第1号。ハガキ版(原紙を和文タイプで打った謄写版印刷)月3回「五の日」(広尾の縁日の日)5日15日25日に発行、40部。
ここからはじまって、いま、1000号になっている。
以下、勝手に思うこと。
これをささえたのは何だろう。うがった見方をすれば、(今ふうの言い方をすれば)厳格なフォーマット、ということかもしれない。発行日が決まっているだけではなく、その字数・用紙サイズも一定。
これが、自由に、不定期で、ということであったら、どうであったか。あるルールにしたがうということは、そこに別の意味での自由がある。
馬場紘二君、気品の人である。
當山日出夫(とうやまひでお)
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