「とと姉ちゃん」一銭五厘で召集できたのか(その二)2016-08-01

2016-08-01 當山日出夫

召集令状はどのようにしてとどけられたのか、以前にちょっとだけ考えてみたことがある。

やまもも書斎記 2016年7月16日
「とと姉ちゃん」一銭五厘で召集できたのか
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/16/8132474

このなかで、私は、浅田次郎の小説『終わらざる夏』に言及しておいた。その浅田次郎が登場するWEB記事があった。

HUFF POST SOCIETY
2016年7月29日
元自衛官だった作家・浅田次郎さんが教えてくれた、戦争の知られざる6つの裏側
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/29/asada-jiro-kikyou_n_11190420.html

ここをみると、以下のような記述がある。召集令状がどのようにしてとどけられたのか、また、一銭五厘の表現についての箇所を引用する。

「赤紙は、召集される人の本籍地の市町村役場の「兵事係」つまり公務員によって届けられていた。」

「しかし、必ずしも召集される人が本籍地に住んでいるわけではない。その場合、実家にいる家族が、本人に知らせる必要がある。」

「当時のハガキは一銭五厘。郷里からのハガキで召集を知らされることも多く「一銭五厘の命」とも言われていた。」

以上のような記述をみると、やはり、召集令状は、役場の兵事係の人が、その本人の家(本籍地)に赴いて、手渡していたようである。NHKの朝ドラであれば、『マッサン』にあった描写が、まさにそれにあたる。

このようなことが、どうして正確に伝えられてきていないのだろうか。一銭五厘のハガキ一枚で、兵隊を召集できたのではない。比喩的にそのように言うことはあり得るとしても、実際には、どうであったかは、正確に伝えていく必要があるだろう。

ところで、最近、また、「一銭五厘」の表現を目にした。

「特に一銭五厘で召集された兵隊さんの家族としては(以下略)」(p.90)

一ノ瀬俊也.『戦艦武蔵-忘れられた巨艦の軌跡-』(中公新書).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/07/102387.html

事実はどうであったかは別の問題として、兵隊を召集することは、一銭五厘のハガキですむ、というような比喩的な認識は、そうとう広まっているように思える。

だれか、『赤紙はどうやって来たか』というような新書本でも書いてくれないかな。その必要はあると思うのだが。