『おんな城主直虎』あれこれ「さよならだけが人生か?」2017-06-20

2017-06-20 當山日出夫(とうやまひでお)

前回は、
やまもも書斎記 2017年6月13日
『おんな城主直虎』あれこれ「盗賊は二度仏を盗む」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/13/8593116

『おんな城主直虎』2017年6月18日、第24回「さよならだけが人生か?」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story24/

今回のネコは、和尚とじゃれていた。いや、ネコの方はその気はないのだが、和尚の方から一方的に、ネコにじゃれついていたという感じか。いいネコであると思う。

この回では、最初、ちょっとだけ、前回のラストのおさらいシーンがあった。なぜ、龍雲丸は直虎に仕えることを止めにしたのか。それは、たぶん今のことばでいえば「自由」ということになるのだろう。だが、中世、戦国時代の日本語に「自由」ということば、概念はないだろう。

その「自由」というのが、実は、この戦国ドラマの重要なポイントではないかと思えてくる。直虎は無論のこと、周辺の登場人物は、みな、何かしらの束縛のなかで生きている。それは、「忠義」ということかもしれない。確かに「忠義」は貴いであろう。だが、「忠義」の中にしか生きられない、「忠義」をエトスとする人びとの対極に、それに縛られない「自由」な生き方を選んでいる龍雲丸のような存在がある。

「忠義」の中にしか生きるすべを知らない登場人物として、侍女のたけがいたことになる。たけとくらべるとき、龍雲丸の「自由」がひときわその存在感のあるものとしてある。

それから、この回で、織田信長が出てきた。どうだろうか……おそらく、これまでのNHK大河ドラマで登場した数々の信長のなかで、きわだって異様なオーラを持つ人物として描かれていたのではなかろうか。これで、今川の他に、徳川家康、そして、織田信長と、戦国時代のドラマの主人公がそろった感じがする。今後、この信長が、ドラマの展開にどうかかわってくるのか、楽しみである。

信長が出てきて、いよいよ「天下」をめぐって大名たちの争いが佳境に入ることになる。では、そのおおきな流れのなかで井伊のイエは、どのようにして生きていくことになるのであろうか。(ただ、現在のわれわれは、その結果を知ってはいるのだが。)

さて、次回も和尚とネコは出てくるだろうか。

追記 2017-06-27
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年6月27日
『おんな城主直虎』あれこれ「材木を抱いて飛べ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/27/8605216

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_ Coffee, Cigarettes & Music - 2017-12-30 19時02分35秒

皆さんこんばんは。今回は、人気が低迷しているらしいNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の第21~25回についての感想です。まずはあらすじ井伊谷の地で収穫した綿布の販売のために浜名湖畔の気賀の街を訪れた直虎(柴崎コウ)一行。雑多な街の中で直虎は売上げ金をすられ、それ