長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』外国人 ― 2016-08-19
2016-08-19 當山日出夫
外国人について書いたところを読んでみる。
長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/
やまもも書斎記 2016年8月12日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』天皇は憲法の飛び地
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/12/8150156
この前は、天皇の存在を見ることによって、現在の憲法の持っている性格の一端があきらかになった。今日は、外国人についてみる。
「天皇とは逆の方向から、近代国家と普遍的人権との関係に光を当てるのは、「外国人に認められる人権」という問題である。」(p.96)
「従来の憲法学の議論の枠組みによると、参政権のように、その性質上国民にのみ認められるべきものは別として、原則として、外国人についても憲法上の権利は保障される。」(p.96)
そのうえで、外国人は、ある種の特別な存在であるとする。
「外国人に原則として入国の自由がなく、いったん入国した外国人にも在留し続ける権利がないことについては、学説も一般的に同意している。そして、こうした考え方は、日本だけではなく、世界各国において共通にとられている。およそ、いかなる者であれ、原則として外国人に入国を許し、無期限で滞在することを許すという建前をとる国が、まともな国として存続しうるとは現実には考えにくい。」(p.98)
では、外国人には普遍的な人権はおよばないのであろうか。この点については、次のようにのべる。
「参政権など、「権利の性質上日本国のみをその対象としていると解されるもの」と、それ以外の外国人にも等しく保障されるはずの権利との違いは、程度の差にすぎない。」(p.98)
そして、国籍については、次のようにある。
「国籍は、地球上で暮らす数多くの人々のうち、所与の人々について生来の人権を保障し、自由に幸福を追求しうる環境を整える責務を第一次的に負うのがどの政府であるかを指定するための便宜的な物差しとして用いられているわけである。」(pp.100-101)。
法的には、国籍とはこのように考えるのか、という意味で興味深い。ここまでの議論において、民族の共同体というようなことばは一切つかっていない。普通、国家などについて考えるとき、国民国家としての民族の共同体というあたりから考え始めるのが、一般的なところかと思う。だが、長谷部恭男は、近代国家における人権というものを、あくまでも法の論理にしたがって解釈していく。
この本の書かれたのは、2004年。ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結の後、そして、現在問題になっている、中東での紛争と多数の難民のヨーロッパ諸国(EU)への流入の前である。そのような時代背景をふまえて、このあたりの議論は理解しておくべきことかもしれない。
ただ、少なくとも、外国人参政権について、その国民にのみ認められる権利であるとするのが、憲法学の多数の立場であるとするあたりは、今日の目から見て重要な点かもしれない。
EUという従来の国民国家の枠組みを超えた、大きな共同体が生まれようとする一方で、多くの難民の流入があり、従来の伝統的というべき国民国家的な共同体がゆらいでいる。そして、英国のEU離脱という動きがあった。このような国際情勢のなかで、近代的な立憲主義……繰り返し確認すれば、立憲主義は近代西欧に生まれた……はどのようにあるべきなのか、今、問いなおされている時なのかもしれないと思っている。
追記
このつづきは、
やまもも書斎記 2016年8月29日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』平和主義と立憲主義
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/29/8165183
外国人について書いたところを読んでみる。
長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/
やまもも書斎記 2016年8月12日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』天皇は憲法の飛び地
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/12/8150156
この前は、天皇の存在を見ることによって、現在の憲法の持っている性格の一端があきらかになった。今日は、外国人についてみる。
「天皇とは逆の方向から、近代国家と普遍的人権との関係に光を当てるのは、「外国人に認められる人権」という問題である。」(p.96)
「従来の憲法学の議論の枠組みによると、参政権のように、その性質上国民にのみ認められるべきものは別として、原則として、外国人についても憲法上の権利は保障される。」(p.96)
そのうえで、外国人は、ある種の特別な存在であるとする。
「外国人に原則として入国の自由がなく、いったん入国した外国人にも在留し続ける権利がないことについては、学説も一般的に同意している。そして、こうした考え方は、日本だけではなく、世界各国において共通にとられている。およそ、いかなる者であれ、原則として外国人に入国を許し、無期限で滞在することを許すという建前をとる国が、まともな国として存続しうるとは現実には考えにくい。」(p.98)
では、外国人には普遍的な人権はおよばないのであろうか。この点については、次のようにのべる。
「参政権など、「権利の性質上日本国のみをその対象としていると解されるもの」と、それ以外の外国人にも等しく保障されるはずの権利との違いは、程度の差にすぎない。」(p.98)
そして、国籍については、次のようにある。
「国籍は、地球上で暮らす数多くの人々のうち、所与の人々について生来の人権を保障し、自由に幸福を追求しうる環境を整える責務を第一次的に負うのがどの政府であるかを指定するための便宜的な物差しとして用いられているわけである。」(pp.100-101)。
法的には、国籍とはこのように考えるのか、という意味で興味深い。ここまでの議論において、民族の共同体というようなことばは一切つかっていない。普通、国家などについて考えるとき、国民国家としての民族の共同体というあたりから考え始めるのが、一般的なところかと思う。だが、長谷部恭男は、近代国家における人権というものを、あくまでも法の論理にしたがって解釈していく。
この本の書かれたのは、2004年。ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結の後、そして、現在問題になっている、中東での紛争と多数の難民のヨーロッパ諸国(EU)への流入の前である。そのような時代背景をふまえて、このあたりの議論は理解しておくべきことかもしれない。
ただ、少なくとも、外国人参政権について、その国民にのみ認められる権利であるとするのが、憲法学の多数の立場であるとするあたりは、今日の目から見て重要な点かもしれない。
EUという従来の国民国家の枠組みを超えた、大きな共同体が生まれようとする一方で、多くの難民の流入があり、従来の伝統的というべき国民国家的な共同体がゆらいでいる。そして、英国のEU離脱という動きがあった。このような国際情勢のなかで、近代的な立憲主義……繰り返し確認すれば、立憲主義は近代西欧に生まれた……はどのようにあるべきなのか、今、問いなおされている時なのかもしれないと思っている。
追記
このつづきは、
やまもも書斎記 2016年8月29日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』平和主義と立憲主義
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/29/8165183
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