『失われた時を求めて』岩波文庫(5)2018-11-12

2018-11-12 當山日出夫(とうやまひでお)

失われた時を求めて(5)

プルースト.吉川一義(訳).『失われた時を求めて 5』ゲルマントのほうⅠ(岩波文庫).岩波書店.2013
https://www.iwanami.co.jp/book/b270831.html

続きである。
やまもも書斎記 2018年11月10日
『失われた時を求めて』(岩波文庫)(4)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/10/8995254

やっと5巻目である。この巻で、また舞台は変わる。岩波文庫では、「ゲルマントのほう」が三分冊に編集してある。

この巻を読んで感じるところを記せば次の三点であろうか。

第一には、フランスの一九世紀末の貴族というもの。「貴族」ということについては、歴史的知識としては知っている。だが、その「貴族」を実感するということがあまりなかった。この巻に出てくるゲルマント公爵夫人あたりの描写を読んで、なるほど、こういう人びとのことを「貴族」というのか。それも、フランス革命の後の一九世紀末のフランスにおいて……このようなことが強く印象に残った。

第二には、やはり、『失われた時を求めて』を読んで感じることであるが、眠りの描写である。この巻でも、眠りについて書かれた箇所がいくつかある。睡眠にはいるときの、あるいは、目覚めるときの、意識の流れをこまやかに描写してある。こういうところを読むと、この作品は、二〇世紀になってからの小説なのであるということを感じる。

第三は、ラシェルの登場。この女性もまた魅力的に描かれている。特に、ナシの花の描写とともに、印象的である。

以上の三点が、この巻を読んで印象にのこっているところである。

さらに加えるならば、やはり、ドレフェス事件のことがある。この事件のことについて、歴史的な知識として知ってはいる。だが、この事件が、フランスという国において、どのような歴史的、社会的、文化的な意味があるのか、ということについては、ほとんど知らないできた。『失われた時を求めて』を読むことによって、この事件が、一九世紀末のフランスにおいて、社会的な大事件であったことが、納得いく。

次は、第6巻である。楽しみに読むことにしよう。

追記 2018-11-15
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月15日
『失われた時を求めて』岩波文庫(6)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/15/8998999